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元芸人であり、現在ラジオパーソナリティ(TOKYO FMにて月曜日から木曜日の17時〜19時48分まで生放送している『Skyrocket Company』)として、ドラマや舞台の脚本家として活躍しているマンボウやしろ。この度、彼が初の小説、その名も『あの頃な』を上梓した。新型コロナウイルスに翻弄される世界とそこに生きる人々を、多彩な筆致と物語性をもって、ときにウイルス自体も擬人化しながら、徹底的にニュートラルな視点で描くショートショートが全25篇収められている。処女作にして新型コロナウイルスを題材にした小説を書き上げた経緯と、彼の作家性の核にあるものについて訊いた。
──シンプルに面白かったですし、読後感には非常に奇妙な爽快さがありました。
やしろ「ありがとうございます。読後感は重要なポイントで、僕が一人で向き合ってたらもっととんでもない読後感になっていたと思います(笑)」
──そのあたりは編集者の方と二人三脚で?
やしろ「そうですね。編集の方にアドバイスをいただきつつ書き直したり、一文を付け加えたり、話の順番を変えてみたりしました。本来、僕の芸風的には変なものを届けたいという気持ちが強いですし、受け手のみなさんにも変な気持ちになってほしいんですね。それはお笑いをやっていたときも、舞台の脚本を書いてるときも。なので、この小説もいい読後感がなくてもいいんじゃないかという気持ちもあったんです。ただ、コロナ禍で亡くなっている方もいますし、まだ収束していないことを考えるとシビアで変な話だけを書いてもお怒りになる人もいるかもしれないなと。ある種、病気をエンタメにしてしまっている小説なので」
──ウイルスを擬人化していたり。
やしろ「はい。病気をエンタメにしていることを考えると、そこは僕の芸風どうこうだけではなく、編集者さんの意見を聞くことのほうが大事かなと思って。『もうちょっといい話があったほうがいいですね』とか」
──“いい話”というのは?
やしろ「『気づき』とか『気付きの先』のようなストーリーですね。ラジオ3部作(『ラジオのコロナ』)も出口を暗くしようと思っていたんですが、ポジティヴというか……コロナ禍においてもよかったこともあるよね、救いがあるよねという着地に落ち着いて。『気づき』はすごく時間がかかりました。『コロナに関してのいい話ってなんだ?』って考えながら、いろんな人に話を聞いて。単純に儲かった人とかもいると思うんですけど、やっぱり多くの人が言うのは『大切な存在に気づいた』ということで。それが一番多かった。であれば、そのことを描くしかないなと」
──「ラジオのコロナ」の終わらせ方はラジオパーソナリティとしてのやしろさんが、リスナーのいろんな声と向き合いながら覚えた実感がエッセンスとして散りばめれているのかなと思いました。
やしろ「そういう部分もあると思います。でも、僕はもっとラジオをシビアにやっている部分もあって。半分くらいは話の主人公のハッピー浜口さんというキャラクターの思考を想像して書きました。ラジオをやっていることで入ってきた情報が話のベースになってるのは25篇の内の4割くらいだと思います。『気づき』という話もそうで。結婚するつもりはなかったけど、コロナ禍で恋人と会えなくなってしまって、結婚をすればいつも一緒にいられる権利を社会的に得られるという。恋人に会いにいくという理由だと不要不急の外出となってしまうんですよね。結婚という権利を得られない恋人同士もいるので、そこはまた別で問題があるんですが。2020年にラジオのTwitterの書き込みで『結婚してたら家族として一緒に過ごせる』というのがあって。なるほど、と思ったしそれも愛の形であり、コロナ禍がもたらしたポジティブな恩恵の一つなのかもしれないと思ったんです。踏ん切りが付かなかった人が、結婚に踏み切るというね」
──堂々と口づけもできたり。
やしろ「そう、それは他人との濃厚接触じゃないという。家族ですからね。やっぱり災害のときと同じで、コロナで離婚した人も増えたと思うんですけど、大事な存在に気づいた人が多いというのはあると思いますね」
──そもそもやしろさんの中で小説を書くというのはいつか着手したいと思っていた表現方法だったんですか?
