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藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#46 ホワイトエア




その少年は、15歳だ。
日本のある地方都市に暮らす中学3年生で、高校受験を間近に控え、放課後は毎日マクドナルドで自習をしている。同級生たちの多くは塾に通っているが、彼の家庭の経済状況がそれを許さない。駅前から徒歩で20分くらい離れたマクドナルドを選んだのは、同じ学校の生徒の動線から外れているから。そして、隣町の女子校の生徒の動線内であるからだ。
その少年は、そのマクドナルドに時々現れるベリーショートの金髪の女子に恋をしていた。彼女の髪色はおそらく地毛で、顔立ちや肌の白さから、少なくともハーフであることが伺えた。
少年はその女子をベリンダと心の中で名付けていた。タイトルがどうしても思い出せない映画の主人公の親友の名前がベリンダで、少年はその響きが大好きで、去年迎えた猫のスコティッシュにベリンダと名付けたほどだった。ちなみにそのスコティッシュは、もらい猫で、スコティッシュを買う余裕は当然なかった。
一方、人間のベリンダは、背が高かった。少年も中3にしては高かったが、彼の所属していたバスケ部と仲が悪かった女バス部員の誰よりも高いようだった。
少年は、入り口とオーダーカウンターの両方が見渡せる席にいつも座っていた。もちろんベリンダが店に入ってくるのを見逃さないためだった。だが、見逃すまいと常に注意を向けている必要はなかった。少年にはベリンダが店に入ってくると、その気配を当然のように察することができたのだ。視線を前方のフロアに落としておいたままにしておくと、横切る白のエアフォースが目に入り、やっぱりだと少年は納得するのだった。
少年は、今年のクリスマスプレゼントはベリンダとお揃いの白のエアフォースにしようと決めていた。だが、彼の家庭の経済状況は、それに対して微妙である。だから彼はアウトレットで買おうかと思っているのだが、定番ものは大きなディスカウントが期待できない。メルカリでも彼の予算の¥5000ではなかなか難しい。少年は心の中で、ため息をつくしかないのだが、それは悩みというほどではない。いろいろうまくいかないこと、それをどうにか納得させなきゃいけないことを、少年はその年齢にしては、おそらく上限くらいに知り尽くしていた。


その日の夕方、ベリンダはいつものように1人でマクドナルドに現れた。少年はフロアを見つめたままそれを確認した。彼女が目の前を通り過ぎてから、30秒ほど待ってから少年が視線を上げると、オーダーをしているベリンダの後ろ姿があった。背中にRVCAのロゴが大きく入った薄いピンクのパーカーとセットアップのパンツという姿であった。学校帰りではないらしく、携帯しか持っていないようだった。
少年は、その後ろ姿を、ベリンダがオーダーを終えるまで見つめていた。少年はこれが自分の初恋だとみなしていた。母親との関係のこともあって、女の人への警戒心があったのだろうか、少年は誰かに惹かれることなく15歳の冬を迎えていた。
元々友達もほとんどいなかったのだが、その数少ない友達にも彼女ができた時にも、焦ったりはしなかった。幼い頃から、バーストラウマの延長なのか、厭世的な気分が心に広がっていて、少年自身はそれを特にやましく考えなかったし、人はひとりで生きていくものだ、小学生の頃からリアルに感じていた。少年のこういう心の模様は、生来の気質かもしれない。
怒ることもほとんどなかったが、笑うことも同様に少なくて、いつも淡々としていた。幼い頃に母親から厳しく体罰を受けた時にも、世の中ってこんなもんだろうと受け止めていた。いろんな人がいるから、いろんなことが起こっても仕方がない。仕方がないんだと受け入れていた。だから、少年は自分を不幸だとはあまり感じなかった。単に、こんなものだろうとしていたのだ。
少年には、一般的には恵まれていないとされるだろう自身のこれまでの境遇を、これからの人生のどこかで回収される伏線のようなものだと考える楽観生があった。厭世的であるのに楽観的である自分の性分を、少年はなんとなく気に入っていて、最強じゃないかとみなしていた。群れることなく、孤独に沈まない、これって最強だよな、と。だが、そろそろこのドラマにも新しいキャストが入ってきてもいいよなと俯瞰していた。もし、それが本当に起こるとしたら、ベリンダこそうってつけのようだと感じていた。
もちろん、ミスキャストの可能性も承知していた。少年にとって、それは予防線を張るというよりも、「こんなもんだよな」という仏教的な達観にも通じるような心模様のなせる技であった。





