ブレイディみかこの小説『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』が8月7日(月)に発売された。本作は、2012年ロンドンオリンピックが開催された翌年に東部で始動した、「FOCUS E15運動」※に着想を得た作品。それは理不尽な理由で住む場所を奪われたことをきっかけに、政治や運動などに馴染みのなかったシングルマザーたちが自らの尊厳と権利を守るために立ち上がるというものだった。東京オリンピックがあった日本も他人事ではいられない問題が多く込められている本作で、ブレイディが伝えたかったこととは。そして大切なアナキズムな精神とは。たっぷり語っていただきました。
※FOCUS E15運動……100年以上前から貧しい労働者階級の街として知られていたロンドンの東部が、2012年のオリンピックを契機に再開発。その地域に若年層向けのホームレスを対象としたシェルターがあったが、住んでいたシングルマザーたちは、区の予算削減でシェルター運営が困難になったから出て行けと通告されてしまう。そこで空き家のまま放置されていた公営住宅を4軒占拠し、自分たちでシェルターを作り自らの権利を主張した。
私たちには『すべての人間は適切な住居に居住することができる』という国際人権法における居住の権利がある
ーー当時ブレイディさんは「FOCUS E15運動」をどのように見ていましたか?
ブレイディ「同運動はカーペンターズ公営住宅地の空き家占拠へと発展したものです。当時私は別の問題を追っていたのですが、あらゆる識者が近年稀に見る運動だったと語っていたのを覚えています。そこで私もさまざまな記事や映像を確認しました。やはりすごい運動だったと思います。というのも、この手の運動はたいてい知識人や大学関係者、ジャーナリストやどこかの政党などが率先して行うものですが、この運動はシェンルターに住んでいたシングルマザーが自発的に行ったものだからです。行政に二ヶ月後に出ていけと言われても、日本人の感覚でいったらしょうがないと泣き寝入りすると思うんです。でも彼女たちはこれはおかしいんじゃないかと思った。区や住宅協会は再開発のために、半ば強制的に低所得者を退去させて、住民の入れ替えを行い、その地域を高級化しようとしていることに対して、問題があると立ち上がったわけです。私ものちに『2015年、政治を変えるのはワーキングクラスの女たち』という記事を書きましたが、イギリスでも普通の人たちが立ち上がって大きな風を起こした運動は珍しいですし、日本ならなおさら。だからこの運動について伝えたいという気持ちがありました」
ーー日本ではこのような運動はあまり聞きませんよね。彼女たちがおかしなことに気づく、そしてそれに賛同した多くの人が支援するという姿に、アナキズムの精神を感じます。イギリスにはその土壌があるのでしょうか。
ブレイディ「コロナ禍のロックダウン中に、家にある紙が投函されていたことがありました。そこには、買い物に行けないお年寄りや外出できない人のために食事を届けたり買い物を代行するグループを立ち上げようと思うので、関心があったらここに電話してと携帯番号が書かれていました。イギリスって本当に各地で自発的に運動が立ち上がるんですよね。物価高になったら今度はみんな、缶詰や子ども服などを、自由に取って行ってくださいと家の前に並べ始める。相互扶助が根付いている。日本の場合はなんでもトップダウンで上から抑えられているため、自分たちで何かができるとあまり思えないのかもしれないです。
本作の中に史奈子という日本人の新聞記者(ロンドン駐在)が登場します。彼女はお金がない人が高級化していく地域に住めないのは当たり前だと思っている。シングルマザーたちは手頃な住宅を提供するのは政府の役割だと主張しますが、それって本当に政府の役割なのかと疑問をいだきます。これは多くの日本人も同じ気持ちなのではないでしょうか。しかしそもそも私たちには『すべての人間は適切な住居に居住することができる』という国際人権法における居住の権利があります。世界人権宣言では、『衣食住を含む充分な生活を享受する権利』を定めている。国連に加盟している各国は、その国に住む普通の人々が普通のお給料で払えるぐらいの住宅の価格を保障しなくてはいけないし、法外な値上げなど許されないわけです。そういうことを日本では教わりませんが、私の息子は中学校で習ったそうです。どういう人権が私たちにあるのか、シティズンシップ(政治に参加できる市民を育てる科目)で習い、ジェントリフィケーション※についても教わったそうです。やはり教育の差も感じますね」
