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text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
#21 大輔のホットドッグ




 展覧会の三日目の午後、彼はふらりと現れた。
「おめでとう。イラストレーターになったんだね。」
彼は入り口からゆったりと歩み寄り、わたしの目の前で立ち止まると、さらりとそう言った。
 20年前の恋人との再会を、そんなふうにあっけなく始められるのは、変わらぬ彼の個性の一部なのだ。
「ひさしぶりっ、」
私の口から出た言葉は、退屈なほど無難なもので、それはもはや言葉ではなく、ただの音のようだった。
「あれ、そんなに声が高かったっけ?」
彼は真面目な顔でそう問うた。わたしも釣られて自分に問うた。20年前よりも、この声は高くなったのだろうかと。
「そう?自分ではわからないけど」
無理なく微笑めていることを、わたしは自覚して、すこし安堵した。うん、大丈夫だ。わたしは、この場をこなせている。
 彼はわたしから一旦離れると、墨で描かれたわたしの「イラスト」を順番に巡り始めた。わたしは、その場にとどまり、彼についていくことはなかった。なぜなら、それが20年前のわたしたちの在り方だったからだ。体が覚えていたのか、美術館やギャラリーなどでの展覧会では、彼は独りになることを望んだものだった。
 彼は熱心にひとつひとつ見てくれている様子だった。わたしは、嬉しいような恥ずかしいような気持になった。20年分の秘密が露わにされているようだった。
 一通り見終えて再びわたしの前に立った彼は、髪型や服の趣味こそ変わっていなかったが、顔にはちゃんとシワが刻まれていて、歳月の経過を教えていた。
「大輔、おじさんになったね」
わたしは、微笑みながらそう言った。
彼は、きょとんとした表情になった。
「わたしも、おばさんになっちゃったよ」
彼は、ようやく言葉を理解した子供のような納得顔になった。
「そうか、おれたちは、おじさんとおばさんになっちまったのか」
彼は、心から意外そうな顔でそう言った。
「そうよ、当たり前じゃない」
わたしは、「なっちまったのか」の響きに、なぜか心が動かされた。今のわたしの周りからは、そんな言葉遣いはやって来ない。
「最近どうしてる?」
わたしは、「服を極めてくる」と言って、パリへと去っていった20年前の彼の後ろ姿を今でも覚えている。新宿駅からオレンジ色のリムジンバスに乗り込んでいく彼は、実に颯爽としていて、本当に「服を極めてくる」のだろうとわたしは確信して見送ったのだった。
 以来、わたしたちは一切連絡を取り合うこともなく、2年足らずの恋愛もそれぞれの未来からはじかれてしまった。
「ああ、俺のことね?」
彼は噛み合わない相手に向けるような表情をよこした。
「じゃあ、メモをとってくれる?」
「メモ?」
「うん、今の俺は、話しているそばから、彷徨ってしまうから」
わたしは、なんのことか把握しきれないまま、受付の芳名帳の横にあったペンを取り、DMを裏返した。彼はその様子に納得して深く真顔で頷いた。





