——タムくんが最初に来日したときは日本に対してどんな印象を受けましたか?
タム「初めて日本に来たのが2003年で。そのときは日本語も全然しゃべれなかったし、日本人の世界に入れなかった。日本のことはめっちゃ好きなのに難しいなって。デパートの店員さんとかめっちゃ丁寧じゃん? 何かを訊いたらすごく丁寧な言葉で答えてくれるんだけど、僕はそんな丁寧な言葉は知らなかったから」
——敬語に違和感を覚えたんだ。
タム「そう。あと、日本に来る前は、日本=『ドラえもん』だったから。マンションが多くて、『あれ〜? 『ドラえもん』に出てくるような家がないなあ、スネ夫くんの家ないなあ』って思ったし(笑)」
——確かに『ドラえもん』の街は一軒家ばかりだしね(笑)。
タム「そうそう。あと、日本人はみんな歩きながらゲームしてるのかなと思ってたけど、実際に日本に来てみたらみんながゲームのことを知ってるわけじゃないし、みんながマンガを好きなわけじゃない。大人が多いなって思った」
Salyu「ああ、なるほど。日本ではマンガやゲームを取り分け愛してる人たちはオタクと呼ばれたりするからね」
タム「そこはタイと全然違う。タイは日本みたいにマンガ(作品)が多くないからジャンル分けもなくて、オタクみたいな人はいないんだよね。日本はマンガが多いから、ジャンルを分けなくちゃいけないじゃん。これはこれって分けないと頭が混乱しちゃう。でも、ジャンルを分けるのはちょっと寂しいと思った。日本にマンガがいっぱいあるのはうれしいんだけど、『ああ、僕はマンガの世界に入っちゃったなあ』って思った。いろんなマンガがあるし、フィギュアとかもすげえなって思ったけど、その世界に入りすぎちゃうと普通の生活を忘れちゃうなって」
Salyu「ああ、タイのほうが日常とマンガが地続きにある感じなんだ」
タム「僕はそういうことを感じながらマンガを描いてるから、僕のマンガは普通の生活をしてる人でも気軽に読めると思う」
Salyu「そうだね。そう思う」
タム「ひとつの世界に入りすぎるのは怖いなと思う。仕事だってそう。人生は仕事だけじゃないし、仕事だけの世界に入っちゃうと夢がないよね。日本に来てよかったなと思ったことは、自分が違う人になれたような気がしたから。日本語学校に通ったら、ネパール人とか中国人とかいろんな国の人がいて、みんな自分のことを知らないし、ただの人間になれたのが超うれしかった。ホントは自分のことを誰も知らない状態がいちばん気持ちいいと思うし」
Salyu「そういう状態がいちばん自由だよね。タムくんが言ってることはよくわかる。社会の中で、私だったらSalyuというアーティスト名があって、立場があって、そこにいろんな責任が生まれる。しかもその責任という色彩の中には、過去や未来が含まれていて、『人は自分のことをこう思うから、こうなるべきだろうか?』とかいろいろ考えちゃうんですよね。そういう発想に寄りすぎると、自分で自分の可能性を狭めてしまうこともあると思う。だからいつでも変化できる自分でいることはすごく大事だなって思う」