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藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」#7 海水浴

7030268

 

多くの人が気づいていると思うが、サーファーたちは、なんだかキラキラしている。あの脱力した美しい微笑みは、山を愛する人たちのそれとはまた違ってキラキラしている。海の水面に降り注いだ太陽の光を思わせる輝きだ。
全ては、波のせいに違いない。地球の鼓動、もっと言えば、宇宙のリズムを裸で感じているようなものが、サーフィンなのだから。つまり、いいリズム、全うな音楽を体感して遊んでいるのだから、眉間に皺が立つはずもない。
サーファーたちは、人生で最初の波に乗った瞬間に、大切なものに再会した喜びに、思わず笑ってしまうのだ。
自分は最近全くサーフィンをしていないのだが、最初に連れて行かれた冬の九十九里で、陸へと向かう波が自分を通り過ぎる時、星のような飛沫を青空に散らして悠々と行く姿に、心が震えるような感動を覚えたものだ。波というのは、こういうものだったのか、と。陸から見るのと、海の上で波と同じ目線から見るのとでは、まるで物が違っていた。
自分は、山も愛しているが、あの海と波との出会いは、小学校三年生で登頂した富士からの眺めと同じくらいに、後の自分におっきな影響を与えた。
その後、葉山に住んでいた間は、時々ぶらりと海へと行った。サーフィンが出来る様な波があるのは稀で、たいてい浜辺を歩いたり、季節が良ければ短い海水浴を楽しんだりした。
葉山に住み始めた頃は、事務所はまだ神宮前にあったのだが、それを横須賀の秋谷海岸の目の前に移してからは、一層海が生活の一部となった。一軒家の一階を借りて事務所としていたのだが、昼の休憩や、夕方に仕事が一通り上がると、浜辺を歩いた。
小さな貝殻や、流木を拾い集めたり。その頃から、心の疲れや澱を海は、すうっと持っていってくれるなあ、と実感していた。言わば、海は自然の浄化装置だなあと。
その秋谷の事務所は、夏の間は、家族の海の家と化した。小さな庭には水場と縁側があり、浴室へは専用の小さなドアで外から自由に出入りできた。言わば、海遊びをしなさい、というような家の造りだったので、妻や息子はよくやって来て、海で遊び、疲れて戻ると畳の上でごろんと昼寝をしていたものだった。
日本の夏。思い返すと、そんな言葉がふと浮かぶ。カルピスや麦茶が加わり、西瓜やビールがさらにと。

(2ページ目につづく)

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