※ジェントリフィケーション……都市において、低所得の人々が住んでいた地域が再開発され、おしゃれで小綺麗な町に生まれ変わること。「都市の高級化」とも呼ばれ、住宅価格や家賃の高等を招き、もとから住んでいた貧しい人々の追い出しにもつながる。
ジェントリフィケーションに伴う「ソーシャルクレンジング」(社会的洗浄)は、無理やり排除するのではなく、いろんなものの値段を上げることで住むことを困難にさせる
ーー本作はイギリスが舞台。サッチャー政権が始めた新自由主義の影響を色濃く感じました。サッチャリズムは格差を広げ、弱者が自己責任に追い込まれる厳しい社会をつくった。それは遠い国の話ではないというのは本書のおもしろいところです。新自由主義ということでいえば、日本も他人事ではありません。
ブレイディ「ロンドンも2012年にオリンピックがあり、日本でも2021年に東京で開催されましたね。これまでもどこの開催都市でも、野宿者や貧困者の排除が行われてきました。日本の場合はコロナ禍の開催で無観客だったので、イギリスほどジェントリフィケーションは起きていないのでは思っていましたが、話を聞くと全く似たようなことになっています。首都圏のマンション価格がバブル期超えというニュースも聞きましたが、所得の伸び悩みなどで好景気とは思えない現状で普通の生活者が買っているとは思えないじゃないですか。結局は企業や投資家が投資目的で買っているんですよね。
都市には貧しい人や中流の人、いろんなバッググラウンドの人など、みんなが一緒に暮らしているから多様性が担保されている。それが、お金持ちしか住めない街になってしまったら……。ジェントリフィケーションが壊すものは都市の多様性やコミュニティだけでなく、もしかしたらそこに住んでいる人の知性‥‥‥自分とは違う他者への想像力や理解という意味での知性ですが、それも含まれるのかもしれません」
ーー戦争、自然災害を含む大惨事につけこんで市場原理主義改革が起こることは世界各地でありますが、オリンピックも非常時という意味では同じようなことに利用されてしまったと思っています。神宮外苑の再開発もそうですし。
ブレイディ「どさくさに紛れていろんなことが起きましたよね。結局金が1番大事で、そのためなら人は別にどうでもいいと思われている。これは新自由主義の究極の形です。でも本来、町は人が住む場所ですよね。人を主体にして、人を動かして、経済も動かさなきゃいけないはずなんです。
大量虐殺、強制移住などの手段で特定の民族を殲滅させる『エスニッククレンジング』という言葉がありますが、今新たに言われているのは、ジェントリフィケーションに伴う『ソーシャルクレンジング』(社会的洗浄)。貧困層を無理やり排除するのではなく、いろんなものの値段を上げることで住むことを困難にさせるのだから恐ろしいです。
そもそも都市には、そこでしか見られない演劇、音楽、知識層の会合など、文化がありますよね。しかしそこから排除された貧しい人達はそれらに触れられなくなってしまう。イギリスでそれが端的に現れたのがEU離脱のときでした。ロンドンに住んでる人たちと、地方に住んでる人たちで全く考え方が違っていたんです。ロンドンの人たちはすごいリベラルで残留した方がいいと言ってるのだけど、 地方の人たちはもう極右的になっていて、移民排除を訴えて離脱に票を投じた。お互いが全然会話できなくなるほどの分断を生んだのも、やはりジェントリフィケーションの影響だと思います」
ーー低賃金で非正規雇用といった不安定な立場でいえば、エッセンシャルワーカーもソーシャルクレンジングの対象になりますよね。
ブレイディ「エッセンシャルワーカーの仕事がいかに大事かと痛感させられたのがコロナ禍でしたよね。例えばゴミの収集をしてくれる人、 医療関係者、介護士。みんなロックダウン中でも外に出て働かなくてはいけませんでした。だってそういう人たちがいないと都市は回っていかないから。つまり、必要だということです。そういう人たちが都市に住めなくなってしまったらどうするのでしょう。ものすごく遠くからわざわざ来てもらわなければいけなくなります。それは都市のシステムとしておかしいですよね。そういう人たちもきちんと住んでいただけるような都市にしなくてはいけないと思います。本作の中で主人公のジェイドが繰り返し『ソーシャルクレンジングじゃなくて、ソーシャルハウジング』だと訴えます。低所得者が住める家を政治が提供するシステム設計がやはり必要だと思います」
日本では社会全体がまだ『ボートを揺らすな』という意識が高い。でも、ボートは揺らさないと方向も変えられないし、速度も変えられない。 だからちゃんと揺らしたほうがいい
ーー今回久しぶりに日本にいらっしゃっていますが、今の日本の様子をみて何か感じることはありますか?
