移民問題やジェンダー、セクシャリティなど、安心できる居場所を求めるマイノリティの声を作品に昇華してきた磯村 暖。西洋美術とは異なるアジアの美術史や宗教観、フォークアート(民衆の芸術)に触れた彼の作品は、とりすますことなく生々しい感情を伝える迫力と磯村そのものの感性である繊細さ、そして社会を見つめるメタ的な視点を備えたオリジナルの魅力を持つ。様々な土地や歴史に土着した制作で見えてきた街のあり方、また国をまたいで広がる現在の問題に関して話を聞いた。
ーー今(9月10日時点)3つのエキシビション(2つの個展と1つのグループ展)をやられていて、グループ展のセゾン現代美術館では新作も展示されています。ヴォーギングのダンサーを呼ばれてのイベントも行われていましたが、ヴォーギングもまさにボールルームから生まれて広がったボトムアップの芸術ですね。
磯村「あれはもともと台湾コンテンポラリーカルチャーラボ(C- LAB)いう台湾のアートスペースのコミッションワークで作ったものなんです。台湾でのテーマは、日本統治時代に植え付けられた観念を振り返るというもので、例えば公衆生成や風紀、モラルなどというものがその時代に形作られたものが多くて、それらを振り返る資料などと一緒に展示させてもらいました。僕の作品の中ではジェンダーにまつわる観念や社会規範というものが、どういう権力者の元に社会が置かれているかによって変わる、その変化の過程や現代に与えている影響などを、約500年前のコロンブスの“アメリカ大陸の発見”以前のアメリカ、植民地支配されていくアメリカ、現代のアメリカという歴史をなぞり、さらに並行して今オンラインでアジアの方にも及んでいる様々な影響などを映像で表現し、鑑賞者がSNS感覚で体験できるというもの。ダンスホールを模した空間を作って、いろんな演者が出てきてクィアの歴史にまつわる話をしている中にヴォーギングのダンスレッスンもありました」
――統治者によって規範が変わるというのは、日本においても今も地続きの問題です。アメリカでのジェンダーにまつわる概念はどう変化していったんでしょうか。
磯村「植民地支配時代の前にはアメリカ全土にネイティヴ・アメリカンと呼ばれている方たちがいて、その中でもいろんな部族に分かれていて言語やカルチャーが違うのですが、広く共通の概念として男性と女性というカテゴリではない人たちが当たり前に存在していて、語り部として歴史を繋げていったり、シャーマン的な役割を担っていました。そういう人たちを呼ぶ言葉は部族ごとにあったと思うのですが、のちに学者が呼びやすいように英語でラベリングしたのが『Two-Spirit(2つの魂)』。Two-Spiritの方たちはコミュニティの中で重要な位置にいたのけれど、植民地支配が始まってからは、古いキリスト教の考え方でソドム的な存在として弾圧されました。また、先住民のコミュニティの力を弱める必要があり、一番簡単にコミュニティの弱体化ができるのは語り部という文化の継承者を殺すことだったので集中的に殺されていった。
そこで、元々はコミュニティでもリスペクトされていたのに、その人たちがいると迫害対象になるというので追いやったり、支配者側に告げ口するということが起こり、他から来たパワーによって他のコミュニティの人間が弾圧する側に回ってしまった。ジェンダー・マイノリティやセクシャル・マイノリティとそれ以外というのが、その時の構図で弾圧する側、される側というのでバックリ分かれ、それが今でも影響を与えているんです。ネイティヴ・アメリカンの末裔たちのコミュニティは今でもアメリカ国内であり、色々と文化などを継承していこうとしているけれども、その時の弾圧で転換していってしまった構図が今まで続いてしまっていることを、その末裔で、ジェンダーでいうとノンバイナリーの方が話してくれました。ドラァグクイーンとしての活動もしている方で、セゾン現代美術館で観ることができるインタビュー映像に出演してくれているのですが、蔦谷 銀座で販売している青いTシャツにも本人とその言葉をプリントさせてもらっています。そこには『Me Being Myself is One of The Biggest Political Acts Today』(今日において、自分自身であるということが最大の政治的活動の一つである/フロントにプリントされた言葉)『Me Fully Expressing Who I am is Such a Beutiful But Dangerous Thing』(自分を存分に表現するということはとても美しいことだけれど同時にとても危険なことである/バックプリント) とあります」
――あの言葉は痛烈でした。蔦谷で行われている展示「んがんたんぱ」はセゾン現代美術館のものと通じる作品もありつつ、言葉にフィーチャーしたものもあります。タイトル通り、発音がテーマになっているそうですね。
磯村「この展示では作品が先にあって、ステイトメントを書いて、またそこから作品ができてというプロセスでした。今まではこの作品は具体的に何をリサーチしている、どういう歴史から繋がっているかなど具体的な名称を出してたんですが、今回はそれをしたくなかったんです。発音の話をしたのは、文字で書なくてはいけなくなった時に具体的な事柄を出したくないためで、作品の一個一個のテーマや特徴よりは、そういう作品たちが会場にあって出来上がる構造のようなものをある種比喩的に表現しています。同じ発音や文字の話、同じ言語の話者同士でのみ理解し合えるけれど、その不完全さに関しては他の言語を習得しないとわからないなど、そういうことをメタファーにして、それぞれの作品を語らない状態で語る的なことをしたかった。
というのも、最近あまりにも危険すぎるから。自分は今、自分が作りたいものや、伝えたいことなどを存分に表現していない状態なんですが、本当にそれは危険だし、怖いと思っているからなんです。今は弱者を探してる人が大勢いて、制作の動機だったりテーマの対象になっている人や問題、国、歴史などが、僕がそれを表現することによって攻撃したい人の目に触れかねないという恐怖がある。今回の展示までは色々ネガティヴな反応があったとしてもポジティヴに広がっていく方が多いだろうと思える確信がまだあったんですけど、この時勢になってからそうじゃないような気がしていて。人に伝わる時にはいろんな情報が削げ落ちて伝わってしまうから、ポジティヴな方向で広がっていたとしてもそれが大きくなればなるほど、実際の問題からは離れて流行りのような感じで扱われていっているというしんどさのようなものもあります。僕が今まで扱ってきたテーマ以外の他の様々な事象に関しても、ムーヴメント的に広がっていくときに違和感があるんです」
――その違和感についてもう少し詳しく教えてください。
磯村「例えばBlack Lives Matterでもそれぞれで本当に言いたいことや、何を変えるべきなのかなど、実際にムーヴメントを起こしている人たちの中でもいろんな深度があるんですけど、世界を変えるにはいろんな深度のばらつきや伝えたいことの詳細が随分薄まった状態で広がっていく。薄まった状態のものをそういう問題に興味なかった人達が受け取って、それを土台にして実際の問題とは違うところで議論が進んでることを目にするようになって、というのもあるかもしれないですね」
――なるほど。特にSNSなどではこれまで見過ごされてきた文化の盗用や様々な事柄への指摘などが目立つようになり、議論が盛んになっているけれど、どのような社会構造から発生した問題なのか、それをどう良くしていくかという議論ももっと必要なのではないかという指摘もあるように、とても難しい状況ですよね。
磯村「難しい。実際の貧困率や人種による居住地の棲み分け、棲み分けによって起きる教育の格差など、現実にある格差によって先入観がどんどん積み上がっているのだから、先入観や差別だけやめろというのではなく、社会の構造を変えるアクションをしたいんです。どうやったら差別をしなくなるかという根本を置き去りにしたまま、差別はしちゃダメということだけ広まるのでは改善されないのではないかという危惧があります。これはBLM以外の問題にも共通していて、僕はもっとその大元に関してみんなでアクション起こしたいと思うんですよね。
それで今、制作とは別のアクションでその問題に積極的に向き合うために『UGO』というスペースを作ってるんです。これまでの経験から、アーティスト以前に人として意識している社会問題や個人の問題だったりを、アートを通さないと実現しないことがあるのと同時に、無理に接続させずにそれぞれの質を高めるために切り離した方がいいこともあるというのも段々わかってきました。だからクリティカルなステイトメントやコンセプトを一度やめて、UGOでできることをやってみたい。UGOは美術作品でもアートプロジェクトでもなく、経済的な格差などがどんどん大きくなって、ある属性の人たちが貧困と結びついたり犯罪者と結びついたりということが起きているのだったら、そこの部分で何かしら介入できないかと考えて作っている場所。固定観念を持たれやすい人たちやトピックとかに関してもっと丁寧に人と共有できるような場所にしたり、ことを起こせるようにというので10月にオープンする前提で動いています。