ベリンダは、オーダーを終えると、番号札を受け取り、自分が座るべき席を探そうと周囲を見渡しているようだった。オーダーカウンターの左奥には、およそ30席ほど用意されているが、そちらに十分の空席があるのに、ベリンダが選んだのは、入り口近くの少年の真横の席だった。
そのエリアの席は2人用の対面席で、小さなテーブルに背もたれのない硬い椅子が充てがわれていて、居心地的にはワーストだった。それにも関わらず、ベリンダが自分の隣を選んだことに少年は、やはり「こんなもんだよな」と思いつつ、胸の高鳴りを聞いていた。
少年には、ほとんどの物事を確率に換算して解釈するような癖があった。今現在の空席は、相席を除けばおよそ10。つまり10分の1の確率で、ベリンダは少年の隣に座ったと解釈できる。そして、確率というのは様々な要素を分母に足していくことで、さらに小さくなっていく。ベリンダが週のうちに何度この店に来るか。来る時間帯のパターンから、今現在の時間に来る確率、などなどを合わせて少年が推測すると、ベリンダと少年が隣り合わせになる確率というのは、実に3000分の1になった。つまりこれは、少年が3000回マクドナルドに来ても、1回あるかないかのレアケースということになる。
「なるほど」少年は小さく口にした言葉がベリンダに聞かれた気がしたが、彼女は無反応だった。
「あの、すみません、」
少年の声には適度な張りがあったが、うわずってはいなかった。少年は、うまく声が出せたことをラッキーだと思った。いつも声が小さいだの、もっとはっきり喋りなさいなどと親や先生に言われていたが、必要な時には僕だってこんな声がだせるのだ、と。
ベリンダは、「ん?」というように少しだけ目を丸くして少年の方を見た。そこには警戒の気配はなく、ニュートラルな感じだった。少年は、ベリンダの反応の仕方や雰囲気に、この子はちゃんとしている人だ、決して愚かではないと察知した。
少年は、嫌なタイプの人間に対して、アホだのバカといった言葉を使う代わりに、「愚か者」を心の中で使う。「ん?」と少しだけ目を見開いたベリンダからは、知性と性格の良さを感じた。
「そのスニーカー、いいですね。どこで買ったのですか?」
少年はあらかじめ用意していたわけではない質問をし終えて、しまったと感じたが遅かった。言葉というのは出たら最後で引っ込めることはできない。そもそも話しかけるための何かを持たないままに、そうしてしまったのだから失敗の確率は高かったといえる。
ああ、なんと気持ちの悪い始まり方をしてしまったんだ、と少年は悔いたが、それを表情には出さないように頑張った。さりげない質問をさりげなくしたといった感じで、爽やかめな感じを取り繕った。
「ああ、これ?ありがとう。ま、普通のスニーカーだけどね。アウトレットで買ったんだけど、先週かな。わたし、こればっかり履くからね」
ベリンダは、とてもフレンドリーだった。まさにベリンダって言う感じだよな、と少年は思った。さあ、話をもっと続けなくては。
「そっか、アウトレットか」
ベリンダにつられて、少年もタメ口でいこうと思った。
「でも、高いよね、エアフォースって。いくらだった?」
ベリンダは先生たちが「いい質問だね」と言う時と似た雰囲気で頷くと、
「安くはないけど、高くもないんじゃない?定番だしね。でも、そうねー、1万円くらいだったと思うよ。親に買ってもらっているからそんなに気にしたことないけど」
そう言い終えつつ、ベリンダは軽く笑った。その笑い声がいいなと少年は思った。
「そうか、うちは貧乏だから親には期待できないんだよね。実は僕もそれが前から欲しいんだけど、バイト禁止だしね。高校生になったらバイトして、まずそれを買おうと決めてるんだ」
少年は、淡々とそう言った。
「貧乏なの?そうなのか。貧乏なのか」
ベリンダは屈託なくそう言った。それは相手の血液型を話しているくらいな感じで、少年はそのフラットさがいいなと思った。
ベリンダが少年のスニーカーを見ると、少年は恥ずかしく感じた。それはGUのセールで¥990で買ってもらったもので、ぱっと見、どこのか分からなので安心感があったが、もしそれが¥990だと誰かにばれたら恥ずかしいなといつも思っていた。
「少年、足のサイズいくつ?」
ベリンダが唐突に聞いてきた勢いに乗せられて、少年は即答した。
「28。エアフォースだと28」
少年は数ヶ月に一度はエアフォースを試着していたので、すぐに答えられたのだ。
「そっか、じゃあ、こんど私が持ってきてあげる。うちに兄ちゃんが私と同じやつ新品で買ってもらって履いてないみたいだから、こんど盗んできてあげるよ。確か28,5だったと思うけど、いいよね、少年もう少し大きくなるだろうしね」
少年は、何が起こっているのかすぐには飲み込めずに、ただ頷いて見せた。
「だったら、それクリスマスプレゼントってことで。いいよね、少年」
少年は、何かを言おうとして、そんな言葉がでたことに自分では恥ずかしかった。
「そうだね、クリスマスプレゼントってことで」
少年の淡々とした返事に、ベリンダは両手を叩いて、笑いながらそう言った。
「え、じゃあ、少年、君はわたしに何をくれるの?クリスマスプレゼント」
「あ、そうだよね。何かお返しだよね」
少年は今さらベリンダの目の色が緑っぽい灰色なことに気を取られていた。
「君は何が得意なんだい?少年」
ベリンダは満面の笑みを浮かべている。少年はしばらく自分の得意なことについて考えた。文脈から言って、何か得意なことでプレゼントのお返しをするってことだろうけど、そんなことができるだろうか?
「僕は、ひとりでいることが得意だ」
それを聞いたベリンダは、手を叩いて大笑いした。
「少年、君はおもしろいけど、それじゃあ女の子にはもてないぞ。でも、いいよ、君。私は変な人が好きだからね。」
そう言い終えてもなお、ベリンダはしばらくうけていた。


その3日後、ベリンダは約束通りエアフォースを持ってマクドナルドに現れた。お返しは必要ないから、とベリンダは少年の頭をなでた。
その日は、少年の父親の命日だった。夜遅くに仕事から帰ってきた母親と2人で父親の大好きだったナポリタンを食べて、2人で父親の思い出話をした。それがやがて一段落した頃合いに、少年はエアフォースを手に入れた話を伝えた。母親は、よかったねと言って、息子の照れる顔を愛おしく見つめた。
「お返しをしないと悪いよね、何がいいかな?」
少年が母親にそうたずねると、
「そうだね、達也の得意なことで気持ちをこめて渡したらいいんじゃない?」
道具もお金もかけなくてできることって何だろう?少年は一生懸命考えた。


3年後、少年は4000万人のフォロワーを持つ歌手になる。10以上の言語でアカペラで歌うスタイルと、切ないメロディーは、国境や民族、宗教を超えて愛される。彼は富裕層となるのだが、いつもエアフォースばかり履いている。


だが、父親の命日に食べたナポリタンの味がまだ口に残っているその夜には、まだ誰もそのことを知らない。少年はまず最初にベリンダのために曲を作り歌った。彼はいつも自分以外の誰かを思って曲を作り歌った。大勢の前で歌う時も、たった1人の人を思いながらそうした。
少年は少年であることを失い、大人になっていく過程でも、1人でいることを大切にし、1人の人に向けて何かを渡すことを続けただけだ。ある曲は、亡き父に贈られ、ある曲は、母に贈られ、別の曲は恋人に贈られた。概して身近な親しい人に向けて送り続けた。人は大概、目の前の人を愛さなくなるものだ。人類愛を語る口で、家族に辛辣な言葉を告げるようにもなる。だからこそ、彼の歌は人の心に届くのだろう。戻るべき心の状態を思い出させてくれるのだ。
ベリンダと少年は、高校時代を通して、離れ戻りつつ恋人であり続けた。少年の初期の名曲はこの頃に作られたものが多い。その中でも「ホワイトエア」は、クリスマスソングとしてすでにスタンダードの風格さえ持ち始めている。そう、あの日のお返しの曲だ。





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
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#30 ZEN-は黒いのか
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#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ
#40 カシガリ山 前編
#40 カシガリ山 後編
#41 すずへの旅
#42 イッセイミヤケ
#43 浮遊する僕らは
#44 バターナイフは見つからない
#45 ブエノスアイレスのディエゴは


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。

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