——クールな音楽性からは想像つかないけど、実は武闘派グループなんだ(笑)。
OK「それで、時間があるとTAIKINGと一緒に、島村楽器で展示品の電子ドラムを叩きに行くっていう(笑)。その流れで、中学は吹奏楽部で打楽器をやってましたね。家族はドリカムとか宇多田ヒカルとか聴いてたのもあって、普通にJ-POPを聴いてて、自分で最初に買ったのはミスチルでしたね。だから、ごく普通の音楽の入り方だったと思います」
KCEE「でも、ホイットニー・ヒューストンとかエル・デバージとかもウチでかかってたよね。僕が音楽に興味を持ったのは、中1の頃にOKとTAIKINGとバンドを組んでたHSUに出会って、彼からジャミロクアイのCDを借りたんですよね。それが衝撃で、そこから本格的に音楽にハマっていって。楽器はベースをやってたんですけど、ジャミロクアイの影響でDJを始めて」
——ではジャミロクアイを伝道したHSUくんは?
HSU「ウチは家族が海外かぶれなんで(笑)、スティービー・ワンダーとか、スティーリー・ダンとか、そういうのばっかり聴いてきましたね。ジャミロクアイも5歳ぐらい聴いてました。“Virtual Insanity”とか。だから、邦楽を全然聴く機会がほぼ無くて、それは未だに続いてますね。楽器は、幼稚園の頃にクラシック・ギターを習ってて、小学校の時はさっき話に出た校務員さんにTAIKINGと一緒にドラムを習ってて。ベースは高校から始めましたね」
——なるほど。そういった近いような遠いような音楽遍歴や嗜好が、摺り合ったのはどういうタイミングで?
KCEE「あの2012年の夏休みだよね」
——ハハハ。そんな具体的なタイミングがあったの?
OK「この6人はずっと連んでるですけど、その絶頂期が2012年ぐらいで、とにかくその夏は、ひたすらOK/KCEE宅に集まってたんですよ」
KCEE「マジで週6ぐらいでこのメンバーで会ってたよね。しかも昼も夜も関係なく集まってて」
TAIHEI「体がくっついちゃうぐらい、一緒にいたよね」
OK「その期間を『修行期間』って呼んでて(笑)。とにかく、ひたすら音楽を聴いてたんですよね」
KCEE「病気になるぐらいみんなで音楽聴いてて。聴きすぎで体調悪くなるから、せめて体動かそうって理由で、スケボーを始めたり。でも、結局スピーカー持ってくんで、外でも音楽聴いてるんですけど(笑)」
HSU「ロバート・グラスパーやディアンジェロ、それよりももっと深くて黒い所も聴いてたんですけど、一周して聴いたジャミロクアイがやっぱりスゴかったんですよね。『何だ、このポピュラリティがある構成は!』って」
OK「で、そこからまた遡って、ジャミロクアイが影響を受けた80年代~70年代の音楽を掘っていったり」
ーーその意味では、音楽性を摺り合わせたというよりも、その合宿期間で、格好いい音楽ってこういう感じだよね、みたいな感覚が、自然と共有されていった感じなんだね。
HSU「そうですね。勝手に整ったって感じです」