NeoL

開く

藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#15ヨガ

031902

さて、前述したように私の体は信じられないほど固かったのだが、ヨガをやり続けていることで、なんとか常人なみの固さになったように思う。
ヨガの話題になると、体が固いから無理だと思っている人が、意外というか、やはりというか、とても多い。結論から言うと、ポーズを完成させることは最重要ではない。正しい体の方向付けは必要だが、完成はその延長線にあっても目的ではない。このことは多くのインストラクターが口を揃えて言うので、間違いないだろうし、自分も納得している。
話の流れが前後してしまうが、そもそもヨガはポーズを取ることと誤解されているが、それは奥深いヨガの一面に過ぎない。
ちょっとだけ解説すると、ヨガには8段階(アシュタンガ)と呼ばれるプロセスがあって、アーサナと呼ばれるポーズを取るヨガは3番目に数えられる1プロセスに過ぎない。ちなみに到達点である8番目はサマディと呼ばれ、悟りの状態に達することを言う。1つ手前の7番目は瞑想のディヤーナであり、瞑想だけでもかなり立派なヨガなのだ。
さすがにサマディとなると、むしろ宗教的な興味の範疇に入ってくるだろう。ここでは、ヨガとして一般的に認知されている三番目のアーサナと呼ばれるポーズを中心としたヨガを語るに留めようかと思う。
私が毎朝やっているのは、基本的かつ到達的でもある太陽礼拝というやつだ。ほぼこれしかやっていないと言っていいだろう。体の各部をバランス良く刺激出来るし、丁寧にやることで習熟して行く楽しみも味わえる。
1つのポーズをマスターして、はい次、と行くのもモチベーションを高めるやり方だが、私はこのヨガに限っては、同じ物を繰り返しながら味わうのが好きだ。
この太陽礼拝をベースに特に刺激したい箇所があればそこに向けて別のポーズを織り交ぜていくというのが、今の自分のヨガのやり方となっているし、ヨギーニ、ヨギそれぞれに自分のルーチンや傾向があると思う。
太陽礼拝については、雑誌や書籍、ネットなどで沢山あるので、そちらを見ていただきたい。インストラクターによって、細部のニュアンスが異なるが、あまり気にしなくていいと思う。ヨガはマークシートの答案を埋めることとは真逆なので、朗らかにやりたいものだ。
で、ヨガのいったい何処がいいのか?ということだが、ざっくりと一言で済ますなら、「今に戻って来られる」となるだろう。これは私の実感でもあるし、多くのヨガを愛する人のそれとも重なると思う。

3ページ目につづく

1 2 3 4

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS