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古代人の信仰から最新の素粒子データまでを参照し、私たちを取り巻く見えないエネルギーの存在に形を与えてきた森 万里子による最新個展「Central」


森万里子
Radiant Being IV, 2019, UV cured pigment, Dibond and aluminum
H172.72 × W172.72 × 7.62 cm, 2/5 + 2AP


銀河系のかなたで起こる超新星爆発に呼応するインタラクティブ彫刻や、縄文時代のストーンサークルに着想を得たインスタレーションなど、 古代人の信仰から最新の素粒子データまでを参照し、私たちを取り巻く見えないエネルギーの存在に形を与えてきた森 万里子。ロックダウンがもたらした生活の変化は、見えざるものへの感性をいっそう研ぎ澄まし、外界の暗闇のなかで「内なる光」を追求する機会となったという。パンデミック下に生まれた最新作を含む本展は、これまでに森が触れてきた哲学的、科学的、そして超越的なヴィジョンが、静かな瞑想を通して凝縮する光の中心として構想されている。


展示スペースの中心に輝く《Divine Stone VI》(2019年)は、巨大な鉱物のように切り立つ高さ約1.2メートルのアクリルの立体作品だ。硬く透き通った表面は、分光特性を持つダイクロ・コーティングがほどこされ、作家自ら開発に関与した波長の光を分離し色彩の スペクトルを強調している。日本古来のアニミズムに見られる磐座(いわくら)(注:神を降臨させる依り代として祭祀の中心となる岩)を巡るフィールドリサーチに基づき制作された本作は、あたかも透化した岩のように周囲の環境を浄化し、差し込む光や見る角度によって虹色を放つ光の存在を象徴している。多様性を受け入れ、テクノスピリチュアルな感性を動かす色彩とフォルムの結合が、現代の神性を司る光のモニュメントとして現されている。


大きな円盤状のアルミニウムに額装された《Radiant Being》(2019年)は、淡いメタリックパステルなどで描かれたドローイングから三次元CGに施した平面作品シリーズ。プラズマの粒子が大気中の原子に衝突して発光するオーロラのように、薄紫や空色、ピンクの球形が輪や放射線状に結びつき、形而上的な示唆に富む幽玄なイメージ世界が広がっている。空間と光を操るミニマリストとして思い抱いた森の構想が、繊細なマテリアルと形象との取り組みを通じて、個人の瞑想から広大な宇宙の領域への広がる過程をとどめている。心中を映し出す鏡となるこれらのドローイングは、アーティストの親密で個人的な対話の記録であると同時に、誰の脳内にも描かれうる抽象的で普遍的なイメージであり、生まれる以前から私たちに引き継がれた心の原風景とも言えるだろう。


宇宙の質量を担う成分のうち96%は、私たちの理解が及ばない目に見えないエネルギーによって作られていると言われている。 天体と地球、東洋と西洋、過去と未来などさまざまな対立項を相互に参照することで、森の作品はこれらを調和させ、メディウムや研究領域の境界を超えた制作を行ってきた。本展では、これまでの試みを継承しつつ、万物に行き渡るエネルギーの中心が光として表されている。自然環境の危機と物質社会のほころびが深まる今、このときに提示されるのは、心の内奥に輝く光に導かれた再生の呼びかけなのだ。
また、本展の原点になったともいえる作品「ドリームテンプル」(1997-1999) のデジタル版が展覧会期中のみオンライン公開される。 www.dreamtemple.net



森万里子
Divine Stone V, 2019, ドライコーティング積層アクリル、コーリアン板
H120 × W64.1 × D45.1 cm, Unique



森万里子
Radiant Being I, 2019, UV cured pigment, Dibond and aluminum
H172.72 × W172.72 × D7.62 cm, 2/5 + 2AP
Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE




森万里子
「Central」
2020年9月11日(金)- 10月17日(土)
12 : 00 – 18 : 00 日・月・祝日休廊
SCAI THE BATHHOUSE は、当面のあいだ事前予約制にて営業いたします。ご来廊の1日前までには、ご予約頂きますようお願い致します。 詳細はHPをご覧ください。
SCAI THE BATHHOUSE
110-0001 東京都台東区谷中6-1-23
T: 03-3821-1144 F: 03-3821-3553
https://www.scaithebathhouse.com


アーティストからの展覧会ステイトメント
Central
ここ数か月、コロナ禍の影響で長年の海外生活から一時帰国をし、東京で蟄居生活を強いられてきました。確かに感染症という見えざるウィルスの脅威によって、不安な日々もありましたが、ある“精神現象”へ導かれて創作するという稀有な体験ができました。外的世界から疎遠になることにより、多くの時間を内的 世界の探求に費やすことになったのです。“内なる太陽”または“内なる光”を渇望し、それを希求する新たな日常を手に入れました。内側へ向かって行けば行 くほど、世界は広がり、外的宇宙よりもさらに深奥な宇宙空間がそこに存在しているように感じました。その中心には、“内なる太陽”が輝き、その光は“外なる 太陽”を遥かに超え、暗闇は存在せず、いたるところ光で満ち溢れています。中心に向かえば向かうほど、光の強さは増し、光に呑み込まれ、眩しすぎて何も見えなくなります。数年前にも経験した形而上の光、つまり“内なる太陽”を思い出しました。
本展“Central”は、平面、立体、ドローイングで構成しています。ドローイングは、すべてこの数か月間に制作しました。平面作品は、目に見えない、“内なる光”を 描いた過去の作品 Dream Templ(e 1999)の映像の続作ともいえます。なぜなら、その作品制作は、“内なる太陽”と初めて出会ったことがきっかけだったからです。


