美術は空間の芸術、音楽は時間の芸術
天野「つまり性能が上がったカメラで撮った作品の写真を僕らは見てるわけ。そうすると、ある意味、もう本物を見なくていいのよ。ほとんどの人は一生の間に一度もモナリザを見ずに死ぬ。でも知った気になってるわけや。その感覚は、CDを聴いて音楽を知った気になるっていうのとはまた違う。それが音楽と美術の大きな違いやなと思う。あとさ、展覧会は何十日とあるけど、コンサートは90日ぶっ通しでしないでしょ。同じ場所でどのくらいやるの?」
MARCY「2日ですかね」
天野「そうだよね。だから音楽っていうのは1回こっきりの経験がものすごい限定された形であるという、ある種のビジネスモデルやと思う。97年にローリング・ストーンズが来た時、俺も行きました。阪神巨人の比じゃない、ドッシャーって客が入ってくんねん(笑)」
MARCY「なりますよね(笑)」
天野「あれは美術にはありえない。やはり美術は、最終的に作家ではなく、作家が残した“物”なんだよね。ものすごいフェティシズムというか、人間の欲望があるわけよ。有名人が鼻をかんだティッシュでさえ買いたいって人がいるけど、それはその場にいることもできなかったけど、なるべくそこに近づきたいっていう、ひとつの欲望だよね。美術館が美術の墓場と言われるのは、美術作品を元々あった場所から離して持ってきてるから。そこにライブ感なんてないのよ。それを『この人が描いたんだなあ』って思いながら見るわけでしょ?」
MARCY「ああ、そうですね」
天野「そういう意味で、美術は空間の芸術なんだけど、音楽は時間の芸術というか、時間が過ぎたら終わるという感覚があるんだよね。ライブって、今、人多いの?」
MARCY「むしろライブの動員は増えてます。ネットもあるし、CDが売れないという一方で、ライブとかフェスに来て実際に体験したうえで『やっぱり好きだ、駄目だ』って判断するような感じがありますね」
天野「若い子も?」
MARCY「はい」
天野「それはおもろい! ちょっと難しい話やねんけど、ヴァルター・ベンヤミンって有名な哲学者が、作品が写真に撮られることによってオーラがなくなるって予言をしたのよ。世界中に複製が蔓延することで本物のオーラが無くなるって。で、全くその通りになっちゃった。プーシキンの展覧会(「プーシキン美術館展 フランス絵画300年」
13年9月16日で終了)にもたくさんお客さんが来るんだけど、次見れるかわからないから本物のオーラを経験しておきたいっていう年配の方が多いわけ。でも音楽では若い子がそのオーラを求めてるっていうのが個人的にすごくおもろい。音楽のオーラはなんてったってコンサートなんだけど、レコードが出来、CDが出来、今やインターネットでオーラが剥がされている。でもライブで聴くことでもう一回、そのオーラに還って行ってるってことだよね」
MARCY「ライブの動員も増えてるし、年々フェスが増えてるのも、それが大きいと思いますね」
天野「それはおもしろい。個人的に今日はとても勉強になったなあ」
MARCY「僕も音楽とアートでも結構通じてるところがあるってわかってとてもおもしろかったです。ありがとうございました!」