Ayami Nishimura By Rankin
「DAZED & CONFUSED」を筆頭に「VOGUE」「PURPLE」「ANOTHER MAGAZINE」など錚々たるマガジンのカバーを手がけ、ランキンやエレン・ヴォン・アンワースなどのフォトグラファーに指名される日本人メイクアップアーティスト、それがAyami Nishimuraだ。美容室のバイトからスタートした彼女がどのようにキャリアを築いたのか、そして独創的な作品はいかに生まれるのか。Ayami Nishimuraにロングインタビューを試みた。
――Ayamiさんは美容室のチラシ配りのバイトからキャリアをスタートされたそうですね。
Ayami「そうです。高校の時に割がいいからという理由で始めて、特にやりたいこともなかったので卒業後もインターンみたいな感じで通っていたら面白く思えてきて美容師になると決めました。実家が姫路なので大阪の美容学校に行って、学校の紹介で東京のお店に就職して6年ほどで技術者になったんです。技術者になる勉強と同時に、夜は英会話を勉強してという生活を3年ほど続けて、ロンドンのヴィダル・サスーンのスクールに入りました」
――なぜロンドンへ?
Ayami「子どもの頃から映画などで観る西洋の生活に憧れていたんです。私は狭い家に家族がひしめきあうというステレオタイプな日本の家庭で育ったんですが、それがすごく嫌で、向いてないなと思っていて(笑)。あと、兄がビートルズ好きで、その影響で私も7、8歳の時から毎日一緒に聴いてて『絶対にロンドンに行って、こういうカッコいい人たちと出会う』と決めてたんです」
——実際に行ってみていかがでした?
Ayami「英語はさっぱりわからなかった(笑)。それに3ヵ月間のコースを申し込んだものの半年経ってもまだ何も掴めていないという感じしかしなかったので、納得がいくまでいようとビザを延長しました。それで、サスーンの先生が紹介してくれたサロンに合格してロンドンで働くようになったんです。
その頃、新聞の募集覧で見つけた人とルームシェアしてたんですよ。セルフリッジズ(百貨店)のウインドウディスプレイをやっている人で、その友だちの中にフォトグラファーの卵みたいな人がいて、テストシュートを手伝ってと頼まれたんです。いざ行ってみたらその人とモデルしかいなくて、メイクもスタイリングもセルフという状態だったので、以前からメイクにも興味があったし、ヘアとメイク両方やったんですね。そしたらそのフォトグラファーがまた違う人を紹介してくれて、という感じで撮影を続けていたら、1年くらいでメイクのポートフォリオみたいなものが出来たんです。今見たらどうしようもないブックだったけど、その時はそれが素晴らしいと思っていたから、いろんなところに電話をかけまくって見せに行きました。それくらい熱心にやってると、『面白いから雑誌で1ページやってみる?』とか、新人のミュージシャンの撮影とか、そういう依頼が少しずつ入って、繋がっていくようになったんです。
ちょうどそのタイミングで、働いてたサロンが移転のために半年間クローズすることになったので、ヘアはやめてフリーランスのメイクアップアーティストになると伝えて円満退社しました」
L : Vogue Japan / Ellen Von Unwerth R : Vogue Brazil / Mariano Vivanco