武蔵関というお相撲さんの名前のような駅で下車した。
夏の日のマスクは、もはや慣れようもないが、晴れた日は、日傘を差してゆっくりと歩行することで、しのぐ術としている。しかし、なんてこった、であることには変わりはない。なぜ顔を半分覆う生活になってしまったのか。
愚痴ばかり言っていても仕方がないので、前から気になっていた店に出かけることにした。友達を誘おうとも思ったが、ソロ行動がこの時代の休日の的確な過ごし方だろうと数ヶ月前に結論づけていたので、それに従った。
友達との無駄話は、現実に顔を付き合わせてするほどのことでもなく、無くなってしまえば、案外さっぱりしているというのは、ある。通気性のいい日常というのは、物事を肯定的に捉えようとした果実で、マスクの息苦しさとアイロニックな対となっていてる。
そんなことをぼんやり思いながら、武蔵関から目的地までの道のりをふらふらと歩いていると、手ごろな値段の定食屋さんが目に入った。中には品のいい中年が数人。きっと近くにあるイエズス会関係の人かな、などと思いつつ、空腹を感じつつも、やめておいた。密云々ではなくて、なんとなくな判断だった。
グーグルマップ上では、イエズス会系の修道院が二つ、神学校が一つ、上智大図書館の分館などもあり、中東の彼の地発の教えとお相撲さんの名前をした駅名とに、わたし好みのギャップを覚えつつ、目的地へと歩を進めた。
文京区で生まれ育った江戸っ子のわたしだが、東京は案外広くて行ったことのない場所が多く、むしろ未踏の地ばかりだと、変なため息をついた。と同時に、小学校時代に、もっと外国のことが知りたいとわたしが言った時に、日本のことすらよくわからないのに外を向いたらだめだよ、と同級生につっこまれたことを思い出した。
あの時は、はっとしたものだが、今ならしっかりと言い返せる。近くのことばかりに気をとられていたら、もっと良い世界があることを知らずに一生が終わってしまう。今、見たいこと、知りたいことから追っかけていかなくちゃ、身辺整理だけの人生になってしまう。などなど、と。
そんなことをぼんやり思いながら、武蔵関から目的地までの道のりをふらふら歩いていると、いつの間にか新青梅街道に行き着いた。
まずは、信号を渡り、新宿方面へ右折する。地図上では間もなく到着な距離だが、視界にはその店の看板が見えてこない。わたしは、車の排気ガスが吹き出している大通りが大嫌いなのだが、仕方ない。なるべく排気ガスのことを考えないようにして、姿勢に気をつけながら淡々と歩く。通り過ぎる人たちは、みなマスク着用。目は笑っていない。
わたしが子供を産んで、自分の若い時のことを語って聞かせる時に、「パパと結婚する前には、みんながマスクをして暮らしている時代があったんだよ。夏は息苦しくて本当に辛かったし、目だけしか見せ合ってなかったから、一目惚れが難しい時代だったんだよ」とか言うのだろう。
そんなことをぼんやり思いながら、ふらふら歩いていると、いきなり目的地の看板が目の前に現れた。スーパーのサミットとの複合施設だとは、知らなかったが、オザキフラワーパークと間違いなく書いてあった。
ネットでは、都内随一の大きさとか、買える植物園などと書かれていた。入り口の様子からしても、それなりの規模であることが窺い知れた。逸る気持ちを抑えつつ、一階の売り場をざっと見渡してから、エスカレーターで二階へと上がると、期待通りに観たかった植物がわさわさとあった。それらは原産地が外国のものばかりで、エアプランツだったり、多肉植物だったり、サボテンなどがひしめいていた。
わたしは、空腹を忘れて、こころゆくまでそれらの植物を観てまわった。生物学的な特性にも興味津々だったが、やはりその造形にわたしは心を奪われている。わたしは人の気配が途切れるのを見計らいつつ、時々マスクをずらして深い呼吸をした。
やがて高揚も一段落して、落ち着いて何周目かの観察をしていると、わたしが心を奪われているのは、造形よりもその履歴だということに気づいた。よその遠い場所から遠路遥々運ばれてきて、まったく勝手の違う土地で子孫を残してきたという適応の履歴に。いわば、そのライフストーリーに惹かれているのだと気づいた。
たとえば、アフリカ東海岸の島国マダガスカル産のパキポディウム は、コーデックスという分類に入り、日本語だと塊根植物と呼ばれる植物で、芋状に膨らんだ根の部分を地表に出して植え付けて、その風体を鑑賞するのだが、日本で種から育てた場合は、現地で自生しているような丸々と太った芋状に作ることは簡単ではなく、立派な芋を望むのなら現地から輸入したものを手に入れるのが手っ取り早い。ただ、手っ取り早いものというのは、その手間分が値段の乗っていて、気にいるようなものは、軽く10万円を超えてくる。ちょっと手が出ない値段だ。