やしろ「はい、いつか着手したいなとは思ってました。話を考えるのが好きですし。だけど、これはすべての芸人に言えますけど、又吉(直樹)が芥川賞を取ったことで小説を書きづらくなったんですよね」
──なるほど(笑)。
やしろ「最近ようやくその波が落ち着いてきましたけど、あのファーストインパクトたるやすごかったですから。あれは芸人界にとって余計でしたね(笑)。誰が小説を書いても又吉と比較されますから。僕も小説を書いてみたいと思っていましたが、又吉がすごいのは幼いころから小説が好きで読み続けてきた土台があるので。僕はハタチのときに初めて小説を読んだんです。すごく遅かった。だから土台が違いますし、語彙力や文章力にも自信がなくて。僕は文法がダメなんですね。脚本を書いていても役者さんに『文法がおかしくないですか?』とか『(セリフを)覚えづらい、言いづらい』って言われることがあって。ただ、それも僕の一つの芸風だと思っているので押し通しちゃってるんですね。でも、これが小説となると小説好きの方に叩かれるなと思って、なかなか手を出せずにいたんです」
──あるいはそれもポジティブに捉えるならば、コロナに後押しされて小説を書けたところもある?
やしろ「いえ、実は『小説を書きませんか?』というお話はコロナの直前、2020年の頭にいただいたんです。もともと小説を書くなら絶対これ、というテーマがあったんです。それで、僕から出版社に『小説を書かせてください』と言うのはハードルが高いけど、オファーをもらうことは一生ないかもなと思って『トライしてみます』と言ったらコロナ禍になってしまったんです」
──つまり、やしろさんが小説用に思い描いていたテーマは、コロナとはまったく違うものだった。
やしろ「はい、まったく別物です」
──それは長編ですか?
やしろ「長編です。でも、今回のコロナ禍もそうだし、東日本大震災のときもそうだったんですが、ラジオをやっている関係でそのことしか考えられなくなるんです。いろんなリスナーさんと向き合わなきゃいけないし、コロナ禍が始まったときに『だったら収束するまでとことんコロナと向き合って、コロナに関する短編小説を書こう』と思って。それを出版社に打診したら快諾していただいたので。それが2020年の3月ごろですね」
──長編で書きたいと思っていたテーマと、今回書いたショートショート群はどこかで繋がっているところもあるんですか?
やしろ「すみません、まったく繋がってないです(笑)。長編は長編でまたしっかりと向き合って書きたいですね。だいたい話の筋ができてるんですけど」
──それについてはまだ訊かないほうがいいですか?
やしろ「いえ、全然! それは僕が若いころからものを作るときに経験していることで。イヤなことや不幸なことがあったときに──たとえば自分の親が死んだりしたときに、時間がある程度経過するとそれが自分の創作意欲となって活きてくるんですよね。だんだん不幸が麻痺してくると言いますか。『イヤなことがあったらそれをネタにすればいいや』って、不幸と物作りの間隔が短くなってくる。で、最悪なのが、それが逆転して、ものを作るために不幸を求め始めることで。その臨界点についての話というか、『ここを越えちゃダメだよ』というパラドックスの話ですね。不幸が欲しくなってしまった歌い手がどんどん周りの人を巻き込んで不幸にしていく話なんです」
──ある種のウイルスのようですね(笑)。
やしろ「本当にそうですね。昔、『おまえもクスリやれよ』って言っていた、憧れの悪い先輩が、災害が起きたら家族を大事にし始めて。その後輩の歌い手は『おまえ、何、生き方、変えてんの?』って思うわけです。『人に生き方を指示してたくせに』って。そこからどんどんその先輩を不幸にさせていく。で、僕がそういう創作と人間関係みたいなことを考えて小説を書きたいなと思っていた時期がちょうど又吉の『火花』と被るんですよ(笑)。吉本の人に『『火花』読みましたか?』『読んでないです』『似た話だと言われるので10年は出さないほうがいいよ』って言われて(笑)」
──なるほど(笑)。
やしろ「でも、これは小説ではなくて、舞台の脚本として書くかもしれません」
──先ほど越えちゃダメなラインの臨界点というお話がありましたが、そこはこの『あの頃な』にも通じるところがあるのではないかと。
やしろ「それはあるかもしれないですね。それが人生のテーマかというとそうではないと思いますが、そこらへんの感覚を面白がってるのかもしれないですね」
