−—では、Suchmosとして活動を始めたのは?
KCEE「公式には2013年1月にしてるんですけど、実は区切りがいいからそういう風に言ってるって感じで……」
YONCE「実際のところは誰も覚えてないんですよ(笑)」
OK「ただ、最初にバンドをやろうって言い出したのは俺で、それでHSUを誘ったんですよ。その時、YONCEは別のバンドでヴォーカルをやってたんですけど」
YONCE「ゴリゴリのロック・バンドで歌ってて」
OK「だけど、YONCE以外にヴォーカルが考えられなかったんで、口説いて入って貰ったんですよね。TAIHEIは最初はサポート的に手伝って貰いながら合流して。それで、最初はHSU/YONCE/OK/サポートのTAIHEI、それから前任のギターっていう体制でしたね。KCEEも帯同はしてたけど、映像班として参加して貰ってて」
KCEE「MV作ったりしてましたね」
——その構成で2014年にはフジロックの「ROOKIE A GO-GO」に出場してるよね。
HSU「今のマネージャーが僕らをライヴで見つけてくれて、そこで、『<ROOKIE A GO-GO>に応募してみたら?』ってアドバイスをくれて。そしたら合格したんで、出演して……って感じで。でも、当時は積極的にライヴをやってたって訳じゃないよね」
KCEE「誘われて、月1~2って感じだった」
TAIKING「しかも友達に誘われて出るぐらいで」
ーーSuchmosで名前を上げるというような意識は強くなかった?
OK「そんなに強くなかったですね。だけど、フジロックに出れたのが、1stシングル『Essence』やアルバム『THE BAY』を作るキッカケになりましたね」
−—「Essence」は2015年4月のリリースだけど、その手応えは?
OK「正直、納得のいく作品ではなくて。その時には『THE BAY』を出す計画は既にあったんですけど、当時のやり方や構成では、自分達の頭の中にある音楽は、再現出来ないって事に気がついたんですよね。それで、当時のギターよりも、TAIKINGがSuchmosには必要かつ力強い存在だったんで加入して貰って、KCEEもDJとして加入させて。それで、その6人のメンバーでスタジオに入ってセッションしたら、『これは……俺ら最強だろ!」って実感と仕上がりになったんですよね。それで出来たのが“YMM”で」
YONCE「バンドとして振りきれたのはあの瞬間だったよね」
OK「この6人になる事は必然だったって確信が生まれたんですよね、その瞬間に。航路が見えたって感じでした」