大阪の川沿いにある、何の変哲もない遊歩道。そこで放課後交わされる、男子高校生2人のまったりしたやりとり──。2013年から「別冊少年チャンピオン」で連載されているコミック『セトウツミ』は、ほぼそのやりとりだけを独特のウィットで描いた異色作だ。おもな登場人物は元サッカー部でお調子者の瀬戸と、塾通いのインテリ眼鏡男子の内海。全編ほぼワンシチュエーションで、大きな事件も起こらない。考えようによっては、これほど実写化しにくい素材もめずらしいだろう。だが7月2日に公開される劇場版は、その魅力を余すところなく捉えている。主人公を演じたのは、いまもっとも注目度の高い若手俳優の池松壮亮と菅田将暉。2人の会話はどこまでもリアルでばかばかしく、どこか懐かしい。中味があるんだかないんだか分からないお喋りに身を委ねていると、いつしかこのありふれた日常がたまらなく愛おしく思えてくるから不思議だ。ダブル主演の魅力をいかんなく引き出した大森立嗣監督に、撮影の背景と2人の魅力について聞いた。
──原作はほぼ、男子高校生2人の会話だけで構成されていますね。全編通してほぼワンシチュエーションで、いわゆる絵変わりもなく、映画化はなかなかハードルが高そうです。そもそも大森監督は、どうしてこの素材を手がけてみようと思われたのですか?
大森「これは至ってシンプルで、親しいプロデューサーから『やってみない?』と声をかけてもらったんです。その時点ではすでに、主演2人のキャスティングは決まっていて。で、原作を読んでみたら、たしかに面白かった。セリフと間が独特だし、高校生ものなのに部活も恋愛もケンカもほとんど出てこないでしょ」
──ですね。
大森「お調子者の瀬戸とクールな内海が、川沿いの歩道に座ってひたすらダラダラ喋っているだけ。へええ、こんなマンガがあったんだ、面白いじゃん、と(笑)。それで素直にやってみたいと思ったんですよ。あと何より、池松君と菅田君という俳優2人をたっぷり撮れるっていうのは、監督としてはやっぱり魅力的な仕事だしね」
──なるほど。
大森「ふつう映画というのは、登場人物が歩いたりゴハンを食べたりと、いろんな行為が集まって成り立っています。俳優同士の演技が正面からぶつかりあう芝居場というのは、実は1つの作品に3〜4箇所しかなかったりする。ところが『セトウツミ』は、逆に芝居場しかないんですね。演技のトーンが淡々としてるのでそうは見えないけど、実際は2人のガチンコのお喋りだけで構成されている。これ映画監督にとっては、けっこうなチャレンジなんですよ。それに僕は、芝居場を撮るのが一番好きなので」
──そういえば映画『まほろ駅前』シリーズでも、松田龍平と瑛太の何気ない会話がすごくチャーミングに切り取られていました。いわゆるバディ(相棒)ものには、特別な思い入れがあったりするんですか?
大森「あぁ、自分では意識してなかったけど、そうかもしれませんね。オリジナル脚本で撮った『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』もある部分、そういう話だったし。男同士の人間関係の微妙な距離感みたいなものは、嫌いじゃないんだと思います。何だろう、変にベタつかない、乾いた感じっていうんですかね。ことさら『分かる分かる』みたいなことは言わないのに、なぜか一緒にいて楽な関係性」
──まさに大阪弁でいうところの「ツレ」ですね。
大森「この映画に出てくる瀬戸と内海も、温度差がハンパないもんね(笑)。全編通してほとんど相手に共感してない。うん。そうやって全然タイプの違う人間が、対等に存在してるシチュエーションに惹かれるんでしょうね」