「登場人物は、カエデだ。」
わたしは、か、え、で、とメモをした。いきなり誰なのか。
「カエデは、ユタだ。まあ、沖縄のシャーマンだと思ってくれていい。」
わたしは、かえでの横に、ユタ=シャーマンとメモをした。
「俺は現在沖縄在住。職業はホットドッグ屋。経営はコロナにめげずに順調。」
沖縄、ホットドッグ屋、順調、とメモをした。
「先週、ドライブに言った。今帰仁のビーチが唯一の目的地。道中はフリーだ。カエデと二人きり。それはカエデの指示だった。なんてたって、ユタの言うことは聞かなくちゃ。俺はそう結論して、カエデを助手席に乗せたんだ。カエデによれば、今帰仁のビーチに行って泳げば、いろいろな不幸を落とせるという話だった。俺は、カエデを宜野湾でピックアップした。そして高速に乗ろうとしたんだけど、カエデが高速はまずいと言うんで、下の道で北上して、具体的には58号線をゆったりと流して上がっていったんだ。ここまで理解してくれたかな?」
わたしは、なきじん、かえでと二人きり、なきじんのビーチで不幸を落とす、高速まずい、とメモをしてから頷いた。
「で、俺たちのドライブは順調だった。途中、カエデがバナナが見える、とか言うもんだから、なんのことかと聞いたら、カエデもよく分からないのだけど、横転した車の中にバナナの房が見えるって言うんだ。カエデの心の中のイメージなんだけど、高速道路で横転した車があって、車内にランチに食べようとしていた弁当の袋からバナナが見えるんだと。後日、高速道路でそんな事故があったということを知って、なるほどと思ったんだけど、まあ、そのことは重要ではない。」
わたしは、ポイントをメモに追加した。知り合いがギャラリーに入ってきたので、目で挨拶を送っておいた。
「今帰仁に行く途中に、名護という街を通るんだけど、そこには美味しいホットドッグを出す店があるから、カエデを連れて行った。彼女はとても気に入ってくれた。普段はホットドッグを自分からは注文しないと言っていたくせに、とても気に入ってくれた。そのことがとても嬉しかった。ほら、俺は現在ホットドッグのプロだろう?その俺が薦めるホットドッグを気に入ってくれたんだから。」
かえで、大輔のお気に入りのホットドッグを好きになる、とメモをした。
「ホットドッグのあと、午後になってから今帰仁のとあるビーチに入って、二人で泳いだんだ。カエデの指示に従って、頭をすっぽり水中に入れて、泥浴びした後でシャンプーするみたいに、割としっかりと髪と頭皮をごしごしやったんだ。そうすると邪気が出ていくんだと。」
なきじんの海で頭をごしごし洗う。わたしはそうメモしたあとで、ふと我に返って、そもそも「最近どうしてる?」と箸置きに箸を置くみたいな質問をしただけなのになんでこんな話に付き合わされているのだろう、と思った。だが、もはや止め方が分からない。
「で、海から出たあとで、俺に何が起こったと思う?」
大輔は、大切な打ち明け話でも始めそうな表情になった。この質問には、ちょっと興味を惹かれた。
「邪気を払い、不幸を落とせたんでしょ?それを象徴する何かが起こったんだよね、きっと」
わたしは、まともに返した。
「うん、まあ、そんなところだ。相変わらず勘がいいな。」
大輔の真顔に吹き出しそうになったが、なぜか堪えた。白髪の少し混じったロン毛を後ろで束ねている姿は、20年前と全く同じ髪型だ。そして、会話の途中に「勘がいいな」と文脈を気にせず放り込む癖も全く変わっていない。わたしは、大輔のそんな阿呆さを愛していたことを思い出した。
「帰り道、恩納バイパスで、車が止まってしまったんだ。」
そう言い終えると、大きなため気のあとで、大輔は、わたしの瞳をまじまじと見つめた。もの凄いことを言ってのけたような顔をして、鼻の穴が少し膨らんでいた。





えっ、それだけ?と驚きつつ、女バイパスで車止まる、とメモした。
「恩納バイパスは、恩返しの恩に、納品の納だからね」
と大輔は付け加えた。
「その車は25万キロも走ってくれたんだ。俺のこの15年を運んでくれた車だ。それが走行中に止まるということは、厄除できたとみて間違いない。」
わたしが言葉を失っていると、大輔はその日初めて微笑んだ。
「これが君の問いへの答えだ。」
わたしは、これが大輔なんだよな、まったく変わっていないなと思った。
「最近どうしてる?」っていう質問の答え?
とわたしが口ごもると、大輔は真顔で答えた。
「勘がいいな」
大輔は、まるでその一言を口にしたかっただけのように、さっさとギャラリーを出て行ってしまった。20年ぶりの元の恋人との再会は、唐突に始まり、あっけなく終わった。
 わたしはゲストの相手をしばらくしてから、人がいなくなった時に、沖縄、ホットドッグ店、と検索した。大輔のホットドッグ屋はすぐに見つかった。手作りのソーセージ、手作りのパン、手作りのザワークラウト、などなど、それなりにこだわっているようだった。しかし、なぜパリに行ったはずの人が、沖縄でホットドッグ屋さんになったのだろう。
 あっ、そういうことか。
 大輔は、あの頃ブランキージェットシティというバンドが好きで、ベンジーの好きな食べ物がホットドッグと知ってから、しばらくホットドッグばかり食べていたことを思い出した。「炭水化物、野菜、肉、案外バランスいいんだぜ」とか言っていたっけ。そしてあの頃、わたしは歌手になりたかった。
 あっ、そういうことか。
 あの頃、わたしは沖縄民謡にはまって、それを大輔にも押し付けていたはずだ。もしかしたら、彼の中のどこかに、ホットドッグと沖縄がミックスして残っていたのかもしれない。パリでの夢が散ったあとで、カフェのテーブルがやたらと狭い街から、おおらかな南国の島に憧れたとしても、なんの不思議はない。わたしはきっと勘がいい。
 ああ、ひさしぶりにホットドッグ食べたいな、とわたしは思いつき、ギャラリーの斜向かいにあるドトールを見つめた。




#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女


藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある
 
 

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