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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.4 言語を剥ぎ取った先の可能性 後編 ゲスト: TAIGEN KAWABE(BO NIGEN)

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天野「羨ましいと思うよね。ドイツのカッセルではドクメンタという5年に一回しかやらない現代美術の展覧会があるんですが、普通のおじさんおばさんが小さなガイドブックを持って真面目に観ている。そしてすれ違ったときに『君はどう思った?』って聞かれるんです。そういうのは日本ではありえない。バンクーバーに大きなアーティストレジデンスがあって、そこにキュレーターが何人か呼ばれてレクチャーしたことがあって。そこでは聴衆であるアーティストがすぐ手を挙げるんです」

TAIGEN「ああ、話を遮ってですね」

天野「そう、それで『今ここに映ってる彫刻は何キロ?』という質問をする。『大きいから結構重いんじゃないかな』と言うと『わかりました』と。つまり自分が気になったものは全部手を挙げるんだよね。カナダやアメリカも同様。それが日本だと話が終わるまでは黙って聞きましょうとなる」

TAIGEN「つまらないことを聞いたら恥ずかしいんじゃないかっていうのもありますね」

天野「そう。だから『何キロくらい?』とか『大きいんですか?』みたいに子供みたいな質問をしちゃいけないと思うんですよね。だけど向こうの人は思ったことを全部言う。つまり大人になっても自分が思っていることが言えることを羨ましいと思ったことがある。

実際に住んでみたら嫌なところもあるかもしれないけど、コミュニケーションすることでサヴァイブしていかなきゃいけないことが前提の国と、そのストレートなコミュニケーション以外のもの、例えばフォーマルなもの、あるいは目に見えないものが決定づけるような社会とでは随分違う。時には手間なことも全て言わなきゃいけないのでしんどいかも知れないけど、真っ直ぐ伝わる可能性は高い」

TAIGEN「構え方というか、構えてないからこそ全て受け取り、全て出してくれる感じがありますね。それはライブでも全く同じで、演奏しているときに反応がすぐ出る。日本だと今日はノリが悪かったかなと思っててもツイッターやら物販に立って話してみたら、あれ意外とウケてたんだと思うことがあるんです。それは日本の特徴な気がしますね。レクチャーを最後までちゃんと聞かなきゃ駄目だとか、ライブを最後まで観なきゃ駄目だっていうところにも表れるのは、それはそれで良さがありますし、ちゃんとリスペクトしてくれている感じがあって好きなんです。異様にも感じるんですけど。イギリスだと曲間にチューニングしてるときに今の曲はどうのこうのとこちらに言ってくるんですけど、日本ではチューニングしてるときも無音で待っててくれるんですよ。これは海外の有名ミュージシャンの時でもアンダーグランドなライブでも同じだからすごいです。どちらが良い悪いではなく、両方でやる機会がある僕らはその違いを楽しんでいます」

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