——みんなと話が合わなくて、寂しくなかったですか?
UCARY「あまり気にしてなかったな。悩んでも、ひと晩寝たらたいてい忘れちゃってた。同年代の子と話しても面白くなかったし、家に帰ると楽しいからまぁいいかって。幼稚園では先生と話したり、大人とばかり喋ってたよ。小学校中学年くらいになると、やっと話が合う友達ができてずっとその子と仲良くしてたな。外であまり話さない分、家ではひたすら喋っていて、“今日はこんな夢みたよ!”とか、頭の中にある世界をずっと話してるような子だったの。“水になりたいんだけど、どうやったらなれると思う?”なんて言ったり。後で聞いたら、お母さんたちは“おかしなこと言ってるけど大丈夫かな?”って心配してたみたい。でもその時は頭ごなしに否定するようなことはなくて、“どうやったらなれるか一緒に考えてみようか”ってちゃんと私の話に付き合ってくれた。学校や友だちの悩みを相談したりはしなかったけど、“一緒になにか作ろう”って親が言ってくれてそれをしているうちに気分が変わって悩みを忘れてたの」
——お父さん、お母さんと仲が良かったんですね。
UCARY「うん。お父さんは工作が得意で、紙粘土で恐竜を作ったり、いろいろ楽しい遊びを考えてくれたよ。デザイナーなんだけど、もともと美大を出ていて、手先がすごく器用なの。面白いおもちゃを一緒に作ってくれたり、絵も描いてくれたり。実は私のCD『NEW DANCE』のジャケットのイラストもお父さんが描いてくれたの。お母さんは、私がときどき言う不思議な発言を常に言ってるような人(笑)。発想が人とは違う。お母さんは初恋の相手だったお父さんと結婚して、働いたことはないんだけど、お爺ちゃんとお婆ちゃんの面倒をひとりで看ていたり、メンタルはものすごく強いと思う。
あのね、私が初めて作ったのが“ママ”っていう曲なの。エイミちゃんと同じくらいの歳かな。母の日に家族の前で歌ったら、ママが “ありがとう!”ってハグしてくれたのを覚えてる。当時は家のリビングが私のライヴ会場で、自分で作ったチケットを家族に配っては、みんなの前で歌ってた(笑)。今思うと、やっぱりちょっと変だよね。上京して距離ができてから、“ウチの家族はちょっと変わってるな、大丈夫かな?”って、改めて気付いた感じ(笑)」
——Maaちゃんはどうして料理人になろうと思ったんですか?
Maa「私ね、食いしん坊なの(笑)」
一同(笑)
Maa「料理人になろうと思ったのは、小さい頃から美味しい物が大好きで、自分で作れば自分の好きな物、美味しい物がいっぱい食べられると考えたから(笑)。もともと家が海鮮問屋だったので、食卓には毎日新鮮で美味しいお魚が並んでた。海鮮問屋ってわかる?」
——ううん。
Maa「レストランとかの人がお店に入れるお魚を買いに来る所だよ。そういう仕事柄もあって食べるのが好きな家族だったから、しょっちゅうみんなで外食をしてたの。初めてフレンチレストランに行ったとき、コックさんの被ってる白くて長い帽子を見て、“なんてカッコイイんだろう!”って憧れたのがそもそもの始まり。でもそこで料理人になろうってハッキリ決めた訳ではなくて、ぼんやり頭の中で描いていた感じだったんだけど」
UCARY「確かにコックさんの帽子って子ども目線で改めて考えるとかっこいいですよね」
Maa「そう、ビシッとしたコックコート着て、たかーい帽子をかぶってるのがすごいかっこよかった! そういえば妹は三歳のとき松尾芭蕉の帽子に憧れて、“俳句を書いて旅をしたい”って言ってたからふたりとも帽子に憧れたみたい(笑)」