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text by Mari Kojima

IWD 持続可能なわたしたち:松川朋奈インタビュー 「何者にもなれず生きている女性たちの代弁者みたいな立ち位置でありたい」




画家として活躍する松川朋奈。彼女が描く女性たちの艶かしい質感、光と影は、同世代の女性たちとの会話から引き出されたものだ。同世代の女性たちにインタビューを行い、そこで気になったフレーズを主題とし制作するのが松川のスタイルであり、彼女の飽くなき好奇心は最大の観察力を生み出し、女性たちが抱える幸と闇を繊細に緻密に表現する。松川の描き出す光は女性たちが抱えるメッセージを浮き彫りにし、写実的な人物を通し私たちに共有してくれる。生々しく描き出される女性たちの華奢な腕、細い指、手甲に透ける骨、そのか弱さに共感と切なさを抱く。ユカ・ツルノ・ギャラリーで開催された個展『My flower will never die』では、”母親”をモチーフに、身体の老いや不安や痛み、弱さなどの内面と向き合い、母と子という限られた関係性の中で築き上げられるさまざまな連鎖を再考し作品を通し表現した。
鋭い洞察力を持つ松川は、女性として、変わりゆく時代、芸術、そしてそれを取り巻く社会とどう向き合っているのか。今回はNeoL編集長の桑原も交え、松川に女性の選択や持続可能性、そして彼女を取り巻く環境についてうかがった。



――松川さんがアーティストとして活動する際に、女性としてのいずらさ、やりづらさ、というのを感じたことは?


松川「年齢に合わせて変わってきているなと思います。20代前半の若かった頃は、ギャラリーストーカーに悩まされていました。コレクターの立ち位置はプライベートである上にお金が絡むので、パワーバランスを勘違いされ囲われたり、自撮り写真を要求されたり。作品よりも性というところで搾取されてしまう。一度、ギャラリーストーカーについて有名な男性アーティストと男性キュレーターに話したことがあったんですよ。どう思いますか、って。どちらもピンときてなくて。男性だと経験がないから一切分からないんだというのに驚きました。これはきっと若い女性アーティストは経験していることが多いと思います。
私は今34歳なのですが、この年齢になると性的搾取の対象として見られるのは少なくなってきましたが、『あ、今日お子さんどうしてるんですか』というのをよく聞かれるようになりました。きっと男性作家に対してだとそれは聞かない。遅くまで働いてたりすると『今日は旦那さんのご飯大丈夫?』という風に言われたり。年齢が進むにつれて、男性から見られる性というところから、子どもや夫の世話をする係としての性、という扱いをされることが増えてきて、やりづらいなと感じています」


―― 男性たちが性的搾取の根本を認識していないというのは恐ろしいですし、個人という括りではなく母親であるという“役割”で見られるのは大きな問題ですね。


松川「働く一個人としての目線を向けられるよりも母親という役割が付き纏っていて、どんな仕事をしていても、結局役割に回収されてしまうというのが大きくて」



それでも、私が母親であることには変わりない Nevertheless I am a mother
2018 oil on panel


―― 今、人々の性に対する意識も多様化してきていると思います。多摩美時代、そして今に至るまで、一番感じている大きな変化を教えてください。


松川「多摩美時代の15年前と比べると、SNSの在り方がすごく変わってきたと思います。私も10代の頃は、美しくあるべきという意識が強くて。でも、私が大学生の時は雑誌やテレビが主体で能動的に取りに行かないと情報はあまり入ってこなかった。だけど今、SNSは常に生活の一部としてあって、コスメや美容整形の情報などで溢れかえっているし、美しくあるべきという強迫観念がより強くなってきていると思います。それに、SNSが出てきたことで性が売り物としてより扱われやすくなったと私は感じていて。親族の大学生の女の子の投稿を見てもやはり消費されているように見えてしまう。以前よりも若い子たちは自分達が消費される危うい立場にいることを忘れがちになっているような気もします。でもそれと同時に、SNSが広がったことでLGBTQなどの多様性が受け入れられるようになったり良いこともありますね」


―― 今の私たちの役割というのは、性的搾取をいいように取り違えてしまい、周りが見えなくなってしまっている若い女の子たちに警鐘を鳴らすことかもしれないと思うんですが、性的搾取というものがあるという認識を若い子たちに持たせるには、どのように促していけば良いと思いますか?


松川「自分が若かった時って、そういうことを上の世代から注意されたとしても、きっと聞かなかった。直接的に性的な部分でこれはダメ、あれはダメ、と言うよりも、次の時代により大事になってくるのがネットリテラシーの教育だと思います。今、それしか私たちにできることはないかなと。リテラシーや道徳性も時代に合わせて変わってきていて、だから私たちのような上の世代も、ある種の柔軟性を持って自分たちの考え方をアップデートしながら警鐘を鳴らさなければいけないんです」


編集長「この間、中学生のSNSの実情に触れる機会がありました。許諾を得ずにクラスメイトの動画を拡散してしまった親子と話したんですね。そのうちのひとりの子の親はネットに関して無知で、インスタももちろん持ってない。その子のアカウントを見たら、住んでる場所も、若い女の子だということも、顔もすぐ特定できてしてしまう写真を載せちゃっているんです。この道を通ればこの子に会えるっていうのがすぐに分かる状態。フォロワーも成人男性とかがいて。もう一人の子の親は、インスタのことは分かってますと言うけれど、子どものDMまではチェックしてなくて。実際知り合いではない人たちばかりと相互フォローをしている。まさに今お話にあったネットリテラシーがゼロの状態。しかも、この事件を通してその子たちはインスタで知り合った人たちと実際会ったりしているということまで判明したんです。
子どもたちにとってネットのルールはゆるゆるで、親も先生たちも何がダメかとか、そもそもネットリテラシー自体を理解してなくて、事件が起きてから騒がれるだけで根本の問題が解決しない。そもそもネットリテラシーが家庭に委ねられている状態なので、まず学校での教育が必要だと思うんです」


松川「すごくタイムリーですね。大人がまず理解してないと子どもは分からないですし、ネットリテラシーを理解することはまず大人がしなきゃいけないことなんじゃないかなと思います」


編集長「あと、世の中に溢れている価値観がきっと男性主体のもので、女性が男性に声をかけられるのがまるで良いことのようにいろんな作品内で描かれているけど、それは男性目線の都合の良い解釈。だからフィメール・ゲイズをもっと増やすことが大切だなと個人的には思っています。それは美化されていることではないかと突き詰めていくとか、そもそもそんな声にたぶらかされなくていいとか、主体性を持つこととか、世の中にある女は一歩引いて、みたいな理想をどんどん壊していくような」


松川「自分の体は自分だけのものという考えを持つことが若い女性ほど弱い気がしていて。流行に染まることに価値を感じたり、男性に評価されることに価値を見出してしまったりなど、自分自身から離れた外側の部分で自分を評価してしまう若い女性がとても多いと思います。これは、若いときに陥りがちな考え方ですよね。そうではなく自分の体は自分だけのものなんだよ、という考え方を育てるのが大切だと思います」


―― そうですね。女性のエンパワメントにフォーカスした作品も多くなってきている反面、バ○ェラーズとかも出てきちゃう恐ろしさもある。身近にあるエンターテイメントの影響も多大にあったり。


松川「だからこそ情報を選ぶための知識についてえなきゃいけなくて。あらゆる情報をどこからでも得れるようになってしまったからこそ、情報を選択する賢さを今後女性たちが身に付けていかなきゃいけない必須な部分だと思います」



周囲が何を言ったとしても No matter what they say
2019 oil on panel


―― 松川さんは、同世代の女性にインタビューを重ね作品を制作されるそうなんですが、インタビューの相手はどのように人選されますか?


松川「本当にランダムなんです。インタビューも自分のライフワーク的にずっと続けていて。SNSはもちろん、カフェの隣に座っていた人とか、道ですれ違った人に声をかけたりとかも。なので大体、半分以上は拒否されるんです。普通に怪しいじゃないですか(笑)。 あとは、今でこそコロナの影響で難しいんですけれど、バーで知り合った人を取材したりだとか。自分の友達に限定してしまうと自分のコミュニティーの中だけの感じで終わってしまうので、もう少し広く今を生きる女性像みたいなところを描きたいのであえて無作為に話を聞いています」


―― 道で声を掛けたりとは、チャレンジャーですね。


松川「拒否されることばかりです(笑)。 多分、人間観察がすごく好きなんです。それによって見えてくるものが大好きで。ちょっと変な話なんですけど、昔から電車に乗ってる時、特に夜だと、いろんな家の光が見えるじゃないですか。光の中に家具とかが見えたら見入っちゃうんですよ、人の生活に。どんな生活を送っている人がいるのかっていうのが昔からすごく気になってて。覗きとかするわけじゃないんですけど物語に出会うのが好きなんです。そういう好奇心が作品に繋がってると思います」


―― インタビュー相手を、同世代の女性にフォーカスしている理由はありますでしょうか。


松川「作品を作る上で自分にとってリアリティーがあるか、というのが大事なんですね。自分がリアルに共感できるものじゃないとなかなか作品として良いものにできないので、自分と同世代の女性を描いてきてるんです」


―― 絵画のスタイルが写実的なタッチなんですけど、それもリアリティーの生々しさという所に繋がってるんでしょうか。


松川「そうですね、私が作品上で描いていることは現実なので、絵的なマチエールは必要ないなって思っていて、あえてリアルに描いています。私の作品は、ツヤありの写真を連想させるように、表面を筆跡残さずにすごくフラットにしてツヤツヤに仕上げています写真はドキュメントだけど、ペインティングはフィクションですよね。私が集めてきたインタビューをペインティングに転換することで、一個人に関するドキュメントだった事柄を、この社会に生きる女性たち全体の物語として描き出せると考えています」


―― 本当にグロッシーな写真っぽいですもんね。


松川「グロスがかかってる分、ペインティングの暗い色の部分に、観てる人が反射で映るんですよ。ある意味、描かれているのは他人のインタビューから取ってきた話だけど、あなた自身のことでもあるんですよっていうメタファーになってます。観た人にはそこまで伝わらないかもだけど私にとってはある種、遊び心のメッセージっていうところなんです」



Love Yourself 3
2018 oil on panel


―― 今までにされてきたインタビューを通して興味深かった、視野を変えるきっかけとなったエピソードなどありますでしょうか?


松川「女性像を描き始めて最初の頃は靴のヒールが歩いていたら取れちゃったみたいな、お洒落に疲れた女性を多く描いていて。そこにメッセージはあるんですけれど、あまり社会問題と繋がってなかったんです。だけど、シングルマザーたちに取材を始めた頃、この制作を通じて社会問題を暴露することができるって思うようになって。一つのエピソードからというよりも、ある意味弱者という立場に置かれた女性たちのインタビューの中で、社会問題が見えてくることが多くなり、それを作品を通じて見せていきたいって思うようになりました。
これは私の経験なんですけど、私はシングルマザーで、児童扶養手当が支給されるんですが、支給にあたり審査がもちろんあって。その時に衝撃だったのが、半年に一回生活状況を市役所に提出しなきゃいけないこと。自分の貯金額はもちろん、お付き合いしてる人はいますか、その人の名前はなんですか、何歳ですか、どこに住んでいますか、泊まる頻度はどれくらいですかというのを全部書かされるんですよ。それを半年ごと。最初の申請の時は、男性が住んでいないかを確認しに市役所の職員が家に来るんです。それをする必要があるというのも理解できるけど、凄まじいと思って。
抜き打ちでも訪問があって、それで、歯ブラシの数とか、タンスも開けられて男性服が入ってないかをチェックしたり。それをやられた時すごく衝撃的で。こういうことがあるのを知らない人が多いと思うし、不正受給を防ぐためというのも分かるけど、これは権利侵害なのではとも思いました。シングルマザーの女性たちにインタビューをするようになって、自分の経験も重ね合わせて作品を通じて社会問題にアプローチしていきたいという考え方が強くなってきましたね」


―― 人権に関わる問題ですね。このお話を聞くまで知らないことが多かったです。


松川「シングルマザーのうち、約90%が就労しているにもかかわらず、その半分は非正規雇用なんですよね。そもそも子どもがいるだけで雇ってもらえなかったりする中で、受給できるのであれば受給したい人が多いはずなのに、そんな権利侵害のような扱いを受けるのはどうなんだろうと。シングルマザー側に話を聞くと、そういう扱いを受けるのは、シングルだから仕方ないって考えている人も多いんです。私はそれは違うと思うし、そういうシングルマザー側の考え方も改めていけたらいいなと思います。作品を通じて、権利を奪われるような必要はないんだっていう強い意志を持って欲しいと考えるようになりました。
今制作しているシングルマザーを描いたシリーズのタイトルが『Love Yourself』というんですけど、その『Love Yourself』という言葉には由来があって。2018年にトロントのガーディナー美術館でオノ・ヨーコさんの作品が展示されていたときに、作品の一部が盗まれるという事件があったんです。この作品には河原で水に磨かれた小さな石がたくさん使われており、それぞれの石にオノ・ヨーコさんの直筆でメッセージが書かれていました。鑑賞者がその石を手に取って作品内で移動させるという参加型のものだったんですが、石の1つを女性が持って帰っちゃったんです。そしてその盗まれた石に書かれていたメッセージが「Love Yourself」でした。そのストーリーを聞いたとき、ロマンのようなものを感じて。作品を盗むのはもちろん許されないことですが、「Love Yourself」という言葉には、犯罪を犯してまでもその石を所有したいと感じるほどに女性を大きく突き動かす力があったんだなと。この事件にちなんで、自分自身を強く信じてほしいというメッセージとして「Love Yourself」というタイトルをつけました」



悲しいけど、嬉しくもある Sad, but also a pleasure
2019 oil on panel


―― お子さんを出産され、制作活動と育児の双方に直面した時の心境は?


松川「産むまでは正直に言って何も考えてなかったんですけど、産んでから本当に大変で、その時思ったのが、こんなに大変だなんて聞いてないよ!早く教えてよ!って(笑)。 もう忙しすぎてその時の記憶がないくらい。それでも制作はしたいので、おんぶしながら絵を描く、みたいな。当時は夫がいて彼は仕事人だったので、私が育児をワンオペでやっていました。元夫はずっと社会と繋がっていれるのに、私だけ取り残されていく感じが辛くて、その中で制作をするのが唯一の救いになっていました。制作が思い通りにできないのも辛かったんですが、そのことを口に出して言うと責められてしまう。『あなた、母親でしょ!』って。子供を連れて公園に行った時に、私は制作もしたいし一人ぼっちだし心がすごく荒んでるけど、おばあちゃんが寄ってきて『可愛いわねぇ、子どもかわいいでしょ?』って言われたら、『かわいいです』って答えなきゃいけない。どんな場面でもいいお母さんを演じてなきゃいけないっていうのがすごく辛かったです。
色々変わってきてはいますが、未だに子育ては母親の役目みたいな風潮はありますよね。そもそも母性っていうもの自体、男性が作ったもの。男性が作った価値観の中で女性がこうしなきゃというのが強すぎて、その中で生きなければいけない状況に直面したのが、すごく辛かった。だからこそ逆に、なにくそ!と思って制作をどうしても続けたかった。
育児も制作も楽しかったです、みたいに言えたらいいんだけど、現実そんなもんじゃなくて。本来なら、普通に夫と一緒に子育てしまいした、制作もできましたって言えるような社会であるべきですが、それがまだ全然実現されていないなと思います」


―― 子育てを通して社会構造の問題が浮き彫りになりましたね。


松川「子どもを産んでから半年くらいの時、ほぼ産後うつの状態になりました。色々やらなきゃいけない事ばかりあるけど体が動かなくなっちゃって、もうダメだと思って市の保健士さんに電話して来てもらったんですよ。その時に『お母さん頑張って!』って言われて、あぁもうこれは駄目だと。誰も助けてくれないんだと思いました。
これは社会の問題でもあるけど、本来なら一番助けなきゃいけないのは夫のはず。でもその考え方が今の日本社会にはなくて、全部女性に皺寄せがくる。友人のオーストラリア人の家庭を見てみると、コミュニティーで子供を育てる風潮があって、隣の家同士でベビーシッティングしたりとか、コミュニティーの力が強い。何かあった時に助けてくれる相手が側にいる子育てが成り立っているというのがオーストラリアにはあると知りました。日本の子育ては孤独で自分達で全てやらなきゃいけなくて、できなかったらそれは恥ずかしいことって言われてしまう。そうじゃないっていう考え方がもっと広まればいいのになって思っています。これは、自分が経験してみないと分からないことでした」


編集長「日本は、マタニティーマークをつけている妊婦さんにわざとぶつかったり、余裕がない人が多くて、根本の教育に問題があるって思うところがありますよね。教育で男性が積極的に参加する育児になるかもしれない。他国では子どもの成長の一瞬一瞬を一緒にシェアできることに喜びを感じているから、日本みたいに消極的じゃなく積極的な関わりがある。そういうふうに教育がなされているからなんだと思います」


松川「根本的な考え方が全然違いますよね。日本では全然浸透していないし、そこを変えていかなきゃと思っていて。私は、フェミニズムを考えるというのは、男性の生き方を考えるってことに繋がると思っていて。フェミニズムって日本で言うと嫌がられることが多いけど、フェミニズムによって女性の生き方が多様化したら、男性の生き方も多様化するということになりますよね。別に男性が専業主夫になったっていいわけで。男性だって大黒柱と言われたりすることに負担があるはず。そこから解放されるために女性の生き方が多様化するべきで。日本では何か変えようとすると敵視されがちなんですけど、フェミニズムも嫌われるものではなくて、女性だけじゃなく社会全体の生き方を考えるムーブメントだと私は思ってるので、もう少し理解されればいいなと思ってます」



子供の頃は、母は母でしかないと思っていた
As a child I couldn’t see her as more than just my mother
2021 oil on panel


―― 個展『My flower will never die』で語られた、母と子の中にある“連鎖”の存在についての気付きはいつでしたか?


松川「私自身母となり、母親にされた育て方しかできないということに気付きました。それは避けたかったけど、蓋を開けてみたら子育てのやり方は、母親から見たものしか私は知らなかった。私の母親はとても常識人で、私はいい意味でも悪い意味でもその常識を刷り込まれてきました。母親にはとても感謝していますが、大人になって自分で生き方を選択していくときに、その常識が自分のブレーキになってしまっていることに気づいたんです。自分が決断しようとしていることが少しでも母の常識から外れていると、『これでいいのか?』と考えてしまって前に進めなくなっていました。このようなことを感じたことがある人はとても多いと思います。ギリシャ神話やスターウォーズにもある“父殺し”は、物理的に殺すのではなく父親の存在を超えるという意味として使われるんですけど、男性が親を超えていくのは素晴らしいこととして受け入れられるのに、母親を超えるというのはあまり聞かない。そこで展示のテーマとして、父殺しをあえて逆転させて”母殺し”という言葉を使いました。本当によくも悪くも母と子の間にある連鎖はいろんなところにあって、例えば被虐待児は大人になったあと、自分の子どもに対しても虐待を行ってしまうことがあるというのは聞いたことがある人も多いかと思います。そんなふうに、常に親の存在は潜在的に自分の中にあるんですよね。その存在を乗り越えることで、より自分らしい生き方を模索するということを作品を通して表したいと考えました」


―― 海外でもご活躍されていると思いますが、日本におけるアート界での女性の立ち位置は、どのようなものだと感じていますか?


松川「最近は女性の地位も向上してきていていると思います。森美術館や金沢21世紀美術館の館長さんも今は女性ですし、フェミニズムをテーマとした展覧会も増えてきましたし、いい流れだなと思っています。ただ一つ思うのは、キャリアを積んでいる女性たちが知らず知らずのうちに男性化している面があるということです。結婚や出産は女性の権利だと思うけど、そういう当たり前のものとしてやっていいはずの権利に対して否定的になってしまったり、出産がキャリアが途絶えるきっかけになってしまったり。そういう権利や選択を諦めて男性よりもより強くならないと上に行けないっていう流れがまだあると思います。もちろんキャリアを築きながら結婚してたりお子さんがいたりという方も多いんですが、まだまだ改善が必要なところだと思います」


―― 女性の持続可能というトピックにちなんでの質問なのですが、アートシーンでは流行がつきまとう世界だと思うのですが、女性たちが一過性のもの、または消費されるのではなく持続可能な存在として見なされるよう、変化が必要だと感じるところはどこでしょうか。


松川「草間彌生さんだったり、一過性ではなく活躍されている女性作家はもちろんいて、全員が消費されているわけではないと思っています。なので変化が必要というか、女性作家が自分自身が消費されうる対象であるということをより強く自覚することがとても大切だと思います。若いときに訪れるチャンスにはつい飛びつきがちですが、それは本当に持続できるものなのか、そのことを考える知性を身につけることがとても大切です。若いときに自分の(身体的)魅力みたいなところばかりで売ろうとすると、消費されて残れなくなる可能性も高くなる。女性作家がそういう事実を前提として知っておくべきでしょう」


―― 心意気ですね。


編集長「取り上げるメディアも、少女性だったり、可愛い女性であるというところをメインに打ち出したりしますよね。圧のかかり方がジェンダーで変わるのも問題だし、取り上げる側の影響も大きくて、それがある種の消費につながっていると思います。例えば女性ミュージシャンとか、男性だったら10年保つけど君たちには消費期限があるからってことを最初に言われる。だから今のうちに、という売り方をされてしまうからそここそ変わるべき」


松川「それも含め、時代性と普遍性を見つめて必要なもの、必要ないものを見極める力を養わなければいけないと思います。メディアに利用されることもありうるのでそれを拒否できる力を持つ、という。それを育てるのはなかなか難しいんですけれど、大きな力に惑わされない考え方は大事になってくると思います。ただし、その力を養うのはとても難しいことです。その手助けをすべきなのが、私たちのような少し上の年代の作家たちだと思います。上の世代の作家たちが、アーティストとしての在り方をより強く示せば、おのずと若い世代がどうあるべきかというのが伝わっていくのではないでしょうか」


―― 今、作家となり、母となり、観察者となり、途切れることなく継続的に活動されていますが、次はどのような姿を思い描いていらっしゃいますか?


松川「変化してみないと次は何が現れるか分からないところがあると思うんです。最近興味があることは、“老い”、歳をとっていくことですね『老いは怖くない』というようなキャッチフレーズの雑誌の特集などを見かけることがありますが、それは私にとっては違和感があります。そういうキャッチフレーズをつけるというのは、老いは悪いものだと思っているから、あえてポジティブな言い方に変換しているように見えるんですよね。確かに自分が持っていた若さというものを失うのは怖いかもしれないです。でもそれは自然かつ当然の変化なので、自然の流れとして繊細に向き合っていきたいなと思っています。人生100年時代といわれる今は、若い若くないにこだわるのはとてもナンセンスだと思います。100年生きるかもと考えたら、50歳60歳なんでまだ人生の半分くらいなわけですよ。老いは全員に必ず訪れるものであって、その経過とともに自分の内面がより磨かれていったり思慮深くなっていくものだと思います。それとともに作品にも深みが出てくるはずなので、その変化が見られるのはとてもワクワクします」



My flower will never die
2021 oil on panel


――最後に、自分自身をどのような人物だと思いますか?また、自分の人生に映画のタイトルをつけるとしたら?


松川「昔は何かになれると思っていたんですが、結局私は何者にもなれないって気づいたんですよね。年齢とともに、自分の足で立つということを経験の中から学んで、若い頃に比べれば自分の芯がどんどん育ってきているとは思います。それでも、時代や流行の波にのまれて、心揺さぶられることもまだたくさんあって。私はそれでいいと思っています。結局何者にもなれないけど、何者にもなれず生きている女性たちの代弁者みたいな立ち位置でありたいですね。
自分の人生に映画のタイトルをつけるとしたら、『鏡と海』かな。私の作品のタイトルがいつも意味深な分、映画のタイトルにどんな言葉をつけるのか気になったかもしれませんね(笑)。でも、私は自分の人生は複雑じゃなくていいと思っているので、シンプルな言葉を選びたかったんです。鏡というのは、同時代を生きる女性たちを見つめる存在としてのメタファーです。そして海は、まだまだ自分にも未開の可能性があることを信じたくて。いつまでも自分の可能性を信じて冒険しながら絵を描いていきたいという思いを込めて、このタイトルにしました」


text Mari Kojima https://www.instagram.com/bubbacosima/


松川朋奈プロフィール:
1987年愛知県生まれ。2011年多摩美術大学絵画学科油画専攻卒業。近年の展示に「Small is Beautiful XXXIX」(2021年、Flowers Gallery、ロンドン)、「上田薫とリアルな絵画」(2021年、茨城県立近代美術館)、「MAMコレクション011:横溝 静+松川朋奈―私たちが生きる、それぞれの時間」(2019年、森美術館、東京)、「六本木クロッシング 2016展:僕の身体、あなたの声」(森美術館、東京)、「Artist Meets 倉敷vol.12 松川朋奈」(2016年、大原美術館、岡山)など。Asian Art Award ファイナリスト(2017年)、福沢一郎記念賞(2011年)、ホルベインスカラシップ(2010年)を受賞。作品は大原美術館、森美術館、高橋コレクション、ピゴッチコレクションなどに収蔵されている。

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