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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#16 夕日

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夕日を見る事は、一日を振り返る事だ。そして、夕日を見る事は、明日を思う事だ。

いきなりの格言調だけど、夕日には人を目の前のいざこざから引き離して、遠い日の自分へと戻してくれる優しさがある。

人生を計る術はいろいろあるけれど、夕日をその基準とするならば、人生とは夕日と夕日の間にある些事の重なりと言えるだろう。

旅に出れば、その地で手にする地図の多くには、サンセットスポットなるものが記されていて、誰もが夕日に惹かれていることがよく分かる。

なぜ、人は夕日に惹かれるのだろう?

言葉を失くすその美しさには、癒しの力がある。地平線や、ビルの谷に日が沈む瞬間だけは、誰もが口をつぐみ、静寂に委ね、美と一つになる素晴らしさを体験しようとする。誰かに教わったわけでもないのに、幼少の頃からずっと変わらずに、日没の時は口をつぐんでしまう。

おそらく太古の人類も夕日を眺めてきただろうし、未来の人も眺めるだろう。

興味深い事に、自分の飼っている猫と犬は夕日を眺めたりなどしない。犬や猫ばかりでなく、おそらく人間以外の動物は夕日に惹かれていないようだ。カラスにいたっては家に帰るのに忙しいばかりだ。

それは、彼ら動物と違って、人間だけが美しさを認識するからだと思う。認識するということは、対象との隔たりがあるということだ。つまり、人間だけが美を生きていないと言えるだろう。

カラスや犬や猫は、夕日に涙ぐんだりしないのだ。

人間だけが世界を細切れにし、一つ一つを取捨し、名札をつけ、時には効率よく、時には感情的に、対応している。

カラスや犬や猫は、もっと世界と一体となって生きていて、夕日などの自然現象は彼ら自身とほぼ同じだろう。つまり境の感覚がとても曖昧で薄いと思う。もちろん敵となる同種の個体や、エサとなる異種の個体への識別はしっかりとあるが、こと自然現象に対しては、ぼんやりと捉えていると思う。

これはあくまで個人の推測にすぎないが、この推測を前提にもう少しだけ話を進めてみたい。
2ページ目につづく

 

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