近年、ピラミッド型の組織とは異なる、独立した個々が集まったフラットなコレクティヴ/コミュニティやその時折でメンバーが変わるアメーバ型の共同体が増加している。一つの価値観を通底させる軍隊型を原型とするピラミッド型では生まれえない、個々の価値観やアイデンティティを尊重することでアイデアや拡散力を発揮するフラットな共同体について、その発足から活動、メンバーの思いなどを伝えることで、様々な未来の形を想像させる「& Issue」。第3弾はアーティストharu.が学生時代に立ち上げた「HIGH(er) magazine」から進化し、企業と共に企画のプロデュースなどを展開する会社HUGが登場。haru.、宮 有里奈、半澤まどかに、立ち上げまでの経緯や現在の仕事、コミュニケーションについて思うことなどを聞いた。
――最初にHUGの成り立ちを教えてください。
haru.「HUG inc.は元々『HIGH(er) magazine』の編集メンバーで、2019年6月12日に立ち上げた会社です。メンバーそれぞれに大学を卒業するタイミングが違ったんですが、私は卒業して何をしたいかがまだ決まってなくて、ただ最後に『HIGH(er) magazine』を出すことだけが決まっていたので、それに向かって猛進していました。宮は同じタイミングでの卒業だったんですが、就職活動をしながら隣で私の活動を支えてくれていて。結局私は就活はせず、大学院の試験を受けたものの落ちて、その時に今いる仲間たちと仕事をするベースを作るために会社を立ち上げようと決めたんです。そこで当時私をマネジメントをしていた会社に相談したところバックオフィス的にサポートしてくれることになり、所属会社の子会社という形でHUGを始めました」
宮「私は卒業制作をやりながら就活していたけど嫌になってやめてしまって、この先どうするのかと家族に詰められてたんです。ある日、大学のゼミ終わりにharu.に電話をかけたら院に落ちたと聞いて、『うちらどうする?』『会社やろうよ』という流れになって。元々『HIGH(er) magazine』が大きなブランドとコラボするようになって個人名義ではやりとりが厳しいと言われた頃から会社にしたいねという話はあったんです。それが具体的になって、私は大人の力を借りるのは気が進まなかったけど、彼女は大人の力を借りられるうちは借りるし、勉強できることはしてから独立しようという意見で、一旦周りの方に助けてもらって立ち上げました」
haru.「親会社はSNS事業をメインとするベンチャー企業だったんですが、HUGのことをわかろうとしてくれる人もいて、制作のスタッフとは今も現場でよく一緒になります。そこから2021年の4月に株式の譲渡を経て独立しました」
――半澤さんはいつから加入されたんですか。
半澤「2020年の8月頃からです。私も『HIGH(er) magazine』のメンバーなんですが、専門学校の出身だったので二人よりはやい2016年に卒業したんです。ハイアーでは服や花のスタイリングをしていましたが、花の方にもっと力を入れたかったので、卒業後は花屋さんで働いて、finaleflwr(フィナルフラワー)という個人の活動に集中していました。2020年春に独立のために勤めていた花屋を辞めたと同時にコロナが出てきて。一旦花屋の仕事は置いておいて、別の仕事をしようと思った時に、haru.と久しぶりに会って会社に人手が足りないと聞いたことから入ることになりました。今HUGでは主にシアバターの管理や発送の担当をやっています(https://huginc.thebase.in/items/33044319)。HUGはいろんなプロジェクトが同時進行していて、途中から入ってそこにどう関わっていくのかが大変でしたが、今はようやく落ち着いた感じです」
――「HIGH(er) magazine」は純粋に自分たちの作りたいものを作っていたと思うのですが、今はビジネスとしてコンテンツ制作やプロデュース、マネジメントを行っています。そこで変わったことはありますか。
