——王舟さんってかなり多作家じゃないですか。
王舟「はい。デモはいっぱい作りますね」
——アルバムの全体像が見えたタイミングは?
王舟「『ディスコブラジル』(12インチシングル)を入れることは最初から決めていて。あとは1曲目の『Roji』は昔からある曲で、これも入れたいなと。で、3曲目の『Moebius』ができたときにアルバムの振れ幅が見えてラクになったんですよね。これでいろんな曲を入れられるなと思って。そこからは引き算というか、作品としてあまり濃くなりすぎないようにと思ったくらいですね」
——そもそも「ディスコブラジル」という曲自体がすごく奥行きがあって、いろんなアレンジを受け入れられるキャパシティがあると思うんですよね。アルバムバージョンではさらにミニマルなサウンドになっていて。
王舟「そうですね。ずっとライブでやっていたんですけど、初期はもっとディスコっぽかったんですよね。だんだんアレンジが変わっていって。アルバムバージョンも家にひとりでいる感じがいいかなと。『ディスコブラジル(Alone)』というタイトルになってるし」
——日本のさまざまな市井の風景が揺らぎながら流れていくKINDNESSが監督を務めた「ディスコブラジル」のMVもとても素敵で。
王舟「そうそう、KINDNESSの編集はすごかった」
——王舟さんと同じく異邦人然とした視点だなと。
王舟「日本人の視点っぽくないですよね。すごく日常的な風景なんだけど、見たことの日常がそこにあるみたいな。編集自体はけっこうワイルドなんですよね。曲とリンクしてる瞬間もあれば、いきなりリンクすることをやめたり。曲と映像のテンポが合ってるようで合ってなかったりして。そこがおもしろい」
——まさにそれも不完全な美学というか。
王舟「うん、そういう感じですね。ズレてる感じがすごくいいなって。MVも曲と完璧にリンクしているからいいわけじゃないって思うんですよね」
——ただ、音楽の気持ちよさを十分に理解している人がズレを楽しむのと、リズム感のない素人がどうしようもなくズレてしまうのとでは、その位相は異なりますよね。
王舟「そうですね。でも、俺はどちらかというと、音楽を全然知らない人が生むズレを受け入れるほうがおもしろいと思うんですよ。ズレの気持ちよさ生むという意味では音楽をやってる人のほうが絶対いいと思いますけど。でも、その天然な感じを受け入れられる懐の大きさがあるかが重要だと思うんですよね。それは音楽に限らずいろんなカルチャーにおいてもそうだと思うんですけどね」
——なるほど。アート全般において。
王舟「そう。ただ、そうなると、結局どこに境界線があるか曖昧になるから難しいんですけどね。でも、自分が曲を作るうえでも無意識に生まれるものの気持ちよさは大切にしたいですね。“何かが降りてくる”ってそういうことなのかなと思うんですよね」
——知識や裏づける超えるインスピレーションというか。それは人が表現に向かう最初の動機かもしれないですよね。
王舟「そう思いますね。自分の人間性がそのまま出ちゃってるんだけど、自分でもそれをいいなと思える。そういうときに音楽で自分の役割を持てるような気がするんですよね」
——なるほど、それもまた王舟さんの不完全な美学に通じるかもしれない。
王舟「なんかちょっと自分が作る音楽を客観的に見てるもうひとりの自分がいる感覚があって。そいつが不完全なものを求めてる気がするんですよね。単にだらけてるだけなのかもしれないですけど(笑)」
——音楽として襟を正さなくていいよという自分がいるみたいな。
王舟「襟を正す目的があればするけど、わざわざ正す必要がないかなって」
——そういう感覚って音楽表現をする前からありましたか?
王舟「音楽を作り始めてからのような気がしますね。いや、でもどうだろうな? 小さいころとか、親戚のおじさんに飛行機の絵を描いてほしいと頼むと、おじさんはべつに絵が上手いわけじゃないけど、描いてくれるんですよ。その感じがよかったんですよね。絵のクオリティはどうでもよくて、おじさんが絵を描いてる姿が好きで」
——その行為や動作が。
王舟「そうそう。あとは、近所の人が鼻歌を口ずさんでいたりとか、そういうことってすごく日常的な行為や風景なんだけど、“大人の日常”とはちょっとかけ離れてる気がしていて。でも、俺はそうやって何気ない日常のなかで生まれたものが好きで。だから、今作も一般的な制作とは違う順序を踏んで作業を進めていくのがおもしろかったんですよね」
——二度とない一回性を謳歌している作品という趣が強い。
王舟「自分でもこういうアルバムをまた作ることはできないかもしれないなと思いますね。今作は『ここでこの楽器とこの楽器がぶつかったらどういう鳴り方がするんだろう?』という好奇心でいろいろ試したりして。それでこういうバランスになったというのもあると思いますね」