——志磨さんどうですか、そういう話を聞いて。
志磨「いや、悪影響を与えたなっていう(笑)。洗練されてたほうがよかったんじゃないかな(笑)」
コウキ「いやいやいや」
志磨「でも、今回のOKAMOTO’Sのアルバム(『OPERA』)でさ——すげえうまく話を進めますけど(笑)——コウキが作った曲(「ハーフムーン」)は洗練されてる感じが前に出てるんだけど、間口を広げるというよりは、音楽が好きな人たちに向けて作ってる感じだよね」
コウキ「実際、10人中5人がなんとなくいいと思う曲を作るより、1人がものすごく好きになるような曲を作りたいと思って」
——アルバムとしてもそういう作品になったらいいと言ってましたよね。
コウキ「そうです」
志磨「その感じがすごくいいなと思ってね」
コウキ「今回のアルバムは歌詞もすごく泥臭くて。本当はずっとこういうことをやりたかった。根底にマリーズへの憧れという部分もありますし」
志磨「そっか、そっか」
コウキ「そのバランスが難しい。いろいろな音楽を知っているし、頭でっかちなところもあるので、いつも泥臭くいきたい思いとロジカルに音楽を作りたいという思いの間で揺れるというか。そういうところが東京生まれ東京育ちのバンドらしいのかなと思うところもあります」
志磨「そこはお互いないものねだりかもしれないね。僕はどうやってもやっぱりフィジカルに寄ってしまうところがあって。僕がOKAMOTO’Sを好きな理由のひとつにロジカルに音楽を作って、それについてちゃんと話をできるというのがあって」
コウキ「ありがとうございます。初期のマリーズのフィジカルに振り切れたライヴを観た者としては、そこにすごく憧れがあって。でもなかなかできるものじゃないよなとも思っていました」
志磨「自分ができないと思うとやりたくなるしね」
コウキ「なので志磨さんから受けた影響は絶大ですよ」
——OKAMOTO’Sは今回初めてライヴのことは考えずに作品至上主義に則って『OPERA』を制作したと。ずっとライブのことを念頭に作品を作り続けてきて、あるタイミングでモードチェンジするというのは志磨さんにもあったんじゃないかなって。
コウキ「やっぱりそういうタイミングはありましたか?」
志磨「うん、あるある。やっぱりもともと60年代の音楽が好きだと、スタジオワークの魅力が凝縮された『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』(ザ・ビートルズ)とか『ペット・サウンズ』(ザ・ビーチ・ボーイズ)みたいな作品は当然聴いてるわけで。だから、僕はそこで板挟みになるというよりは、全部やりたいと思っちゃうから(笑)。ライブではそれを(ザ・)ストゥージズみたいにやりたいってなっちゃうんだよ」
コウキ「わかります」
志磨「で、OKAMOTO’Sはロックンロールをルーツにしてるバンドなんだけど、スタジオワークを密にやれるだけのテクニックと知識があるというのは、実はけっこう珍しくて。それこそ渋谷系の人たちってスタジオワークのノウハウはあるけど、フィジカルが欠落してる部分もあるじゃない?」
コウキ「演奏が拙かったり」
志磨「そうそう、編集は上手でもね。ロックンロール至上主義の人たちはそれをあまりよしとしないというか。『やっぱりライヴがよくなきゃダメでしょ』みたいなことを言ってね。とりあえすツアーに出て、毎晩酒を飲んで、その行為がそのまま音楽になるというか。それが彼らのすべてなんですよね。スタジオワークって結局嘘じゃん、っていう発想があって」
コウキ「そうですね」
志磨「一方で、実際は鳴らないような音像を作って、ありえない響きをレコードの中で鳴らすというのがスタジオワークの醍醐味でもあって。その両方をできるバンドは少ないんですよね」
コウキ「でも、志磨さんも両方できる人ですよね」
志磨「好きだから両方やりたいんだよね」