haru.「最初に事業内容に含めていたアーティストのマネジメントは、やってみてすごく難しかったです。本人の活動のフェーズや自覚次第でサポートする内容やできることも変わってくるので、方法を変えようと思っているところです。なので、今はメインで窓口となっているのはイシヅカユウちゃん(モデル/役者 https://h-u-g.co.jp/yuishizuka/)だけになっています。ユウちゃんとはトランスジェンダーというアイデンティティを表に出していくのか出さないのかという話もして、内面的な部分も思い切り出そうという方向性にシフトしてみたり、アウトプットする言葉の魅力も伝わるようにしたいと、人を商品化するようなマネジメントとは違った方法を模索している中で一緒にやっていってます。クール&スパイシー(クリエイティヴ・ユニット https://h-u-g.co.jp/cool-and-spicy/)も所属しているけど、彼らは本当に自由で、職業も所属当初から変わっているし(笑)、助けを求められたらサポートするけど、どちらかと言うと精神的にこちらも引っ張ってもらってるような感じもあります。
マネジメント以外で今メインでやっているのは、いろんな企業やブランドが抱えてる課題などを聞いて、コンセプトをどう伝えるか考えてアウトプットすること。それを冊子のような形でやることが多いです。2021年は冊子を6冊くらい作ったけど、経験を積み重ねてノウハウを応用していくというビジネス的なやり方ではなく、毎回新しいプロジェクトとして動いてるので難しいなと感じたりもします。でも会社に先輩がいない分、一緒に歩いてくれるパートナー的な企業に学ばせてもらってますね。相手先があるものづくりですが、やり方は『HIGH(er) magazine』から大きく変わっていないと思います」
宮「基本的にはharu.という人物や『HIGH(er) magazine』を知っていて声かけてくださることが多いので、とにかく多くの人に届けばいいということではなく、ちゃんと丁寧に伝えたいと思って相談してくださる方が多いのはありがたいですね。
まだビジネスに関しては勉強中で、やりながらわかっていってる段階なんですが、同時にやれることも増えてきている3期目現在です。一番難しいのは、いただいた予算や見積もりの中でどこまでのクオリティのものを自分たちの中で許して出せるかというバランスですね。この金額だとできることはここまでだと思っても、それでは出したくないとなってくると、クライアントとの交渉より自分たちや社内での調整になる。作りたいものをちゃんと作らないと私たちも苦しくなるし、見てる人たちに失礼だし、大事にしたい部分だから、その折り合いがいつも一番の課題。でも逆にお金があるからこそできることもあって。『HIGH(er) magazine』の制作時には学生だったからこそできたこともあったし、インディペンデントの媒体でも応えてくださる方がいたのはとても幸せで尊いことだと思うんですけど、仕事になってちゃんとアーティストに対価をお支払いできて、大きな企業とも一緒に色々やっている今も楽しいです」
haru.「今までカルチャーシーンの表よりは裏という立ち位置で見られていたのをひっくり返せるのは面白いよね。ナイキやビルケンシュトックなど誰でもが知ってるような企業と仕事して、そこから手作りの、一見なんだかわからないようものを出すというある意味実験みたいなことをやって。アンダーグラウンドを自分たちで掘り返して表に出すようなことは私たちだからできることだから、そういう立ち位置をずっと守っていけたらいいなと思ってます。こういうものづくりは時間がかかるし、そんなに儲からないけど、仲間たちがちゃんとご飯を食べれて、休めて、かつ楽しくものづくりができるのが私の中では一つのゴール。だから会社を大きくするより隣の人の幸せをどう作ろうかなという気持ちでやってます」
――先ほどharu.さんは先輩がいないとおっしゃっていましたが、それはロールモデルがいないということですよね。「HIGH(er) magazine」のロールモデルは「Rookie Mag」(https://www.rookiemag.com)だと思いますが、創設者のタヴィ(・ケヴィンソン)は今は個人での活動になっているし、HUG inc.での活動のロールモデルがいない。
haru.「そうなんです。『Rookie Mag』や『purple MAGAZINE』(https://purple.fr/magazine/)、個人ではエレン・フライス(『purple MAGAZINE』の元編集長)や林央子さんなどがロールモデルだったんですけど、組織的なロールモデルがないんですよね。でも『HIGH(er) magazine』時代から、メンバーたちが続々とそれぞれの道を進むとなっても、私がいさえすればそこが広場になるとはずっと思っていました。その時は一人で存続させようとする感覚があったんですけど、傍に宮がいてくれたことで強度も上がったし、その少し重力がある感じがいいなと思っています」
