「ただ座る」は、とは言え、そんなに難しいとは思わない。実際自分もまずまず出来ている。浮かび来る雑念は、突き放さずに、しばらく観察しながら追ってみる。少し離れた位置から客観的に眺められたら、自分の思い癖なども分かって楽しめる。客観視というと冷たさを含みがちな言葉だが、温かい目で見守るようにすると楽しい。多くの雑念は、だいたい先細りして消えて行くが、しつこい時は、「では、おしまい」と一声かけて畳んでみる。例えば、会議のことが残るなら、それが紙に書いてあると想定して畳んでポケットにしまう。これで大丈夫だ。次々に浮かんで来る雑念も同様に、しばらく追ってみる。一つ一つ畳んでいくうちに、雑念も尽きてしまうはずだ。そうしたら、姿勢を正すことを時々しながら、そのままでいると、二十分くらいあっという間に飛んでいく。心地良ければ、そのまま一時間ぐらい続けてもいい。だが、できるだけ長くと頑張ってしまうのは良くない。自分と競争するようなことや、時間による達成感などは、瞑想の本質にとって価値のないものだし、むしろ反することだ。競争という心の癖から自分を解放させてあげてほしい。
時間は、朝が最良だと自分は思っている。食事の前に軽く体をほぐしたあとで、座り始める。それを一週間はやってみると、なんとなく世界と自分自身が変わって見えてくると思う。
なんというか、以前よりも生き易くなっているはずだ。体が軽く、気持ちもすっきりしているのが分かると思う。気持ちと体が緩むことで、細胞の緊張も解け新陳代謝も進み、外見もすっきりと憑き物が抜けたかの様に見えるだろう。
これは、経験上確信しているのだが、瞑想をしている人は、してない人に比べて、内側からの張りが違う。輝きがあって、造作とは別レベルの美しさを感じる。瞑想人口が増えれば、みんながキラキラして、より楽しく美しい世界になると思う。
もし、瞑想が馴染み、日々の生活にうまく入ったなら、今度は数人でやってみるのも楽しい。一人の時とは違う何かを感じてもらえると思う。幸福度の質量の変化がわかるはずだ。
自分も国内の縁がある様々な土地で、瞑想会をやってみたいと思っている。十人ぐらいの小さな規模で。
わが町で!と手を上げていただけたら、ほぼ手ぶらで向かいます。
(つづく)
※『藤代冥砂「新月譚 ヒーリング放浪記」』は、新月の日に更新されます。
「#4」は4月29日(火)アップ予定。