規模もさほど大きくなく、公的援助を受けているわけでもないので、そのスペースで直接的にできることは少ないけれども、僕の体験からすると、一つの小さな場所で起きていることを強烈に体験することによって、その街の見え方が全然変わって居心地が良くなったりするんです。NYに半年行っている間、思っているより居心地が悪く、外にいるだけで差別的な対応を感じて萎縮していたのが、堂々と歩けて生きやすくなったのは一つのパーティを経験したことがきっかけでした。それは僕の感受性の問題かもしれないんですけど、同様のことがUGOでもできるんじゃないかなと。東京にいづらいと思っていた人が景色がちょっと変わって見えるとか、息がしやすくなるみたいなことはもしかしたら広くできるのかなと思ってます」
――それは「HOME PARTY」の延長という見方もできますか。
磯村「その延長のようなやり方かもしれないし、パーティにくくらず、展示、トークイベント、お料理会かもかもしれないし、何もやってない時にたまたま集まった人たちとの経験かもしれないし、定まってはいません。でもこちらが持ってる信念みたいなものをちゃんと発していけばそういうものを求めてる人には伝わっていくと思います」
――そういう直接的な温度が感じられるコミュニティは、この状況ではとても大切ですよね。民衆の芸術との向き合い方についてはお聞きできたと思いますが、様々な都市で制作をされていた磯村さんにそうした街の特色についてもお尋ねしたいです。ここ、EYUKARYOTEの「OFF THE SIDELINE」(現在終了)では「地獄の亡者像」シリーズが展示がされています。地獄の亡者は元々タイの寺院で作られていたものですよね。
磯村「はい、タイの全土いろんなところで、地獄の亡者をセメントで作るというムーブメントが70年代くらいから盛んになっていったところから着想したものです」
――タイは民主政権になったものの未だ軍の影響も強い。その中でも民衆は徳を積むと来世には良い人生が待っていると信じて善行を行っていたりというギャップにも驚かされるのですが、そのバランスをどう捉えていましたか。
磯村「その“徳を積む”という中には熾烈な社会構造が組み込まれているんですよね。僕が普段考えていることと重ねて驚いたのは、タイではトランスジェンダーとして生まれてきた人は前世で徳を積まなかった人と言われていること。全員じゃないにしても多くのお坊さんが言っており(※僧侶のVen. Shine Waradhammoはこのことに異議を唱えタイ国内外で講演活動などを行っている)、当事者も自分がトランスジェンダーで苦しんでいるのは前世のせいだから仕方ないと言っている。貧困に関しても、政府にアクションを起こそうではなく、前世の自分のせいだから仕方ない、自分で徳を積んでいって来世どうにかすると。だから徳を積むという国民の思考と、圧力的な政治というのは繋がっていて、不平不満を黙らせるという役割を持っている。結局のところ、そういうモラルのようなものは全部、権力者側が民衆をコントロールしやすいように作っているところもあると思うんです」
――今の日本の「自己責任論」のようです。一方、2018年に滞在されていた台湾は問題が起こったときの対処が的確で、原因も国民に明らかにする国として知られています。
磯村「台湾の人たちは、あらゆる年代において自分たちが政治や社会を変えられるという自覚がすごく強い。だから参加するし発言する。それは国土もそこまで大きくなく、人口が日本ほど多くないために一人ひとりの声が小さすぎないということや、戒厳令のトラウマだったり、そこから民主主義を勝ち取ったという自負もあると思います。でも同時にバックラッシュもはやいという感覚はありました。台湾はアジアで最初に同性婚を合法化した国ですが、30年以上前に祁家威(チー・ジアウェイ)という台湾の活動家が同性同士の婚姻届を拒絶されてアクションを起こしたのが始まりで、その方たちの長年の活動が実を結んだんですけど、 本当にここ数年で一気に加速したんです。ジェンダー・マイノリティやセクシャル・マイノリティ、その他の人たちの地位向上のための人権意識の波及やアクションで人々の考えが変わるスピードもはやかったし、台湾は中国とは別の国家だということを民主進歩党が国際的にアピールするために急いでいたというのもあった。そのバックラッシュとして、保守派のキリスト教団体が同性婚反対の勢力を支援し、同性婚に対するヘイト文を街に溢れさせ、上の年代の人が影響をされてしまった。日本よりも家族や親戚の繋がりが強い中で、上の年代の人が真に受けたせいで環境が急激に悪化し、居場所がなくなり自殺者も多く出たとか。僕が台湾にいた時にも、世界がワーッと変わっていくような体感があったんですよね。だから合法化はしたものの、反対派の声も届きやすい国という印象があります」
――日本に関してはいかがでしょう。多くの国を見て、戻ったからこそ感じることもあるのではないでしょうか。
磯村「それを感じる機会がCOVID-19でめちゃくちゃ減っちゃってるんですよね。これらの展示が終わるまでは外部の人と会ってなかったし、まだ日本の社会と接する機会が少ないから何を得たか比較しようもない。でもその少ない中でも色々感じることはありました。企画者が全員シスヘテロ男性という展示も多いし、ジェンダーにまつわる作品を扱っていたとしても同様で。女性に寄り添っているような聞こえでも実際にはジェンダーロールを再生産するような内容で女性アーティストをキュレーションしている企画もある。様々な国で運営の人とも話し合いながら展示してきたし、企画者側の姿勢も見てきているので、日本ではそうした態度や発言が許容されていることに驚きました。当事者にとっては大変な問題であることに無責任に言及するものの徹底しておらず 、厳しく意見する人もいないから台湾とは違ってそのまま存在もできて、アメリカとは違って本人たちも自覚的にそうしているわけではない。それが日本の特色ですかね」
――まさしく。ジェンダーに限らず、政治に関してもどこか他人事という感覚が蔓延しているように思います。UGOがそのような中でどうやって繋がりを広げていくのか、楽しみにしています。
磯村「難しい問題だから僕も答えがあるわけではないです。どうしたら良くなるかという効率的なやり方を知ってるわけじゃないし、まだオープンもしていないから本当に手探りなんで、僕以外のメンバーの考えも色々とあるので僕ばかりがメディアでUGOを語ることでUGOの見え方を固定させたくないのですが、自分を含めて周りの人がいやすいコミュニティや環境を、なあなあではなく作っていくのが重要だと思います。僕は今まで学校など在籍してきた中で居心地のいいコミュニティが少なかったから、自分が安心していられて、安心して発言できて、安心して拒否できるような場所があったらと個人的にも思っていたんです。目的も属性もバラバラな人たちが集まっていく中で、それぞれが発言しやすく拒否もしやすいというのはめちゃくちゃ難しいんですけど、閉じたコミュニティには絶対したくないと思っています」
photography Yudai Kusano
text Ryoko Kuwahara
磯村 暖
1992 東京都生まれ。2016 東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻卒業
2017 ゲンロン カオス*ラウンジ 新芸術校第2期卒業。
近年の主な個展
2019「わたしたちの防犯グッズ」銀座蔦屋書店(東京)
2018「LOVE NOW」EUKARYOTE (東京)
2017「Good Neighbors」ON SUNDAYS/ワタリウム美術館(東京)
2016 「地獄の星」TAV GALLERY (東京)
近年の主なグループ展
2019「TOKYO 2021 -un/real engine ―― 慰霊のエンジニアリング-」TODA BUILDING (東京)
「City Flip-Flop」空總臺灣當代文化實驗場(台北)
「留洋四鏢客 」TKG+(台北)
グラント
2019 ニューヨークフェローシップとして半年間渡米 (ACC アジアン・カルチュラル・カウンシル)
セゾン現代美術館「都市は自然」(開催中-2020年11月23日(月・祝)に出展中
https://twitter.com/ohayoudog
https://www.instagram.com/danisomura
UGO https://www.instagram.com/shinokubo_ugo/