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石川竜一(写真家)×天野太郎(横浜市民ギャラリーあざみ野学芸員)「考えたときには、もう目の前にはない 石川竜一展」対談インタビュー

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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム

 

天野「カメラと今ということに話を戻すと、カメラという装置は政治家の欲望や誰かの欲望が全部入ってる。それは見えず、ただ便利ですよという風にしているだけで、さらにデジタルで言えば全てのアナログの写真好きの人たちの欲望を具現化したんで、人間はもはや何も考える必要がなくなる。どんどん退化していく」

石川「それは退化というかな、うーん……そういう動きだと信じるしかない。筆がカメラに変わったその時も、その筆の何かを継承しようとした瞬間があるわけで」

天野「今は本当に押せばいいから、暗いならレンズを絞ってとかそういうことをやることがない。そういう経験をさせないという意味。それが退化になるかはわからないけど、人は体を動かしてた方が退化しないので」

石川「だから人はそこでバランスとろうとしている。楽になった分、別のところで無駄に体を動かそうとする(笑)」

天野「本能的に。チャラにしないと人間は成り立たんようになっているみたい」

石川「それはめっちゃわかります」

天野「慣性の法則だけど、動いたぶん戻ってくる。元に戻ろうとする法則が働いている。例えばいくらでもお金を使ってもいいとなった時に、人間はバランス崩すよね。で、どこかで回収するというか、担保が欲しい」

石川「僕はどれだけでも金があるよとなったら穴掘ります」

天野「どこまでも?」

石川「どこまでも。ありったけの金を使って穴を掘りたいです」

天野「僕の友達は地球に穴あけて楔を作ると言ってた。真顔で」

石川「僕はそこまではちょっと、うーん……できるだけ大きい穴あけて、何百年か経った後に誰かが友達とか家族とかと一緒に崖の上に立って、『向こう側ってどうなってるんだろうね。そういえばこの盆地って人が掘ったらしいよ』って言ってもらいたい(笑)。そういう意味のないことが最高に面白いんじゃないかと思ってる」

——それは今自分がやっている写真にも通じているんですか?

石川「部分的には。今話したことを含めて、何もしないで自分が得る利益と、行動を起こして利益を得ないバランスのとり方って感じじゃないですか。穴は掘ったらどこかに山ができる。何も考えずに好きなことをやれたら、くだらないものを作ってしまったり、どこかで何かのバランスとろうとするんでしょうね。あり余る何かがあれば、体を動かして無駄なことをしようとするんだろうなと」

——それが今の時代に自分がやりたいことですか?

石川「いや、今言ったのは具象的な現象で、僕が求めたいのは女性の中にあるかもしれない」

——子供を産むことへのリアリティ?

石川「とか、女性が子供を産んだら変わると言われることの中にある何かかもしれない。僕にはそれがわからない。想像はできても、言葉にするまでのリアリティがない」

天野「言葉の代用で人間は色んなことしている。泳ぐ人も、写真撮る人もいる。それが好きなんだよとは言うけど、でも本当のことは何も伝わっていない」

石川「そう。それが今回の『考えたときには、もう目の前にはない』という展示タイトルなんです」

天野「写真を撮ることがある種の欲望に繋がっていくというのはなんとなくわかる。でもその間を言葉で埋めることができないですよね。埋めた瞬間に音楽やるやつも写真やるやつもいなくなる」

——そしてそれを考えることをやめてもそうなると思います。

天野「なるね。人間が終わるだろうね」

石川「そうだと思います。僕なんか、答えがないことを考えることだけが理由。それだけ」

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考えたときには、もう目の前にはない/2014~2015年/ピールアパートタイプフィルム

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