――そうじゃないと会社にできなかったし、宮さんの存在はすごく大きい。
haru.「うん。宮は土ですね。土がないと木は立てないから」
――そのコミュニティやパートナーに出会えたことについてもう少し聞かせてください。まだ自分が望むコミュニティに出会えていなかったり、それを作るためにはどうしたらいいんだろうと悩んでいる人も多いと思うのですが、人との出会い方やコミュニティの作り方でアドバイスできることがあれば。また、それぞれコミュニケーションにおいて大切にしていることも教えてください。
haru.「コミュニケーションに関して自分の中で無意識ながらも意識してると思うのは、相手が言いづらそうに自分の話をしてきた時にびっくりしないということ。ふーん、そうなんだと普通に対応することで、次会う時にはその人にとってそれがもう共有された事項として更新されるんですよね。やっぱり言ったことに『えっ』と驚かれたり、拒否されたりすると、ここではそういうのはダメだったんだとちょっと距離が離れてしまう気がするじゃないですか。話してくれた人にとって居心地悪い空間になってしまうし、そのポイントで自分の無知が及ぼす波動の波が後々響いてくる。私と一緒にいる時はそう思わないでいいように驚かないというのは具体的なコミュニケーション方法としてあります」
宮「今はコロナで難しいけど、私はやっぱり時間がかかっても会いに行くというのがコミュニケーションというか、私の人生ですごく大事な気がします。どこにいても、行けるなら行く。友達がピンチの時とかもそうだし、自分が会いたい人がいて、会いにいくべきだと決めたら行く。許されるなら。オンラインでもいろんなことができるようになってきたけど、 テキストだけじゃその本人の健康状態とかも、私のことも多分伝わりきらないんです。久々に会って変わってないね、元気出たと言われるだけで嬉しいし、会えただけで嬉しい。だからコミュニケーションは、傷つけないとか驚かないとかも当たり前に大事だけど、大前提は会うということだと思っています」
haru.「誰かと関わるってそれだけでエネルギーが動いてるから、横を走り去るだけでもそこになにかが生まれる。だから強引にではないけど動のエネルギーは生み出したい。風を吹かせたいよね」
宮「その人の前でちゃんと自分でいることもすごく大事。うまく言えないけど、言葉で丸め込んだり、適当にあしらったりしない。誠実に対応することって簡単じゃないけど、すごく大切だと思います」
haru.「自分の欲求をちゃんと伝えることもその一つかも。私はこうしたい、これは嫌だということを伝えるのは、コミュニケーションを円滑に進めるためにとても大事なこと。そうすることで後々溜まって爆発することを防げるし、最初の対立していない状態で自分の意見を伝えられるから。あと、私とあなたという関係性をなるべく崩さないこと。組織対組織の形式上のお付き合いではなく、普通の人間と人間で考える。形式的なものの方が楽だし、しかもその方が一見正しく見えるけど、実は苦しめられることが多いと思うので、そこは意識してやっていますね」
――私とあなたという考え方は対組織というだけじゃなくジェンダーの問題など様々な場面で応用できますね。
haru.「そうですね。こういう所作をしたから誘ったみたいな言い訳も全部取っ払うことができる。それをやっていきたいです。
コミュニティ作りについては私は本当にラッキーだったという気がしてる。宮は私が大学1年の時の展示に来てくれたんです。一緒にいた同級生たちとお茶してというのが最初の出会いで、そこからしばらく何もなかった」
