——聞いていると、交流はあったもののなかなかちゃんとお話する機会がなかったわけですね。
ハマ「そうですね。ちゃんと接触があったのは去年だし、Twitterでのやり取りもそうですよね。たまにNegiccoファンの方から『情報のリツイートありがとうございます』って来るんです。俺は職業柄もあってファンから一番嫌われるだろうから、最初は直接絡むのはやめた方がいいかなと思ってたんですけど、ちゃんと認めてくださってるというか、あれだけの音楽バカが評価してるってことはやっぱりいいんだという風に受け取ってくれているのが嬉しいですね」
——Negiccoのファンの皆さんも嬉しがってるんですね。
Megu「嬉しがってます! 本当に影響力のある方だし、音楽が好きだというのが文面から伝わってくるので、そういう方がNegiccoの楽曲がいいとか、大事なTwitterで呟いてくれていることに感謝しています」
−−ハマくんはCDの帯も書いてますもんね。
ハマ「今回田島(貴男)さんがプロデュースした新譜(“サンシャイン日本海”)が出て、コメントをという話をいただいて。WEBの寄せ書きかなと思ってもちろんやりますというお返事をしていたら、CDの帯のコメントだったのでびっくりしました(笑)。まさかの、俺の初帯コメントです」
Megu「わあ、すごーい! ありがとうございます」
ハマ「こちらこそです」
——あれを見るだけでも色んな人がコメントを書いてらっしゃるし、音楽だけじゃなくてファッションデザイナーの方とかもNegicco大好きだったりするし、このカルチャー感はすごいと思います。
ハマ「本当に一番巻き込んでると思いますよ」
——あの、ちょっと遡ってみたいんですけど、デビュー時、ユニットの名前がNegiccoになった時の感想を聞いてもいいですか?
Megu「2003年の7月に、新潟県産の『やわ肌ねぎっ娘』というねぎのキャンペーンユニットとして生まれて、当初は1か月限定だったんですよ。でもグループ名までNegiccoになるとは思わなくて、正直すごく嫌でした(笑)」
ハマ「あはははは。最初から英語表記だったんですか?」
Megu「違いました。ねぎっ娘っていう、ひらがなで。『モーニング娘。』さんがすごい人気で、なんで『モーニング娘。』さんみたいなグループさんがいるのに、ねぎっ娘っていう変な名前なんだろうってずっと思ってて(笑)」
ハマ「いや、『モーニング娘。』もよくよく考えたらおかしいですけどね(笑)。それがキャンペーンが終わってもやっていきますかという感じになって?」
Megu「そうです。本当はなくなる予定だったんですけど、今のマネージャーがNegiccoを気に入って引き取ってくれたんです。そこで手を挙げてもらわなかったら解散していたグループなので、今残っているのは本当にありがたいです」
——当初の1か月から歌っていたんですか?
Megu「”恋するねぎっ娘”という楽曲がありまして、それを3か月くらい歌っていました」
ハマ「PRソング?」
Megu「はい。ファンの人は全然つかなかったんですけど、その時初めてファンになってくれた方がいて、その方がconnieさんという今のNegiccoの曲を作ってくれてる方なんです。Negiccoのファン第1号の方です」
ハマ「元々そういう仕事をやってた方なんですか?」
Megu「全然違います。趣味で曲を作っていて、元々はモーニング娘。さんが好きで、新潟のモー娘。さんのファンによるDJイベントをやっていて、そのイベントにNegiccoが呼ばれて、そのテーマソングをNgiccoのために作ってくれたんです。そこからずっと曲を作っていただいています」
ハマ「すごい! Negiccoは全部先駆けすぎですよね。PRのために組まれたユニットというのも、今でこそそういうことってあるけど当時はそんなにいなかったと思うし、connieさんもいわゆる今DTMやボカロなどの先駆けという」
——いつからアルファベットのNegiccoになったんですか?
Megu「いつからだろう……? 全然覚えてないです(笑)。ちょっとダサイということになって変わりました(笑)。Negiccoを改名しようという時期もあったんですけど、色々アイデアが出てくる中で、ねぎをフランス語にしたポワロという名前もあったり。でもそういうのは覚えにくいねって、結局またNegiccoにおさまって、今もそれで活動してます」
——大正解じゃないですか? 一発で覚えますもんね。
ハマ「本当にそうですよね。俺が見た最初のアー写ではみんな緑のタイツを穿いてて、『あ、緑色。ああ……』って(笑)」
Megu「懐かしい!」
ハマ「日本人からしたら“ねぎ”って言われたらもう“ねぎ”でしかないから。他に連想先がない……(笑)。しかし、始まったきっかけがそもそもそういう人をひっかけたわけだから、今の巻き込み具合はものすごく納得できますね」
——ご当地アイドルもその時期はあまりいませんよね?
Megu「47都道府県で、9組でした。その時の方々で今もオリジナルメンバーのまま活動されてるグループさんはいないです……」
ハマ「いないんだ。重鎮ですね! 今も新潟からの通いですよね。俺らのワンマンの日も、夜行で帰りますって。そういうところも含めて本当にすごいなと思います」