──その前提として、やしろさんはニュートラルな視座ですべての登場人物を見つめてますよね。たとえばコロナやワクチンに対する考え方が真逆の人たちも平等に捉えている。それこそが『あの頃な』の肝でもあると思いますし、ラジオパーソナリティとしてのやしろさんの信条でもあるのかなと思ったんです。
やしろ「ラジオで培った、すべての人を平等にということ、それから人にイヤな思いをさせないように取るバランス──僕はとにかくバランスって言うんですけど、書き込みをする人の年齢も性別もバランス、番組でかける曲が伝わる世代もバランス、僕たちが大きい声を出すタイミングもバランス。『とにかくバランス狂いになりましょう』って言いながら番組を作ってるんです。それは夕方の3時間の生放送だからこそ向き合わなきゃいけないバランスなんですね。深夜に芸人がやってるラジオではないし、朝の情報番組でもない。夕方のラジオで何をやるんだってなったときに培った、そこで付いた変な筋肉がこの小説に活きてると思いますね。コロナをどういうふうに捉えてる人でも『なんだよ、この本!』ってならないで読めるバランスというか。誰が読んでも『俺はこっち側だよ』って言えるような書き方はしてますね」
──登場人物たちは、いろんなあり方でコロナに翻弄されていて、滑稽だけど愛おしくもある。その感覚がすごくラジオ的でもあるなと思いました。
やしろ「変な言い方ですが、そこに僕自身のパーソナリティがない、僕のパーソナリティ性というか。僕自身の人間性は排除してる小説ですね。そうやって、最終的にはウイルス側の気持ちにも入っていくという(笑)。この本がなかったら、僕はウイルス側の気持ちに入っていくことはなかったはずなので。コロナ禍の今なので言い方は難しいですけど、最後はウイルス側にまで自分が行けたことは達成感がありましたね。ドラマや舞台の脚本でもそうなんですが、実在しない主人公のことを毎日考えて、だんだんそのキャラクター像ができてきて、『こいつ、こういうこと言いそう』っていうセリフを書けたときが一番うれしいんです。それが今回、ウイルスでもできたので」
──このショートショートたちの中のストーリーを膨らませて中・長編にできるものもあるのではないかと思うのですが、そこに興味はないですか?
やしろ「そうですね。まったく考えてないですね。むしろ新しいストーリーのアイデアがどんどん浮かんでいるので。コロナ禍が収束しなければ書きたいテーマはいっぱいあります。今回、自粛警察について書ききれなかったなと思っていて。自粛警察と商店街の人たちの話を書いていたんですが、なかなか形にできなくて」
──それこそバランスが難しかった?
やしろ「整合性が取れなかったです。自粛警察をしてるおじさんを騙して、みんなで懲らしめようみたいな話なんですけど、どうやっても騙して連れ込む描写が嘘くさくなりすぎてリアリティがないなと。あとは5Gとコロナの関係性みたいなことも書きたかったなと思いますね。でも、今回この小説を書かせていただいたことで、自分の(表現の)箱が1個増えたので。何度か『すみません、書けません』って謝ろうとしたんですが、書けてよかったです(笑)」
──相互作用として舞台化などもあり得そうですよね。
やしろ「それこそ『ラジオのコロナ』は舞台脚本として書いてるので。本当は小説のプロモーションとして舞台をやりたいなとも思ってるんです。登場人物が3人だし、役者さんがセリフを覚えるのが早ければ10回の稽古でいけると思います。小説のプロモーションとして実現させたいですね」
text Shoichi Miyake
マンボウやしろ
『あの頃な』
発売中
(角川春樹事務所)
http://www.kadokawaharuki.co.jp/book/detail/detail.php?no=6358
2020年初頭から世界を席巻した新型コロナウイルスは、あっという間に私たちの生活を一変させた。職場も、家庭も、友人や恋人などの人間関係も、そして未来すらも。劇的に変化した世界で生きる私たちの日常は、どこに向かっていくのか? ラジオの現場でコロナを報道し、リスナーの声を聞き続けた著者が、抱えてきた想いを25本の物語に昇華させた!誠実でありながらシュールで刺激的。そして笑え、最後には沁みていく……。 舞台、ドラマの脚本・演出で今、もっとも注目される鬼才・マンボウやしろ、初めての小説! 読者の心と頭を予測不能な振り幅で揺らす、珠玉のショートショート25篇。