ブレイディ「今回、息子と来日しています。息子は福岡にいるんですが、(市の中心部である)天神の再開発もすごいんですよ。東京にもロンドンにもあるようなビルやショッピングモールができている。息子は観光者目線で来ているので、その光景には興味がないんです。どこの国でも見られる風景すぎて、日本に来ている意味がない。逆にまだ開発されていない昔ながらの商店街など生活感に溢れている場所に行くと、写真をたくさん撮るんですよね。日本もインバウンドで儲けようと思っているなら、ジェントリフィケーションは止めないといけないと思いますよ。その辺もちゃんと考えて都市設計されてるのかどうかは疑問ですよね」
ーーそうした現状を、私たち一人ひとりがどう抗うかも重要なのだと思います。
ブレイディ「私たちは普段は上から抑えられていてるのですが、本当は誰かに命令されたり、法律や暴力で縛られたりしなくても、自分や周囲のことを自然に回していける力が備わってる、というのがアナキズムの思想です。だからもし、政府を頼っていられない状況になったとしても、私たちは自分たちの力でやっていけるはずなんです。 そう思うと、アナキズムって結構希望のある思想なんですよね。本作における住居の占拠および解放の運動も、政府は不法だから出ていけと言うのだけど、人々は行き場がない人たちに対して自然と支援する側に回った。この『人を助けたい』という気持ちも、人間の生命力とつながることだと思います。だって自分が生きていくためには人を助けないとダメじゃないですか。今度困った時には巡り巡って助けてもらえるわけだから。アナキズムは、生きる力を養う思想なんですよね。逆に、トップダウンで支配する力が強すぎる社会では、助け合う力も含めて、人間が本来持つ生命力が削がれていく」
ーー日本でアナキズムというと、なぜか暴力、混沌、破壊の支持者で、秩序や組織などに反対する人と思われがちです。単に「人は本質的に何者にも強制される事なく、合理的に行動する事ができる」と心底信じている人たちのことなのに。このアナキズムの精神を日本でどう伝えていけばいいのでしょうか。
ブレイディ「それは私が今一番試行錯誤してるところです。アナキズムについての本を書いても、読者数はたかが知れている。それでも今の日本に必要なものだと思っているので、どうやったら広がるかなと考えています。
きっと物語にした方が読みやすいし、日本人のキャラが出てきた方がイメージしやすい。暗いものではなく、ちょっとワクワクさせて元気が出るようなものを書いて、伝えたほうがいいのではないかと今は思っています。日本でアナキズムというと孤高に悲壮に戦っていかないといけないと想像されがちなんですけど、そんなことはありません。だからこそ、みんなで一緒になって盛り上がっていくような、楽しいもの、明るいものとして伝えていきたいです。相互扶助ってグルーヴ感もあることだから、頭で考えるより先に、楽しみを呼び起こすものでないと。本作を書いた時に編集者の井口さんが『ロックミュージカルみたいな本にしましょう』と言ってくれたこともあり、本作には音楽もたくさん出てきます。登場する楽曲をまとめたプレイリストをSpotifyで公開しているのですが、聴いてみると結構アゲアゲなんです。そのように間口を広げていければと思っています。
アナキズムの思想って優しいと思うんですよ。相互扶助もそうだし、支配してくる人たちの暴力をそぐというのも、世の中を優しい方向に持っていこうという考え方なんですよね。アナキストも平和が好きな人が多い。誤解されてる部分は正していきたいですね」
ーーアクションが起こりにくい日本において期待することはありますか?
ブレイディ「いまイギリスではストライキが盛んで多くの人がそれを支持しているのですが、そのムーブメントは日本にも飛び火し、少しずつ起き始めているように感じます。良くも悪くも日本は『黒船』が来ないと動かないところがあるじゃないですか。だから海外で起きていることを日本に伝えることも大事で、そこから気づき、立ち上がる人が増えてくれればいいなと思います。日本では社会全体がまだ『ボートを揺らすな』という意識が高い。でも、ボートって揺らさないと方向も変えられないし、速度も変えられない。 だからちゃんと揺らしたほうがいいんです。メディアももう少しその一端を担ったほうがいいですね。そこに期待したいです」
illustration NAKAKI PANTZ
Text Daisuke Watanuki(https://www.instagram.com/watanukinow/)
ブレイディみかこ
『リスペクト R・E・S・P・E・C・T』
ロンドンオリンピックの2年後、オリンピックパーク用地だったロンドン東部のホームレス・シェルターを追い出されたシングルマザーたちが、少しばかりのリスペクトと人の尊厳を求めて立ち上がる。
(筑摩書房)
https://www.chikumashobo.co.jp/special/respect/
ブレイディみかこ
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。2017年、『子どもたちの階級闘争 ―― ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞受賞。2018年、同作で第二回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。2019年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞受賞、第二回Yahoo! ニュース―本屋大賞 ノンフィクション本大賞受賞、第七回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)受賞。著書は他に、『花の命はノー・フューチャー DELUXE EDITION』『ジンセイハ、オンガクデアル ―― LIFE IS MUSIC』『オンガクハ、セイジデアル ―― MUSIC IS POLITICS』『ワイルドサイドをほっつき歩け――ハマータウンのおっさんたち』(ちくま文庫)、『ヨーロッパ・コーリング・リターンズ』(岩波現代文庫)、『女たちのテロル』(岩波書店)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2』(新潮社)、『他者の靴を履く ―― アナーキック・エンパシーのすすめ』(文藝春秋)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)他多数。