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text by Daisuke Watanuki

IWD特集:編みながら語ること haru.& miya & Kotetsu Nakazato & 堀米春寧




3月8日の国際女性デーを記念し、女性アーティストがつくりあげた作品や表現を通して、女性の主体性のありかたや連帯についての対話を試みるIWD特集第2弾。
長年、格下の家庭内工芸とされてきた「編み物」。近年、女性自らが主体性を持って楽しむことで、再び自分たちの手に取り戻し、社会への表現、連帯を示す行為として注目を浴びている。映画『YARN』(2016)、エッセイ『編むことは力』(2024)など多々の作品のテーマともなっている編み物をしながら、アーティストたちが始めたきっかけからコミュニケーションについて、近況報告など、思い思いに語り合う。


編む人
haru.(https://www.instagram.com/hahaharu777/)& miya(https://www.instagram.com/38uia/):HIGH(ER) MAGAZINEを軸としたクリエイティブスタジオHUGを運営。
Kotetsu Nakazato(https://www.instagram.com/kotetsunakazato/):フリーランスでエディター、ライター、フォトグラファーなど、肩書に捉われず活動。ギャルみたくよくしゃべる人。
堀米春寧(https://www.instagram.com/haruneh/):絵描き。初の画集『I wwonder』発売中。今回は刺繍で参加。



haru.「最近私たちの周り、編み物やってる人多いんだよね」


kotetsu「海外の編み物をしてる人のリールとかは以前からめっちゃ見てて、私は昨年の11月頃に編み物デビュー。新しい趣味を見つけたくて始めたの。というのも、20代前半からずっと使命感でアクティビズムをやることが多くて、そこからちょっと離れようと思った時に、自分は何が好きなのかまったくわからなくなっちゃって。それがすごい怖かったんだよね。もともと好奇心や探究心は強い方なのに、やりたいことが見つからなくて。責任感で物事を進めることで自分自身を形成していった側面もあるけど、それと同時に失ったものも多かったなって感じて。趣味を持ちたいと思って、いろんなものに手を出したうちの一つが編み物だったんだよね」


haru.「ほかにはどんなことしたの?」


miya「植物とか?」


kotetsu「植物を育て始めたのもそうだし、DJもやったし」


miya「DJ最近どう?」


kotetsu「趣味に対して持続性がないから(笑)、編み物もこういう会があればまたやり始めるし、DJもイベントがある時にやり出すみたいな」


miya「私が始めたきっかけは、周りがやり始めて、一緒にやろうって感じで。渋谷パルコで『Made with Love by Tom Daley』をやってたでしょ。プールサイドで編み物をする姿が話題になったオリンピック飛び込み選手のトム・デイリーの展示。同性婚をして子どももいて、すごく気になる存在で。友達4人と行ったんだけど、そこで『みんなで編んでみよう』的なスペースがあったのね。結構みんなできてて、なんか改めて、編み物楽しくない? みんなでやらない? って」

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kotetsu「編み物をしながら話す時ってみんな手元に集中してるから、目を合わせなくてもいい分、気持ちが楽だよね。みんなそれぞれ見てるものは違うけど、相手の言葉に耳を傾けてる。このコミュニケーションって独特だよね。それはそれで居心地良いし」


miya「わかる。あとただ時間が過ぎるんじゃなくて、編み物が完成していく、成果物が残るっていうところもすごい。話しながらも集中できてるんだろうな〜」

堀米春寧「なんか編み物やる時って、無心になれるとか整うとか聞くんだけど、実際はどう?」


kotetsu「めっちゃわかるその感じ」


haru.「編み物って規則的なんだよね。動きが」


kotetsu「私は編み物にまだ慣れてないから、余計に編み物にしか集中できない。だから本当に無心って感じ。結構メディケーションかも。春寧さんは刺繍する時どんな感じ?」

