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FPM 『Moments [Best 45 fabulous tracks by FPM]』× バニラビーンズ「女はそれを我慢しない」インタビュー 

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——その「こんなこと」「ノルマ」については後にお話を伺わせていただきますが、確かに、アイドルでキャリア8年というのは、決して短くはないですね。

レナ「レーベル移籍だったり、数年に一度ずつぐらい危機はあるんですよ。まず、デビュー(2007年)から三ヶ月でメンバーが変わって、いきなり第一の危機を迎えてますからね(笑)」

リサ「私は二期メンバーなんですよ」

田中「そうなんだ!」

レナ「セカンド・シングル『ニコラ』(2008年)からこの二人で活動することになって」

リサ「それで、最初のレーベルでベスト盤『VaniBest』(2010年)を出して契約が満了した時に、『これは解散フラグだ……』ってざわついて(笑)。だけど、タワーレコードの『T-palette Records』に第一弾アーティストとして参加させて頂いて活動を続けて、今回のシングルからは、avexに移籍する事になって」

レナ「継ぎはぎ継ぎはぎですね、バニビのキャリアは(笑)」

リサ「それをファンの皆さんやスタッフと一緒に乗り越えながら、ここまで来たって感じです」

田中「バニビは仲良しだよね。表面上だけかもしれないけど(笑)」

レナ「いやいや!表面上じゃなくて仲いいですよ!(笑)」

田中「僕が20年やってこれたのは、メンバーが1人だから。バンドやってた時は喧嘩してたけど、FPMは1人だから当然喧嘩もしないし、解散も出来ないから。グループだったら続けてこられなかったかも知れない」

リサ「でも、逆に言えば『バニビは2人しかいないから』っていうのがあるんですよ。1人でも抜けたらバニラビーンズじゃなくなるから、この2人で頑張るしかないんですよね」

——バニラビーンズはこれまで様々な楽曲をリリースされてきましたが、その中では渋谷系の楽曲のカヴァーや、その系譜を受け継ぐような楽曲を発表されてきましたね。

リサ「2009年にカジヒデキさんの“ラ・ブーム ~だってMY BOOM IS ME~”、ORIGINAL LOVEの“接吻”、pizzicato fiveの“東京は夜の七時”をカヴァーさせて頂いたのがキッカケで。でも、当時は『渋谷系? なにそれ?』っていう感じで、全く知らないカルチャーでした。その時代に青春だった人には懐かしい音楽だと思うんですけど、私達はとっては新しい音楽だったし、こんなワクワクして、キラキラした音楽があるんだって驚いて。10年以上前の音楽なのに、全く古さを感じない、新鮮で新しい音楽でしたね」

レナ「私たちは『北欧の風に乗ってやってきた』っていう<設定>があって(笑)、そこでスウェディッシュ・ポップの流れとしても、原田知世さんやカジヒデキさんの曲を歌うようになったんですよ」

——原田さんをプロデュースしたトーレ・ヨハンソンが手がけたCardigansやCloudberry Jamは、渋谷系にも大きな影響を与えましたね。

田中「スウェーデンの感性と渋谷とリンクしたタイミングがありましたよね。渋谷の隣がスウェーデンぐらいな(笑)」

——渋谷と原宿の間にスウェーデンがあった時代はありました、確かに(笑)。ネオアコやギターポップの流れも含めて、ああいった爽やかな楽曲が、advantage LucyやCymbalsなど、渋谷系と括られるバンドには多かったですね。

レナ「私はJ-POPで育って来たから、最初は戸惑いましたね。スゴく『いい曲』なんだけど、抑揚や強い部分が無いから、どこで気持ちを盛り上げたらいいんだろうって。そういう、未知の音楽ではあったんで、渋谷系の曲を歌ってるんじゃなくて、バニビの曲を歌ってるんだって思ってましたね」

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