だが、もちろんわたしが惹かれるのは、手間分の値段がつくという物語ではなくて、マダガスカルの乾燥地帯から抜き取られて、梱包され、飛行機に乗って運ばれてくる方の物語だ。わたしはそこに、島流に合う人々の貴種流転的なイメージを上乗せしてしまうので、その物語は、おのずと美しい陰影を伴う。つまりこういうことだ。高貴な生まれの者が、その意思とは別の運命に翻弄されて、未知の土地でさすらいながら生きる、という物語。それをカタカナ名のついた植物に見出してしまうわけだ。
話は蛇行したけれど、わたしはオザキフラワーパークで、そういうことになっていた。外国からの植物たちのそれぞれが持っている物語の芳しさに、わたしは埋没し、いささか自家中毒気味にさえなって、やがて気が重くなり、帰路についた。
来る時は、武蔵関という駅を使ったので、帰りは上石神井駅から乗ろうと決めた。少しだけ遠回りすることになるけれど、たいした違いではなかった。
オザキを出ると、新青梅街道の反対側には都営住宅が連なっていて、もはや古風なその外観にしばらく見惚れた。基本的に質実剛健ともいえる丈夫な作りなのだが、70年代か80年代かは知らないけれど、わきまえた程よいデザインが施されていて、建築家というよりも、センスのいい工務店のおっちゃんが線を引いたような、鼻につきようのない加減が良いなと思った。
それを右手にしつつ、わずかな小雨の中を傘をささずに歩いた。傘はもともと持っていなかったのだけど。
街道というのは、人や車の往来がおのずと多い。ジョギングをする人、歩く人、保育園帰りの母子、手を握って無言で歩く恋人たち、道に迷っているような人、いろんなひとたちが新青梅街道の歩道を歩いている。共通しているのはマスクをしているということ。マスク会社に勤めていたら、今頃無職ではなかったのになあと、ホステスだったことをいささか悔いたけれど、まだ貯金はあるし、実家なので、そんなに切迫はしていない。わたしは夜の街が好きだったんだけどなあと、心の中でしっかりと呟く。夜の街。
そんなことをぼんやり思いながら、上石神井駅までの道を歩いていると、右手に不思議な土地を見つけた。一見フェンスに囲われた公園のようだが、それは墓地であった。公園と見間違えたのも無理はない。墓地と言っても、墓石がぎっしり並んでいるわけではなくて、空き地の真ん中あたりに小山のように土が持ってあり、その周辺にいくつか墓石があるだけだった。それは、都会の裂け目のようでもあり、異界の入り口のようにも見えたが、きっとこの辺の住人にとってはコンビニと変わらない日常の風景の一部なのだろう。
ああ、そういうことだよな、と思った。
発見というのは、いつも部外者による。そんなことを考えた。
さらに、上石神井駅までの道をぼんやり歩き、新青梅街道から駅まで一本で行ける道へと曲がった。
そこには昭和の風情を残した商店街があり、濡れたアスファルトと灯り始めた街灯がなんとなく郷愁を誘った。
パブスナック・ブレーメン。わたしはその店の前で立ち止まった。ブレーメンとはドイツの地方都市の名前に違いなく、ブレーメンの音楽隊からもじったのだろう。あいにく営業しているのかは確かめられなかったが、その小さな店が、喫茶店ブレーメンだったら特に問題なかったが、パブスナックに連なると妙に気になる存在となっていた。
わたしは、行ったこともないブレーメンのことを想った。石神井のパブスナックの名前が私の記憶に沈殿して、いつしかなんとなくブレーメンの土地を踏んでいることになりかねない、と思った。その時は石神井のブレーメンのことはきっと忘れているのだろう。
わたしは、そのパブスナックの前で立ち止まったまま、武蔵関からの今日の道のりを反芻してみた。
イエズス会、修道院、定食屋、オザキフラワーパーク、外国原産の植物、都営住宅、公園のような墓地、パブスナックブレーメン。それらの点を結んで線とするなら、それが今日の私の形になるのだろう。そして、「発見というのは、いつも部外者による」ということも反芻した。とってつけたような思いだけれど、外してないなと想った。わたしは部外者でありたいと考えた。発見というと大袈裟だけど、自分の一ぐらいは気づいていたい。
とりあえず、できるだけ来た道を戻らないようにしよう。
そんなことをぼんやり思いながら、ふたたび上石神井駅に向かって歩き始めると、すれ違う数人が私の顔をまじまじと見つめていくのに気づいた。ああ、これか。わたしは、顎の下に寄せてあったマスクを伸ばして口を覆った。小雨はまだ降っていた。
#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある