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国内外から注目の現代美術家 田村友一郎・個展「N」 KOTARO NUKAGA (六本木) で開催




KOTARO NUKAGA(六本木)では9月10日(土)から11月6日(日)まで、田村友一郎による個展「N」を開催中。田村は2019年「アジア・アート・ビエンナーレ2019」(台北)、2020年「ヨコハマトリエンナーレ」(横浜)、2022年「国際芸術祭あいち2022」(名古屋)への参加や、国際的な芸術祭、展覧会へ招 待をされるなど、国内外から注目されるアーティストのひとり。本展は田村にとってKOTARO NUKAGA における初の展覧会となる。
待ち合わせたホテルオークラ京都のラウンジに現れたNの顔色は、乾いた土のそれであった。聞けば、寝つきがひどく悪いとのこと。客室の窓から見下ろせる森に黑い雲が立ち昇ると、決まってその夜は悪夢にうなされ、そのたびに窒息しそうになるのだという。N曰く、都に棲みついた物の怪の仕業によるものらしい。 運ばれてきた和風ステーキサンドイッチを前にNは僕にこう告げた。その物の怪を討っては下さらぬか─
田村は既存のオブジェクト、そして言語を素材とし、空間的展示によってそれらが従来持つ意味を脱臼させ、鑑賞者をモノの別の側面へと接触させる。本展はアルファベットの「N」を起点に異なる次元、異なる 位相、異なる時代に置かれた事象に接続点を作り出し、世界のあらたな「顕れ」を私たちの前に露顕させる試みだ。








本展は大きくふたつの世界をほのめかす、さまざまなオブジェクトの集合と、それらつながりの見えないふたつの世界に橋を渡す1枚のアナログレコードによって構成される。
ふたつの世界のうちひとつは土星の第6衛星にして最大の衛星である「タイタン」。1655年オランダの天文学者クリスティアーン・ホイヘンスによって発見され、「惑星のような衛星」としてよく知られる「タイタン」は太陽系の中で、地球以外で唯一豊富な大気を持つ衛星。その大気の大部分は「窒素」となる。「窒素=nitrogen」は7番目の原子番号であり、アルファベットの「N」が付される。⻩土色 を基調とした乾き切った世界観は窒素の充満する「タイタン」の表面であり、田村により導き出された 「N」の世界となる。
一方、「N」は「エヌ」と読まれ、「エ・ヌ」と2音節で発音される記号です。この音節を日本語的にひっくり返すと「ヌ・エ」とすることができる。「ヌエ」と発音されることばには、夜に鳥の漢字で示される「鵺」がある。「鵺」は、『平家物語』などに登場し、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビという日本で伝承される物の怪であり、⻄洋的な表現をすればキメラということになる。「鵺」は能の演目としても知られ、紺色を基調としたもうひとつの世界は私たちが寝静まった夜に訪れる裏 面の世界となる。
一見、何の繋がりもないこれらふたつの世界はレコード盤の表と裏のように「N」というアルファベットの 表裏として顕れた世界だ。


現代思想のひとつである、オブジェクト指向実在論(OOO)を唱えるグレアム・ハーマン(Graham Harman 1968-)は著書『非唯物論 オブジェクトと社会理論』において、


素朴実在論では実在は精神の外にあり、われわれはそれを知ることができると考えられているのに対して、 オブジェクト指向実在論は、実在は精神の外にあり、われわれはこれを知ることはできないと主張する。


