—音楽的なしがらみといえば例えばなんですか?
小林「たとえば圧倒的にうるさい、アンプが何十台もあったりとかして、それをバーッて鳴らしたときに手間がかかるとか(笑)。興味はあったけど『そんな大したこと起こんないんだろうな』ってやる前から思ってたりとか。あと、やっぱ4人いるんで4人のバランスっていうものを正解は自分たちで作るしかないのに、何か別の対象と比べた時に自分たちの正解をそこに当てはめて、いい意味でも悪い意味でもバランスどりをしてきてしまったというか。今回それを一度壊してるんですよね、やっぱり。マイブラのライブ見たときに声が当然聴こえなかったりとか、ドラムが薄くなったりとか、言うなればそれってバランスが悪いってことじゃないですか?でも、My Bloody Valentaineの中では、正しいというか。そういうものを改めて自分たちで作っていくというか。なんか『少年心』と言いつつも、こういうなんて言ったらいいのかな…退屈とかを自分の想像力ひとつで、とか手の技一つで吹き飛ばせる大人の教養がほしかったのかな」
——他の取材で、小林さんがこのアルバムを2011年にもし震災が起こってなかったらどんなアルバムを作ってただろう?そういう意味合いのアルバムでもあると言ってましたね。
小林「はい。それがさっき言ったしがらみを取り外してみたらどうなんだろうか?とか、自分で2011年以降、自分の価値観が変わって気づいたこととか、新しく考えなおしたこととか、『こういうのが自分はいいと思うんだよね』っていうこととか。それ自体がこう、自分の表現とか自分自身を豊かな高みに連れてってくれたりとか、いい影響しかないと僕は思ってるんですけど。それじゃない未来にも美しい作品があったら、少しこう、寂しいなと思って。意味とか価値っていうものがいかに自分の中で健康に結びつくか?っていうのがすごく大きい価値基準の一つだったんですけど、それ自体が作品の可能性を止めてしまうこともある。僕の生活自体が楽しく素晴らしいものになっていったらいいなっていうもの自体は変わらないんですけど、音楽、その作品を作るってことに関しては道徳とか倫理観っていうのは足かせになることがやっぱりあるので。そういう窮屈な物事から解放されたかったりとか、そうじゃない世界を楽しんで、より日常を豊かにしたいっていう思いから、人って芸術を作ったり、鑑賞したり楽しんだりするじゃないですか。で、そういう意味でいうと生活と作品の価値基準が重なりすぎるのも、すごく狭いものになっていくなっていう。だから、僕の場合、そこの可能性をもっと広げていきたいっていうのがあったから、たぶんちょっとコマを戻すっていうか…実際戻るわけじゃないんですけど、仮にこんなことがあったらどうかな?っていうモチーフにしてやってみたという」
——でもそれもこの3年があって、ロジックの使い方も経験値も上がって自由になれたからこそなのかなと。
小林「ああ、そうです。その通りです」