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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#25 富山発熱

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富山での宵の口に暖簾をくぐった回転寿し店は当たりで、のどぐろは絶品だったし、白身も赤みも青魚もなんでも美味かった。すっかり富山の夜を一人でささやかに堪能し、ホテルに戻って、体温を計るときっちり上昇していた。
これは仕方がない。消化には多大なエネルギーが費やされ、体を正常に戻すために使われる分が消化に持っていかれてしまうためである。代替医療でよく言われるように、不調時は食べずに治すのが基本であって、食べれば容体は一時的に停滞か悪化するとされている。
でも、気を充実させることも大切だろう。美味しく身体に負担をかけないものを選んで少量いただくのは、元気の素ではないだろうか。ということで、今夜は美味しかったのだ。その代償に一時的に0.5度ほどの体温が上がろうが構わなかったのだ。
「何故僕はこんなところに」というのは、トラベルライターのチャトウィンの言葉か書物のタイトルだが、富山のビジネスホテルの一室で北陸魚の旨さを思い出しつつ、手を伸ばせば届きそうな冷蔵庫やテレビのスイッチを入れずに、こうして原稿を書いている自分の逆像をデスク付きの鏡に見るたびに、その言葉があまりにもぴったりすることに、ちょっと笑ってしまう。「なぜ僕は富山のビジネスホテルに」なのだ。
しかし、全てに理由があるのなら(実は大方の出来事に理由なんてないのだが)今、ここにいることは、何かそれなりの神様の意図があるに違いない。今度はこっちが神様に前貸しする番なのではないだろうか。
私は、飛行機を乗り継ぎ、タクシーに揺られて、今ここにいるわけだが、途中イカになりながらも、ヒーリングのことを考えていた。発熱した時の対処法をいろいろやってみた。たとえば、ツボを押したり、ホメオパシーの最適と思われるレメディをとったりなどなど。だが、いまひとつ効かないのだった。全くというわけではないのだが、いまひとつなのだ。つまりこれは、自分の体調が自分の想像範囲とズレてしまっていることを意味していると考えた。アンコントロール状態というやつである。昨日まで自分の身体として捉えられていたのもがずれてしまっているというのは、芸術的な言説としては洒落ているが、実存的な対象としては、特に体調不良時にはちょっとやっかいだ。
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