皆さんこんにちは。
明日は父の日ですね。
というわけで僕の父の話です。
僕の父は、なかなかのイケメンでした。
高校時代から死ぬまで、母には内緒で同級生に片思いをしていました。
高校卒業後、大学に進学するも学問で教授と考え方、意見が合わず喧嘩をして退学しました。
父は「やっぱりあの教授の方が正しかった。」と嬉しそうによく話していました。
学生運動の時代、歩道の敷石を投げ割って機動隊に投石攻撃を繰り返す学生に「そんなことしても解決にならないからやめなさい!」と注意をして止めさせたとか?止めさせなかったとか?
某通信社の羽田空港番のカメラマンをやっていたのに、出張で飛行機に乗る事になり、「あんな物が空を飛ぶ仕組みが理解できない!」といってカメラマンを辞めてしまった父。なのに、航空機ファンでいつも飛行機のプラモデルを作っていました。
「作った人に失礼だから酒は、割って呑むな。」という名言を僕に残してくれました。
トリスをこよなく愛し45歳ごろから完全なアル中でした。
家族には冷たくされていましたが、飼い犬のゲンと我が家に下宿していたネパール人は父の事が大好きでした。
僕の通学路にあった酒の自販機の前でウイスキーのポケットボトルを咥える父を横目に学校に通いました。
夜8時寝て朝5時に起きる父は行儀と礼儀と写真にはとても厳しかった。
仕事もしないで呑んでゴロゴロ寝ている父はThe Japan Timesをいつも読んでいました。
僕が20歳になる前に、父は肝硬変を患い50代半ばで天に召されたイケメン。
先日、地元の先輩がやっているバーに行きました。先輩の本業は床屋さんで夜はバーをやっています。
スポーツ刈りだった父はその床屋の先代からの常連でした。
先輩がイケメンな父との素敵なエピソードを聞かせてくれました。
当時、先輩は、修行から実家の床屋に戻り、まだ駆け出しの若造だったそうです。
いつものように髪を刈りに来た父は、いつもの親父さんではなく、若造の先輩を指名してスポーツ刈りを頼んだそうです。(理容師にとってスポーツ刈りは意外と難しい髪型だそうです。)その後、父は、病気で行けなくなるまでずっと先輩を指名し続けてスポーツ刈りにしていたそうです。
あの頃の父と同じ位の年齢の先輩は、「あの時、いきなり難しいスポーツ刈りを切るチャンスをくれたから、やる気になれたし、指名し続けてくれることで自信にもなったよ。」と話してくれました。
父自身がそんな深いことを考えていたとは考えられませんが、結果として、誰かの人生に良い影響を与え、感謝され、記憶して貰えているイケメンな父に明日は有難うという気持ちでトリスを買って帰ります。
お父さん、尊敬してるぜ!