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堀米春寧「みんなは編み物だから規則的だけど、私は刺繍をする時も感覚で動きたいタイプだからちょっと違うかも。私はメディテーションしてるっていうよりは、自分の波で遊んでる感覚。編み物は何回かやってみたけど、どうしてもうまくいかなくって。目数や段数がずれてきちゃう」


kotetsu「私はめっちゃずれてますよ」


堀米春寧「本当? いいんだ? 私はそれで挫折したタイプ」


kotetsu「真四角とか作れないです(笑)。でも、別に売り物じゃないし自由でよくない? 今編んでるのは、最終的にアームウォーマーにしようと思って。長方形の端をくっつけちゃえばいいし」


堀米春寧「本当だね。きれいにやらなきゃって思ってたかも。今救われた」


kotetsuが編んだもの


haru.「私は普通に編み進めて、何かを作ることなく全部解いたりもしてる。なんかもう、編み物って同じ動きをただしていることの心地良さみたいなものもあって。たぶん、本当はそういうの向いているんだよね。人と関わったり、変化のある仕事ってそれはそれでしんどいから。本当は一日中こういうことをしていたほうが精神は整うんだよね。そういえば子どもの頃も人と交わるのが苦手だった。だからずっと泥団子を作ってて、めっちゃうまくなって、男子に尊敬されてた(笑)」


kotetsu「haru.さんが編み物を始めたきっかけは?」

haru.「私はシュタイナー教育の学校だったから、編み物は基本的に学校で習ってた。制作課題とかもあって、みんなで帽子とかハンモックとかを作ってた」


miya「私も学校で習った。女子校だったんだけど、家庭科の授業で編めるようにならないといけなくて。実技のテストがあったよ。先生に横13、縦7みたいに言われて」


kotetsu「共学ではなかった文化だな」


haru.「大学の時はみんなでマフラーを編む展示をしたよ。私が途中まで編んで、あとは展示に来た人に編み方を教えて、みんなで編み続けるの。めっちゃ長いマフラーが完成して、いろんな人が自由に巻けるようにしてた」


kotetsu「なんか交換ノートみたいで楽しそう」


haru.「いろんな人と話しながら編むの楽しかったな」

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kotetsu「あと編んでる時って、なんか感情とか、モヤモヤしている気持ちとかも一緒に編み込まれて、一旦気持ちをアウトプットして置いておける感覚はあるかも」



堀米春寧「気持ちを出すという意味では、私も同じ気持ちで針を刺してます。外に出しておきたい」


haru.「刺繍のほうがその感情って強そう」


堀米春寧「ちょっと重いよね(笑)。だから刺繍って好き。それと私の場合、おばあちゃんが制作のルーツにあるのかも。おばあちゃんは戦後に洋裁学校に行っていた人で、よく小物とか作ってくれてて、憧れがあったの」

kotetsu「うちのおばあちゃんもキューピーちゃんにお洋服をずっと作ってた。お母さんは編み物をするタイプではなかったけど、小学生の頃に姉と2人分のマフラーを編んでくれたことがあって、すごく嬉しかった記憶はあるな。誰かのためにご飯を作るとかもそうだけど、身につけるものをプレゼントするって行為も、きっと一つの喜びとしてあるんだよね。もらったものはお守りみたいになったりするし」

haru.「私たちの場合は、プロダクトがお守り的なものになってくれたらいいなと思ったりもする」



堀米春寧「I vvonder」展示写真


堀米春寧「私、ちょうど昨日まで展示やってたんだけど、」

haru. miya kotetsu「おつかれ〜!」


堀米春寧「一番大切にしていた作品が、今の話に近いテーマだったの。現代って推し活とかで全部が他者に向いている感覚があるなと思ってて。でも自分を助けられるのは自分だって思い出してほしくて、聖域みたいなものを作品にしたんだよね」


miya「あの作品、普通にどうやってあそこに作ったの? って思ったよね」


haru.「あそこだけ異次元だったよね。びっくりしちゃった」


堀米春寧「作品を作ってたのがちょうどガザ侵攻が始まった時期で、いろいろ考えていて。それこそ展示ではお守りも販売したんだよ。自分を大事にしてね、自分のままでいて大丈夫なんだよっていうことを伝えたかった」


haru.「『暮しの手帖』初代編集長の花森安治さんもそういう考えだったよね。『もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい』って」