立体作品 Divine Stoneは、内なる宇宙の中心で輝く“内なる太陽”が、次元を跳び超え、この世にその光を放っているイメージで制作しました。近年、日本全国 にある磐座(いわくら)を訪れていましたが、そのフィールドワークからインスピレーションを得ています。稲作文化の到来以降、聖木や磐座は神の依代であり、 祭祀儀礼の場として祀られてきました。1200年の時を経たタイムカプセルともいえる日本最古の史書、『古事記』のなかで、最初に発現した神の名は天之柱 中主神でした。その神は宇宙の根源もしくは宇宙そのものであり、ありとあらゆるところに満ちています。しかし天之柱中主神はその姿を見せず、目に見えない所から 神々の世界に影響を与え、宇宙を統合する神と知りました。キリスト教における創造主に似ています。天之柱中主神の後に生まれる「高御産巣日」という神の名前は、「高貴で神聖かつ生成して止まぬ太陽」という意味をもち、別名「高木の神」とも記されています。「高い所から降臨する」ため、そう命名された そうです。つまり祭祀施設である磐座は、神々が降臨する台座として、古代人は「自然の神」と対峙してきました。私は作品のなかに“内なる太陽”の輝きを内包 し、神々が降臨する磐座を視覚化することはできないかと考えました。こうして、Divine Stoneは “内なる光”の多様な色を放ち、その光の中心性を暗示する作品となりました。


ある日ふと、母が昔、翻訳したドイツの美学者ハンス・ゼーデルマイヤの『光の死』(原書は1964年出版)が目に留まり、その題名に惹かれました。彼はオース トリアの作家で画家のアーダルベルト・シ ュティフター(1805-68 年)の皆既日蝕についての随想に興味を抱き、こう引用していました。「人間は自己の現存在の根源現象としての内的、外的太陽に依存していること、しかし己の慣れと弱さから自分の光を奪い、しかもその暗闇のなかで自己を発見するのである」。ゼーデルマイヤは、さらに「精神の中心である光が暗黒化することは、外界の光の暗黒化と同様な現象を必然的に導くこと、しかも芸術もまた、内的な必然性をもって自然自身がしたと同様な手段によって、この精神的な出来事を明らかにする」と主張していました。


光は決して死なない
永遠に死することはない。
目には見えない偉大な“内なる光”は
存在するすべての世界の隅々まで届いている。 こう私は直感しています。可視化できない、その眩しい光の根源は、創造主であり、天之柱中主神でもあり、それは計り知れない、果てしなく深い愛そのものと いえるでしょう。存在するすべての生きとし生きるものは、すべてを包み込む、その愛の力によって、命が宿されているように思います。そのことを決して忘れ ないために、アーティストとして、新しい素材と最新のテクノロジーを使い、埋もれてしまった深層意識を目覚めさせ、天とつながる意識の扉を開き、創世から 普遍にある、その大いなる力を創作の原点にしていきたいと思います。


たとえ外界の光から遮断されたとしても、この世に存在する、溢れみなぎるエネルギーの集合体に連なることができるなら、輝く精神の光に満たされるのでは ないでしょうか。


森 万里子 2020年6月


謝辞:本展の準備段階で古墳時代の祭祀について、国学院大学教授内川隆志氏からご指導をいただきました。深く感謝申しあげます。
参考文献(発行順)
ハンス・ゼーデルマイヤ『中心の喪失』石川公一・阿部公正訳、美術出版社、1965年 大場磐雄『神道考古学論考攻』雄山閣、1971年 大場磐雄 ほか編『古墳時代の祭祀遺跡』神道考古学講座、第 2、3巻 原始神道期1、2、 1972-1981年 ハンス・ゼーデルマイヤ『光の死』森洋子訳、鹿島出版、1976年
出光美術館・宗像大社復興期成会編『海の正倉院、宗像 沖ノ島の神宝』北九州市立歴史博 物館、1978年 和田萃『日本古代の儀礼と祭祀・信仰(上・中・下)』塙書房、1995年 宇治谷孟『日本書記(上・下)』講談社(講談社学術文庫)、1998年 國學院大學日本文化研究所編『祭祀空間・儀礼空間』雄山閣出版、1999年
白石太一郎『古墳とヤマト政権』文芸春秋、1999年
設楽博己・ 藤尾慎一郎,・松木武彦編『儀礼と権力』同成社、2008年
小林青樹『倭人の祭祀考古学』新泉社、2017年
解説
[ 磐座 ] 巨石崇拝時代の遺跡。社殿を造営する以前の古代の風習で、神霊を招き祭るための神の座、あるいは巨石を御神体としてみなして、“ 磐座 ” と呼称。
[ 神籬 ] 古神道では、神社を建てて社殿の中に神を祀るのではなく、祭りの時は樹木を神木として、その時々に神を招いて執り行った。
[ 依代 ] 折口信夫は、依代とは、神霊が降臨する地点を明示するために、樹木の先端につけた御幣(目印 )と考えた。後に柳田國男は神霊が依り憑く対象物だと主張。それ以来、神霊の憑依物という解釈が一般的になった。

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