Lui Magazine / David Bellemere
――その決断は大きいですね。
Ayami「自分でやりたかったんですよ。私が出来るショーなんて、オフスケジュールの本当に小さいショーだけど、それでも自分でメイクを決めてアシスタントにデモンストレーションをやってというのはすごく充実感があった。いつまでたってもアシスタントじゃなく、自分でやらないとという意識が強かったんです」
――ああ、そうですよね。アシスタントは師匠のメイクをやるわけで、自分のものではない。
Ayami「そう。アシスタント時代に、イヴ・サンローランの一番最後のクチュールのショーもやったんです。最後にサンローランがキャットウォークを歩いて、そこでカトリーヌ・ドヌーヴが娘と一緒に歌って。もう大感動して、みんなで泣いて。あれは今思い出しても涙が出ます。絶対にずっとやっていこうって思ったんですよね、あの時に」
――でもそれはアシスタントとしてではなく、自分の力でまたここに来よう、という気持ちだった。
Ayami「はい、将来は自分もこれくらいのショーをヘッドで出来るくらいのアーティストになりたいと思いました」
――アシスタントを辞めてからはどのような仕事を?
Ayami「ショーをやったり、カタログやいろんな撮影も入ってくるようになって。その頃、仕事でミラノに頻繁に行くようになっていたんですが、ミラノのスタイリストやヘアドレッサーなどいろんな若手がいるグループと友達になったんです。GIVENCHYのデザイナーになったリカルド・ティッシともその頃に知り合って、よく家に泊めてもらったりしてました(笑)。そのグループの紹介でクロースアップというエージェンシーにも入って。ICEBERGやMARNIのショーもやりました。リッキー(リカルド・ティッシ)とは今でもたまにバッタリ会うから、『元気ー?』って挨拶しあって。面白かったですね、いろんなことが。
そこからまた大きな出会いがあって。パリに行っていた時には必ず行く、マレにの小さなヴィンテージの本屋があるんです。高いんだけどとてもいいコレクションを置いていて、パリに行ったら毎回そこに通っていたんですが、そこでたまたま写真家のマリアーノ・ヴィヴァンコと知り合って意気投合して。彼もロンドンだったから、戻ってからはマリアーノと一緒に撮影するようになったんです。それが10年くらい前なのかな。マリアーノはニコラ(・フォルミケッティ)と仲が良かったのでニコラとも一緒にやるようになって、ちょうどニコラが『DAZED&CONFUSED』をやり始めたところだったから、一緒に毎月カバーもやったし、いくつもファッション誌のカバーをやり始めて、その辺りで風向きが良くなったと思います。今は『VOGUE』などで美しい写真を撮っているけど、その頃はマリアーノもコンセプチュアルなストーリーをやってたから、メイクもカラフルだったり思いっきりやってました。その頃マリアーノがドミニコ・ドルチェと仲が良かったので、ドルチェ&ガッバーナのメンズとレディースのルックブックをやったり。少しずつそういう仕事も入ってくるようになったし、お金がもらえるようになってきて。マリアーノに出会ってから突然忙しくなって、メイクも面白い要求に応えようとしていろんなことを考えるようになりましたね」
――メイクに関して、マリアーノの意見に従うことが多かったんですか。それとも彼はアイデアを投げて欲しいという感じなんですか?
Ayami「マリアーノはアイデアがたくさんあるから、自分がディレクターとして立ってリーダーシップをとっていくタイプ。彼はメイクも好きだからストーリーに合うメイクを考えてくるんだけど、例えばこういうことも出来るよというアイデアはすごく喜ばれます。でも実際にモデルとメイクルームに入ったらまたアイデアがどんどん出てきて、全然違うことになったけどもっと良くなる、そういうことが多かったですね。楽しかったです。すごくエネルギーが高くて、仕事が早い」
――『DAZED』をやり始めたのが2005年くらいですよね。それまでミラノでの仕事が多かったのが、ロンドンベースになって。
Ayami「そう。その辺からだんだんミラノにも行かなくなって。エージェンシーも辞めて、まだひとりでずっとやってたんだけど、NYのJedrootがロンドンにオフィスをオープンすることになったので所属しました。ロンドンで初めてのエージェンシーで、3年くらい入ってましたね。その時は、Jedrootがすごく話題になって、私がロンドンで一番最初に入ったから、みんな私とやりたくてすごくオプションが入ったんですよね。そこでまたステップアップしたって感じかな」
L: Italian Vogue / David Dunan R: Magazine Antidote / Daniel Sannwald