堀米春寧「お守りを作る時ってやっぱり手仕事の部分は加えたくなる。ミシンで縫ったあと、最後の仕上げにワンポイントの刺繍を手縫いするの。『大丈夫だよ』の証として。いますよここにっていう印」


haru.「たしかにそこにいたんだ、みたいなのってすごい力になるよね」


kotetsu「編むは構築するみたいな感覚だけど、刺すのって本当に存在証明みたい」

堀米春寧「今はちょっと編み物組のみんなに合わせて刺し子にしてみている。図案を刺繍するのって編み物に似てるかなって」

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haru.「私、コロナ禍に新型コロナウイルスに感染してホテル隔離をしていた時期があったんだけど、その時にめっちゃ刺繍したよ」



kotetsu「それって自分を保つため?」


haru.「そうだと思う。なんか不安になっていくんだよね。人と一切関わることもできないからさ。毎朝起きて、隣の工事現場の人たちを眺めながら刺繍してた」


堀米春寧「haru.ちゃんは手を動かすのと頭で思考するの、どっちがスムース ?」


haru.「どっちも必要かも。手を動かさないとわからないことって多いんだよね。ものづくりは時間がかかるってことは、自分で手を動かさないと実感できないなって思うし」



kotetsu「編み物も刺繍もだけど、形に残すものを作れるっていいなって最近すごく思う。私は写真も撮るけど、恋人ができた時に、それを思った。今の日本の制度では、この人と一緒にいることを証明する方法がないんだなと思った時に、(写真などで)残していくことって大事だなって」


miya「音楽をやってる人たちをみても思うな。一つの恋愛で、たくさん曲を作るとか」


kotetsu「あ、最悪。毛糸が絡まった……」


miya「落ちついて。大丈夫」


kotetsu「miyaは手作りのものを親からもらった記憶とかある?」


miya「一切ない。私の母親はわりと人権意識が高い人で、いろいろ動き回っていて家にいないことが多かったのね。だから“家庭風味のない母”っていう認識で。今でこそカッコいいとは思うけど、当時はそれなりにさみしかったよね。保育園のお迎えが遅いとかさ。父親は何やってんだって話だけど、その時は父は仕事だから無理だってこっちも勝手に認識しちゃってた。父親と母親の役割を勝手に捉えちゃってたことも反省」


haru.「私、作ってもらったものでいったら布製の筆箱。クレヨンの入れ物として学校から親に作ってもらうよう言われてたの。折れないように1本ずつクレヨンの部屋を作らなくちゃいけないんだけど、お父さんが作ることになって、一緒に街の布屋さんに行った。本当は毛糸で編んでで作るものなんだけど、うちは両親ともに編み物ができなかったから、生地で。当時は他の子と違うのが嫌だったけど、今思うと洒落てたなと思う。テキスタイルも独特で」

kotetsu「学生時代、強制的に親が作らなきゃいけない持ち物とかあったよね。体操着カバンとか。それで思うと、編み物とか裁縫ができることが母性に回収されるのは危険だね。編み物ができるイコール女性らしいなんてことはないし。そういえばうちもお父さんがやってたかも」

haru.「うちはお父さんのほうが器用っていう設定になってて、料理とかも基本お父さんがやってた」



miya「私が子どもの頃の母親たち世代の女性はマジで大変だったと思う。社会に出てもお茶くみしかやっちゃいけなかった話とかされたことある。当時は保育園に19時にお迎えに来てくれないことが嫌だったけど、19時にお迎えって無理じゃない?」


haru.「本当だよね、今でも無理だよ」


kotetsu「ねぇ春寧ちゃん、なんか元気ない?」


堀米春寧「実は昨日ちょっと仲良しの子とケンカして……」


miya「春寧ちゃんおなかすいてない? パンあるよ」


haru.「ケンカしたあと、おなかすくでしょ?」


堀米春寧「ありがとう。展示を終えてすごい疲れて帰ってきたあとだったからさ……。ちょっと聞いてほしいんだけど」


haru. miya kotetsu「聞かせて!」




本日編んだもの

text Daisuke Watanuki(https://www.instagram.com/watanukinow/

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