NeoL

開く

一十三十一&弓削匠『THE MEMORY HOTEL』インタビュー

hitomitoi1

「媚薬系」とも称されるシルキーな歌声と洗練されたアーバン・サウンドがジャンル横断的に高い評価を受けている一十三十一。2012年リリースのアルバム『CITY DIVE』以降、日本のシティポップ・ムーブメントを代表するシンガーとしての地位を確固たるものとした一十三十一の最新作『THE MEMORY HOTEL』は、これまでとはひと味違った、ミステリアスな一面をわたしたちに見せてくれる。このインタビューでは、一十三十一と、『CITY DIVE』以来アートディレクターとして一十三十一作品のコンセプトの元となるストーリーやビジュアル面を担っている〈Yuge〉デザイナー・弓削匠に話を伺った。

 

ーー今回の『THE MEMORY HOTEL』は長い制作期間を経てのリリースですよね。内容もこれまでとはずいぶん変化が感じられました。 

一十三十一「そうですね。『THE MEMORY HOTEL』は、『CITY DIVE』以降のアルバムと全然違う世界観で作っています。『CITY DIVE』(2012年)は、「東京横浜間の夜7時から朝7時までのデート」、そういう映画の架空のサントラというコンセプトで、ここから「ビルボード レコーズ」での一作目がスタートしました。あいだに『YOUR TIME Route 1』という邦楽のカバーアルバムを挟んで、続くオリジナルアルバムが『Surfbank Social Club』(2013年)と『Snowbank Social Club』(2014年)。ホイチョイ・プロダクション・オマージュのこの2作までは、既存の景色のなかでの物語なんです。横浜、湘南、ビーチ、ゲレンデといった、すでにそこにあるものの物語。今回の『THE MEMORY HOTEL』は、それとは違って非現実的な世界観です。なので、作詞も大きなチャレンジのひとつでした。今までだったら例えば横浜なら、「第三京浜に乗って中華街に寄って、こっち側に海が見えて、ベイブリッジがあって……」みたいな地図があるなかで歌詞を考えていくのですが、今回は自分で地図を書いていくところからの作業だったので、時間もかかりましたね」

ーー前作までは確かに具体的な場所を伴った、いわゆる「あて書き」のような感じでしたね。

 一十三十一「クルマに乗っていたり、クルマのウインドウから見える景色をデッサンしていくと、なんとなく8曲位書ける! みたいなところがあったんですけど(笑)『THE MEMORY HOTEL』は、ある日たまたま弓削(匠)さんがSNSにアップしていた写真を見て、そこからインスパイアされた作品なんです」

ーーどんな写真ですか?

一十三十一「砂丘で撮った写真です。弓削さんがディレクションしていたブランドのファッション撮影かなにかのときの写真だと思うんですが、トランクが写っていて」

ーーいつ頃見たんですか?

 一十三十一「2013年の秋です」

ーー結構前ですね!

 一十三十一「そう! 結構前から温めていたんです。『CITY DIVE』のプール、『Surfbank~』の海、『Snowbank~』のゲレンデと来て、次は”砂漠ジャケ”がいいな、というところからスタートしました」

弓削匠「僕もずっと砂漠で撮りたいっていうのがあったので、なんかのタイミングで話をして『やろうよ!』と」

一十三十一「最初は漠然と『非現実的な世界観でフル・アルバムを作ってみたいな』という感じだったんですけど、その頃がちょうど『Snowbank~』のプロモーション時期だったんですね。プロモーションということで、ラジオなんかに呼んでいただいていろいろ喋るわけなんですが、InterFMでやってた鈴木哲也さん(『ハニカム』編集長)の番組に出させていただいたとき、鈴木さんが『一十三十一、大貫妙子さんみたいなミステリアスな路線もいいなぁ』『ミステリーとかアーバンなんじゃない⁉︎』って仰ってて『なるほどなぁ』と思って、そこで『砂漠』と『ミステリー』がわたしのなかでつながったんです。それで、2014年のはじめ頃にはなんとなく『砂漠のミステリー』でアルバムをというアイディアは浮かんでいたんですが、なかなか大きなチャレンジになるので、その年の夏は無理だな、じゃあ2015年に向けて作っていこう、となって。2014年の冬に弓削さんとミーティングして『砂漠のミステリーがいい』『砂漠ジャケでやりたい』という話をして、それを受けて弓削さんがいつものように脚本から書く、ということになりました。わたしが『これまでみたいなクリアなイメージよりも、もうちょっと非現実的でアンニュイな感じーー夏を駆け抜けた大人な感じ』みたいな話をしたら、弓削さんから『ホテルっていうキーワードがいいんじゃない?』という提案をいただいて、『あ、いいですね!』と。そこから脚本を作ってもらって、今年のあたまあたりからその脚本が徐々に上がってきたのを制作陣、作家に渡して、という流れですね」

hitomitoi6

1 2 3

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS