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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#38 音なき世界




耳が詰まった感じはない。エレベーターや飛行機に乗っている時の、気圧の変化によるあの感じはしない。痛みもないし、腫れてもいない。熱もなく、触った感じからすると、いつもどおりの耳のようだ。おそらく機能も正常に違いない。つまり、本来なら何かしら聞こえるはずだ。
だが、目覚めた時から、まったく何も聞こえないのだ。
今まで生きてきて、こんなことはなかったから、当然うろたえた。軽いパニックに陥ったとも言えるだろう。僕は、ただ自分自身に対して、落ち着け、落ち着け、と念じるように心の中で繰り返した。これは一時的な現象に過ぎない。おそらく疲れからきた症状だろう。ただ、これまで未経験だっただけで、40を過ぎれば誰にでも一時的に起こり得ることで、ありふれた老化現象の1例に過ぎないのだ、そう自分自身に言い聞かせ、事態に光の筋を求めた。
目覚めてからの異変に気づいた僕がしたことは、こんな感じた。
 

・ユニットバスの洗面用の蛇口を捻り、顔と手を洗った。音はしなかった。
・テレビをつけて、様々なチャンネルを視聴しようとした。音はなかった。
・拍手をしてみた。音はなかった。
・声を出してみた。母音を全て口にした。音はなかった。
・布団を乱暴にめくり、枕を叩いた。音はしなかった。

 
僕は、意識的に深い呼吸を10回してみた。そうすることで、少しは落ち着きを取り戻せた。呼吸を利用して精神をコントロールするテクニックを学んでおいてよかったと、自分の好奇心がもたらした学びの成果について満足する余裕すら生まれていた。
こういう時に避けるべきことは、感情的になることだ。感情というのは、良くも悪くも精神的な不安定に繋がる。平常時には、それを感動などに昇華させてモチベーションを高めたり、マイナス思考から不測の事態に備える警戒心などを育んだりと、使い用があるのだが、こういう非常事態には、一旦感情のスイッチを切って、淡々と機械的に情報を処理し、対処すること大切だ。
もし、僕の耳に自覚なき異常が起っていて、これから先その機能を使えなくなったとしたら、どうだろうか。僕は冷静に、自分が聾者になった状況を仮定し、それを受け入れる心を起動させた。近未来に予測される事態を、感情を除いて早めに受け入れることは、事態を平準化させ、適応を滑らかにさせる。それはある意味、予防線ともいえる。精神の崩壊を予防するのだ。
このように、セルフディフェンスの最初のステップを済ますと、次に情報を求めることにした。
僕は、尚も聞こえない耳についての思考を一旦中断し、意識的に呼吸をゆっくりさせつつ、スマホから糸口を掴もうとした。
そこには、SNSやニュースアプリがあり、僕は、自分自身の耳が悪くなったわけではなく、世界から音が消えてしまったことを知った。
ニュースアプリは、まだ出来事をどう扱っていいのか判断が追いつかず沈黙していたが、SNSからは、ほぼ今知りうる限り、全世界的に音が消えている様子だった。様々なメッセージは、パニックの真っ只中にあり、一言で言えば、ただ叫んでいた。深い絶望と発狂寸前のテンションが蔓延し、感情を切っていた僕でさえ影響を受けそうだったので、すぐにそれらから離れた。
 

世界から音が消えた?これはいったいどういうことだろう?
 


 

僕は、外出用に身支度を整えて、一旦ロビーに降りることにした。
3機あるエレベーターは、ひっきりなしに上昇と下降を繰り返し、11階で待つ私を載せるまでに3分ほどかかった。
ロビーでは、なぜかレセプションに長蛇の列があった。ホテルの宿泊者たちは、この異常事態にホテルが何か絡んでいると疑っているのだろうか。それとも。快適な滞在をホテルが何時でも提供できるという信仰を持っているのだろうか。非常時に、人々は身近にある権威的な何かを見つけたがる、そしてそれの判断に従おうとする。
僕は、長蛇の列には加わらず、まず腹ごしらえしようと決めた。おそらくこの後に起こることは、人々の買い占めだろう。パニックに陥ると、必ずこれが起こる。食料・水の確保、日用品、とくに消耗品などはその対象になりやすい。ガソリンも、当然その対象になるだろう。人は日常を保とうと、まずは物の変化と欠品を恐れるのだ。音の喪失が、ガソリン不足に繋がらないとは誰が保証できるのか、その用心が、さまざまな買い占めに人々を動かしてしまう。
僕の場合は、買い占めよりも、腹を満たすことが大切だった。脳を動かすには、それ相応のエネルギーが必要だ。小説家の僕は、書く時はデスクの上に食べ物を欠かさない。それはマラソンランナーが、レース中に様々な補給をするのと同じことだ。僕の作業食は、チョコチップクッキーだったり、干し芋だったり、ミックスナッツが多い。
僕は面倒なことが起こると、また、起こりそうだと察知すると、まず燃料を満タンにすることが習慣化されている。時刻は7時48分、ホテルで朝食をとることにした。
 

朝食会場となっているカフェレストランには、人が少なかった。僕の他にいる客は、20代の恋人たちが1組、50代のスーツを着た男が1人、そして、30前後の女性2人組みの、5人だけだった。
係の40代の大柄な女性は、マスクをしたまま窓際の席へと僕を案内した。そこは、朝日が差し込んでいて、通りに面し、僕が好きなタイプの席だった。
ウエイトレスの女性は、バーコードを読みとるかのように僕の目をじっと見つめた後で、おもむろにメニューにあるソフトドリンクの箇所を指さした。僕は、ここから1つ選ぶのだと察し、まず、カフェオレを指し、その脇にブルーで書かれたアイスを次に指した。
そのウエイトレスは、大袈裟に見えるくらいに大きく頷いたあと、念を押すように、右手でサムアップした。僕は、その一連の仕草が、この音のない世界を象徴しているように思えた。見方によっては微笑ましくもあり、そしてなんとなく残酷な気もした。
その後も、ウエイトレスとの短いやり取りがあった。僕の普段の朝食は、コーヒーとトーストだけなのだが、ホテルでは和食を注文することが多い。そして決まって米のおかわりをしてしまう。なぜだか分からないが、家から出ると、僕は朝から食欲旺盛で、それはきっとイレギュラーな1日へのオートマティックな対応なのだろう。小さな非日常にかかる負荷への消化器からの催促にちがいない。
その日は、米を3杯も食べた。腹八分を健康のために心がけているのだが、満腹がもたらす負の要素を受け入れるべきだと、身体が指令しているのだから、従うしかない。
僕は、一旦部屋に戻ろうかとしたが、考えを改めて、そのまま近くを散歩することにした。約束は全て午後にまとめておいたし、もともと午前中の2、3時間は、個人的なことに使おうとしていた。
その時間の銀座は人も少なく、ビル群を樹木に見立てれば、美しく整備された公園を歩くような快適さがあった。碁盤目の道は、遠くまで見渡せて、視覚から伸びやかな気持ちへとつながる。
だが、やはり音のない世界というのは奇妙なものだ。音をミュートして観る映画のようだ。そこには生活音もなく、会話の音もなく、音楽もない。あるのは、形だけだ。
意外なのは、一時的か恒久的かは、まだ分からないが、この新たな非常な世界で、目の前に見えるもの全ては、無音以外は、何も変わってないということだった。車は走っている。人々も歩いている。おそらく地下鉄も動いているだろう。コンビニに人は出入りしている。音がない以外は、何も変わっていないことに、僕は驚いた。
 

そして、アメリカの、というよりアメリカ軍、ペンタゴン、が急に頭に浮かんだ。
これは軍事兵器の仕業なのではないかという思いつきだった。その司令元はアメリカでなくてもいいのだが、最も可能性があるものとしてアメリカが真っ先に浮かんだのは、平凡かつ真っ当な推測であるはずだ。きっと彼らが壮大な実験をしているのかもしれない。
音というのは、空気を通って伝わるので、こうして呼吸していられる以上、空気があることは間違いない。ならば本来、音は伝わるはずだ。やはり未知の技術で、音だけを、つまりある種の振動だけをこの世からカットできるのだろう。
僕は空を見上げた。快晴の青空が眩しかった。その青の奥の奥には、人工衛星があって、そこから何かしらが出ていて、世界から音を奪っているのではないだろうか。そんな想像をした。
 


 

原因を推測する一方で、僕はこういう世界も悪くないのではないか、と思った。音というのは、音楽を筆頭に悦楽をも与えてくれるもので、また情報伝達上でも効率的だろう。事故防止上でも欠かせないはずだ。人間に限らず、この地球上の様々な存在は、音のある環境を前提にしているなら、それが欠けることで、当然様々な変調があるだろう。それこそ、地球温暖化以上の激変があってもおかしくない。
だが、そいういうことはさておき、僕はこの音なき世界がしばらく続いてもいいのではないかと思った。この海の底のような奇妙な世界が新たなスタンダードになったら、それはそれで、いいのではないか。
僕にとって、そもそも世の中は騒々しすぎる。頼むから静かにしてくれ、と願うことがどんなに多いことか。
2020年から人類は顔半分を隠し始めたのだが、まさか音がなくなるなんて、誰が想像したことだろう。今頃、地球の裏側まで、様々な推測がなされて、多くの人がうろたえて、悲しんでいることだろう。私たちは、大きなものを失ったと。
音のない世界がいつまで続くのか分からないが、これがずっと続いたら、声帯と顔の筋肉、耳はかなり退化して、私たちの顔に大きな変化をもたらすことは間違いない。

そんなことを考えながら、コーヒーショップに入った。
店員は、普通にそこにいて、客もいる。普通ならBGMが流れているのだが、聞こえない。客達も当然静かで、目の前にいる相手との会話もSNSで交わしているようだ。まるでリモート会議のようなのだが、違うのは本物の相手がそこにいるということだ。
僕は、ブレンドコーヒーのMサイズを指さしで注文した。店員は、笑顔で大きくうなずいて両手でサムアップした。おそらく、ありがとうございます、といった意味合いだろう。そうか、これからは身振りが大切になるのだな、と思った。というよりも、手話が共通語になるのかもしれない。その手前に、笑顔でサムアップが、サービス業の基本になるのかもしれない。
僕はブレンドを受け取ると、窓際の席に座った。大きく息を吸い込む、そして吐く。いわゆるため息さえ聞こえない。店内にいる人が、特にパニックに陥っていないのは、そういうことを気にしないか、適応力がものすごい人たちだけが、ここに来れるのだろう。その他の多くの人は、きっと落ち込んでいるか、途方にくれているか、買い占めに忙しいのだろう。
こんなんじゃ、ますますスマホへの依存だな、と心の中で呟き、新生児は、言葉を覚えることができないだろう、だとしたら、そこからどうやってコミュニケーションが生まれるのだろう、などと思考の連鎖を意識しつつ、僕もスマホを見た。
妻からのメッセージが、時間を置いて、3件あった。ラインとインスタとに分けてあったのは、さすがに焦っていたからだろう。
「音がしない。」「そっちは、どう?」「いつまでこんなかな?」
このフレーズが、地球上で、それぞれの言語で呟かれたはずだ。僕は時々拍手をして、音が戻ってないかと確認するが、何も変わらないままだ。
今頃、株式市場もすごいことになってるだろう。各国の要人たちが、他国との連絡に追われているだろう。ライブを控えたミュージシャンたちが、もはや笑ってしまっているだろう。警報が鳴り響かない世界では、犯罪者たちが夜を待ちこがれている。
「さて、と」
僕は、自分に声をかけた。
「そろそろ、行くとするか」
この世界では、しばらくの間、独り言が流行るだろう。





#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 

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