宮「顔見知りという感じで、イベントやライヴで会っても会釈するだけでした。でも私がその展示に行ったのは、それこそコミュニティみたいなものを求めていたからなんです。私は高校3年の時にISILによる日本人拘束事件があって、ジャーナリズムや知るということに関心が高くなって社会学を専攻してたんですけど、AO入試で落ちてしまって。そこから自分が本当に社会学に興味があるのかわからなくなってしまったんですね。それで担任に相談していたら、卒業生ですごく楽しそうにしてる子がいて日芸に行ってるんだよねと聞いて。ものを作ったりするのは好きだったけど、自分が芸術とかそういう方向にいくとは考えたことがなくて、でも写真だったらやってもいいかなとぼんやり思って日芸に入っちゃったんです。いざ入って友達もできたものの大学のテンションにちょっと温度差を感じたりして、外部の作品も見に行こう、外の繋がりも探そうと思っていた矢先に、大学の先輩の小林真梨子(写真家 https://www.instagram.com/marinko5589/)さんがSNSで『haru.が展示やってるからみんな行ってね』ということを書いていて、展示場所はものすごく遠かったんですけど、もう行くしかないと。当時、私は埼玉の所沢校舎で、haru.は茨城の取手校舎で、初めて行く所だし、展示場所もわからないながら歩みを進めてたらなんとか着いて、haru.さんとその同級生たちに『どこから来たの?』とか言われながらお茶して、それが始まり。そのうち真梨子さんの展示にも行ってご挨拶できて仲良くしてもらえて、真梨子さんはharu.さんの大親友だからまた縁が繋がって。だからあの時、コミュニティと出会いたいと思って足を運んだのは本当に大事だったなと思います。それが今に繋がってる」
haru.「本当に最初の1歩ですよね。そこから一気に広がったというのは私も同じなんです。日本に帰国して、大学受験前に藝大の中里周子(https://www.instagram.com/norikoniko/)さんの卒業制作見たさにキャンパスに行って、インスタのDMで会いたいですというようなことを送ったりしてたんです。その繋がりで当時周子さんが作っていたお洋服のモデルとして呼んでくれたんですよ。まどかはそのブランドのお手伝いをしていて、その時のヘアメイクのお手伝いが後に『HIGH(er) magazine』のメイク担当になるKyokoで、そこで今の基盤が作られたというか。だからビビっときたものにワンアクション起こすと、時間が経てば何かしら相手も感じ取ってくれるはず。ずっと憧れだった編集者の林央子さんも、学校に自分の専攻とは全く違う授業で来てらした時にも行ったりして、最近では普通にやりとりもできるようになりました。ファンガール、成功したオタクです(笑)。アドバイスとしては、コミュニティというと広大な敷地みたいなものを想像してしまうけど、それよりも人をめがけていいんじゃないかと思います。広大な敷地を想像して自分がそこに入れるだろうかと怖がるよりも、相手が一人だったら怖さ半減だから、その一人とどうにか関係性を作ってみるのがいいのかなと思う。この人だと思ったらとりあえずアプローチしたり、何か作って送る。最初は全然見向きもしてもらえないかもしれないけど、自分が活動してるうちになんとなく繋がっていくというのが私の今までのやり方です」
半澤「私も中里周子さんのところで、本当にたくさんの人と出会いました。それこそ、haru.がドイツにいた頃からブログを読んでたんです。まさか出会うとは思ってませんでしたが、ある日haru.が現れて、ファッションや政治の話をするうちに『HIGH(er) magazine』を作ることになり、今もこうして一緒に仕事をしています。コロナ禍になってコミニュケーションって何、とわからなくなっていますが、やると決めて進んでみることは大事だと思います」
宮「うん、すごく大事だと思う。私もそうだった。今コロナだから厳しいかもしれないけど、歩みを進めると、その時すぐには起きなくても、後に何か起こったりするかもしれない」
haru.「うちらも会釈の仲だったのに一緒に会社に立ち上げてるしね(笑)」
宮「会釈からの深まりも私のワンアクションなんです。私がたまたま通ってた美容室に、haru.以外の『HIGH(er) magazine』のメンバーがみんな通ってて、担当の美容師さんも一緒で。それでイベントの時にKyokoさんにその話をしたら仲良くしてもらって。で、何かの折に、私はずっと『HIGH(er) magazine』を見てたから、何か手伝えることがあったら声かけてくださいということを伝えたら、本当にイベントの手伝いに呼んでくれたんです。Kyokoさんが繋いでくれて会釈関係だったharu.に久しぶりに会って、そこから『HIGH(er) magazine』の5号目を一緒にやることになって今に至ってる」
haru.「そのイベントが節目で、そこで実質『HIGH(er) magazine』が解散になったんです。みんなが卒業のタイミングでそれぞれ違うことをやるから一旦解散しましょうとなったけど、私はそれでも作る、場所を守るよって、宮を巻き込んで5号目を作りました」
宮「私も巻き込まれに行ったみたいなもので、場所を守っていればみんなも適当に戻ってくると思ってやってます」
haru.「実際まどかもまたタイミングがあった時に一緒にやろうねと言ってたのが戻ってきてくれて。それで、今また『HIGH(er) magazine』の6号目を作り始めてるんです。実は仕事を始めてから『HIGH(er) magazine』を作る意味がわからなくなっちゃったというか、忙しすぎたし、自分の中にあった作りたい源泉が一旦閉じた感じがあったんです。でもまた、求められるものだけじゃなく、自分たちが見たいものを自分たちの手で打ち出すという『HIGH(er) magazine』へのモチベーションがまた湧いてきて。ものを自分で作って、それを届けられることの重さも仕事をして学んだので、大学時代の『HIGH(er) magazine』を作っていたのとはまた全く違う感覚で次は出すんだろうと思います。印刷工場の見学に行って、自分たちが生み出すのにどれだけ多くの人に関わってるかを実際に目で見て、その仕事の丁寧さも見て、作ることに対してハードルが上がったし、次に出すものはちゃんと届けたい人の顔が具体的にまた浮かぶようになりました。誰に見られるでもなく、ちゃんと作っている人たち。作る過程の中で関わってくれた人の温かさに触れるとか、そういうことにもっとフォーカスしたい。そこにフォーカスせずものを作れないなと思ってます」
――以前は展示やイベントで受容側との接点を持てていたけれど、現在はコロナの状況も相まって直接のコミュニケーションがとれづらくなっていると思います。そんな中で受け手へはどういう風に伝えていこうと思っていますか。
haru.「それが私たちの今の課題です。クライアントによっては一緒にウェビナーなどをやって、制作のプロセスやブランドのコンセプト、ものづくりの思いを伝えられているんですが、直接のコミュニケーションというところでは、最近、自由の森学園の高等部の生徒さんが、会いたい人を呼んでおしゃべりするという学校の企画で呼んでくれたんです。それもこちらから学校に行くのは難しいけど、学生がワンアクションしてくれて実現できたことですよね。お仕事で年上の方と一緒になったりはするけど、下の子たちとは交流がなかったので、もっと積極的に関わっていきたいし、こういう機会が増えれば嬉しいです」
半澤「うんうん。私も人と話す感覚とか忘れてきているんですが、またローンチパーティーだったり世代を超えていろんな人と会えたらと思ってます。最近みんなをお母さんのような目線で見るようになってきていて(笑)。みんな毎日よくやってると思うし、お互いに励ましになるような時間を持ちたいと考えています。この先もどうなるかはわからないけど、いろんな人と話ができる場所をまた作っていきたいです」
宮「私たちももういい歳になってきてるから、もっと下の子たちのためにやれることを増やしていかないといけないし、同世代間でももうちょっと頑張っていかなきゃいけないよねとは思っています。やっぱり今は分断にも近いようなものを感じることも多くあって、それは他人事じゃなく、自分たちの人生の延長線上にあることだから、ちゃんと向き合っていかなきゃいけない。
それこそ『HIGH(er) magazine』という居場所を知っていたら、分断などを感じる時に落ち込む気持ちを怒りに変えていいんだと思ったり、自分がここに立ってていいと肯定できたりすると思うんです。空白期間があるから、今読者のみんながどういう風に過ごしているかわからないけど、昔からずっと名前を見る子はいてくれて、イベントで出会った子たちもインスタを見てると社会人になって大変そうだけど頑張ってるし、おこがましいけど一緒に頑張ろうねという感じで次の号を出せたらいいなと個人的には思ってます」
photography Kotetsu Nakazato(IG)
text & edit Ryoko Kuwahara(IG)
HUG
Social Sculpture Studio.
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