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The SALOVERS『青春の象徴 恋のすべて』インタビュー(前編)

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——友人ではなくバンドメンバーであることを意識するのがつらかったということ?

古舘「そういうことだと思います。だから、正直スタジオもしんどいし、本番前はまったくしゃべらないままライブをやったりしてましたし。だから、結局僕ら4人ってバンドメンバーじゃないんですよ。ただの友だちなんですよね。ほかの3人のメンバーも音楽が大好きでバンドをやってるっていうタイプではないので。この4人が好きで、この4人で一緒にいたいからやってきたバンドなんですよね、SALOVERSって。そういうバンドが早い段階でスカウトされちゃって、4人を取り巻く環境が急速にバーッと変わっていって。それに戸惑ったまま3年もアルバムを出せなかったと思うんですけど。気づいたらバンドメンバーなのか友だちなのかという線引きができなくなっていたんです」

——う〜ん、もどかしいね。

古舘「この4人はめんどくさいんですよ、すごく。コミュニケーション能力は低いんだけど、メンバーそれぞれの目を見れば考えてることがわかっちゃうから気持ち悪い(苦笑)。メジャーデビューしてからは必死に曲を作ろう、作ろうってみんな思い込んで一生懸命やるんですけど、友だちとしてバンドをやってたころとは違う状況に戸惑ってしまって。そんななかで、メンバーのことを『あれ? こいつこんなやつだったっけ?』って思ってしまうこともあって。俺も『あいつ変わったな』って思われてたと思うんですよ。でもね、仲はいいんですよ。じゃなかったら最後にこういうアルバムは作れなかったし。ただ、バンドとしては疲弊してしまったんですね」

——疲弊がピークに達する前に立ち止まることはできなかった?

古舘「とにかく一生懸命やらなきゃって思ってましたし、必死だったんですよね。悪循環になってることにも気づけなかったし、気づいたら疲弊していて」

——でも、最後にアルバムを作ろうと4人で決断できたのはなぜ?

古舘「去年の11月に大阪でライブをやって、初めてメンバー4人だけで車を運転して帰ってきた日があったんですよ。そのときに僕が珍しく運転するって言い出して。ライブ自体は盛り上がったんですけど、ライブ前のテンションはすごく低くて。ファンの子たちに申し訳ない気持ちもあったんですよね。『いつアルバム出すんですか?』って言われて『いや、100年後まで出ないかもね』とか言っちゃったりして。そんな腐った感じだったんですけど、帰りの車で(藤川)雄太と話していて——ホントにくだらない話をしてたんですけど——なぜかその話の延長でアルバムの話になったんですよ」

——自然に?

古舘「そう、すごく自然に。で、気づいたらどんどん話が盛り上がって。なぜか盛り上がったんですよね。あんなにアルバムを作りたくないと思ってたのに。そこでなんか……気持ちがザワっとしたんですね」

——「あれ? アルバム作りたいかも」って?

古舘「そう。ほかの2人は後部座席で爆睡してたんですけど、とりあえずサービスエリアに寄ろうってなって2人を叩き起こして。『ちょっとアルバム作りたくない?』って話をしたんです。そのときに『青春の象徴 恋のすべて』というタイトルも決めていて」

——パッと浮かんだの?

古舘「そのタイトルについて振り返ると、ちょっと話が逸れるんですけど。去年の7月にソロアルバム(『僕が唄っている理由』)を作ったんですね」

——そうでしたね。あれはガス抜きみたいなところもあったんですか?

古舘「そうですね。事務所から『息抜きで作っていいよ』って言われて作ったんですよね。あのアルバムが完成したときに僕がこの世でいちばん尊敬しているアーティスト、岸田繁(くるり)という男に長文で手紙を書いてアルバムと一緒に送ったんです。その手紙の最後に『くるりは僕にとっての青春の象徴 恋のすべて』でしたって書いていて。その言葉が自分のなかにずっと残ってたんですよ。で、最後のアルバムを作ろうってなったときにそのフレーズがまた頭に浮かんで。『このタイトルでアルバムを作りたい』と。そしたらみんなも『やろうぜ』ってなってくれて。久しぶりに4人が同じ方向を向いてるのが目を見てわかったんですよね。目でわかるから、つらいときは余計につらいんですけど」

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