としている。この考え方は田村の今回の展示を考える上でひとつのヒントを与えてくれる。ハーマンの考えは、モノは私たちとの関係の中にだけあり、あるのは関係だけというようなスタンスはとっておらず、モノは人間の存在のあるなしに関わらず精神の外に実在するという点では素朴実在論と共通する考えを持っている。しかし、人がそのモノの本質に接近(アクセス)できるのかという点において、それができない ということを主張する。言い換えると、わたしたちはモノ(たとえば今回の展示における「N」)に対し て非直接的、暗示的、副次的手段にある一側面、たとえば「与えられた役割」としての一面を知覚しているに過ぎず、その本質には辿り着けていないということを示している。
さらに、ハーマンは、モノについての知識は基本的に二種類しかなく、モノが何で出来ているか、そしてモノは何をしているのかを説明することだとしている。⻄洋近代以降の科学の背景は、対象を部分に還元し、理解を試みようとした一方で、人文学、社会学は無闇に深淵で掴みどころのない仮説へと向かった。ハーマンによれば、モノの本質には普通の対象との付き合い方では出会うこと(アクセス)が出来ない感覚的性質があり、それは対象の操作によって別の「顕れ方」をすることで、隠れていた本質との思いがけ ない形で出会うことになるとしている。
田村は異なる次元、位相、時代に置かれた事象を「アナグラム」によって、同一平面に併置してみせる。それは「ジャクスタポジション」と呼ばれるものであり、夜空の星と同様。かつてわたしたちの祖先がその夜空の一点の光でしかなかった星と星を線で繋いで星座を描いたように、同一平面に置かれた対象同士に線を引いてそこに新たな星座を描いてみせているのだ。
生物学者である福岡伸一(1959-)は、著書『世界は分けてもわからない』(2009)にてこの世界のことを、


この世界のあらゆる因子は、お互いに他を律し、あるいは相補している。物質・エネルギー・情報をやりとりしている。そのやりとりには、ある瞬間だけを捉えてみると、供し手と受け手があるように見える。しかしその微分を解き、次の瞬間を見ると、原因と結果は逆転している。あるいは、また別の平衡を求めて動いている。つまり、この世界には、ほんとうの意味で因果関係と呼ぶべきものもまた存在しない。世界は分けないことにはわからない。しかし、世界は分けてもわからないのである。


と締めくくり、世界は還元的に部分に分解してもわからないということを示している。モノ同士はそこに人間が介在しなくともコミュニケーションをとっており、全体はその総和を超えるのである。わかろうとすることは分けることであるが、それでは全てはわからないのだ。
田村によって操作されたモノたちの「創発」が、バラバラに分解したモノの集合よりも大きくなった時、つまり全体が、部分の集合よりも大きくなった時、その差分こそが芸術が生み出すパラフレーズによって還元できないあらたな意味の「顕れ」なのだ。 「N」は不眠症のN氏を起点にした田村による物語りであると同時に、鑑賞者の内に潜むそれぞれの物語でもある。











協力:三上真理子、村上美樹、大野紅、荒木優光、小松千倫、見増勇介、宇留野圭、瀬古亮河、尾中俊介 (Calamari Inc.)、ヒュー・オーダシー=ウイリアムズ、笹尾千草、奥村雄樹、ライデン大学図書館、株式会 社川島織物セルコン、HIGURE 17-15 cas 株式会社

「N」
会期: 9月10日(土)- 11月6日(日)
開廊時間: 11:00-18:00 (火-土)
※日月祝休廊 ※9月18日(日)、19日(月)、11月3日(祝・木)、6日(日)は開廊 ※国や自治体の要請等により、日程や内容が変更になる可能性があります。


■会場
KOTARO NUKAGA(六本木)
〒 106-0032 東京都港区六本木 6-6-9 ピラミデビル 2F アクセス:東京メトロ日比谷線、都営地下鉄大江戶線「六本木駅」3 番出口より徒歩約 3 分


■アーティスト
田村友一郎 |Yuichiro Tamura
1977 年富山県生まれ、京都府在住。 既存のイメージやオブジェクトを起点にした作品を手掛ける。作品は、写真、映像、インスタレーション、パフォーマンス、舞台まで多彩なメディアを横断し、土地固有の歴史的主題から身近な大衆的主題まで幅広い着想源から、現実と虚構を交差させつつ多層的な物語を構築する。それによりオリジナルの歴史や記憶には、新たな解釈が付与され、作品は時空を超えて現代的な意味が問われることになる。作品体系として、その多くがコミッションワークであり、近年では美術館のコレクションなども対象の事物として扱う。

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