ほぼマンスリーでテーマを設けて特集記事を作っているNeoLだが、“I just am”Issueはいつもより長い期間での記事展開となった。年末年始を挟んだ実務的なこともあったのだが、“I just am”つまり“私はただ私”であるということがNeoLにとって重要なテーマであるということも影響している。これまでにも、言葉を変え、内容を変えてはいるものの、同様のテーマは繰り返し記事にしてきたもので、常に媒体の指針としてある。この“I just am”という言葉は、本特集内でも紹介させていただいた、アイデンティティの自由を推進するクリエイターたちが、社会的テーマと共にクリエイションを発表するプロジェクト「I just αm」(2019年秋、エキシビション「rooms」内で始動)から拝借した。これまで“individual”では足りないなと思っていたピースがはっきりと言語化されていたことに感銘を受けた、その言葉を寛容に使用許可いただいたことに改めて感謝を述べたい。
“私とは何か”というのは答えの出ない問題なので割愛するとして、“私はただ私”が対峙するものについて。
人種やジェンダー、職業、年齢、人はただ存在するだけで様々なラベルが貼られる。大まかな性格まで把握しているような間柄ならば(そこにもバイアスはもちろんあるものの)「●●さん」という個体として認識されるが、数に紛れてしまった途端、主に外見の特徴から分類され、勝手に特徴づけられ、役割分担されてしまったりする。分けたり分担させたりするのは誰かにとって便利だからであって、私は自分に関する他人の勝手な判断に対してNOと言っていいと思っている。「勝手にわかった気にならないでほしい、私は私で、あなたの中の“私”じゃない」。
幼少期から自分の中にあったこの考えは、元々は家族の中で反面教師的に培われ、学校、職場という社会の中でますます強固になっていった。
問題意識を持つきっかけはもちろん望まないラベリングやそこで負わされる役割に生じた違和感で、中身は変わらないのに髪の色を変えただけで急に問題児扱いする大人だったり、絵がうまく博識なクラスメイトを「地味」と笑った人たちだったり、枚挙にいとまないけれど、自分の個人史を振り返って特に強く抗ってきたのはジェダーロールに対してだと思う。
私は家父長制の厳格な家で育ち、女性は男性の前に立つべきではないという男尊女卑の思考を持った父親は物心ついた時から胃が痛くなるような厄介な存在だった。青が好きなのにどうして赤を着せられるのか、さっぱりと髪を短く切りたいのに、駆けずりまわれるようにズボンを履きたいのに、弟もいるのになぜお茶を出すのは私の役割なのか、数え切れないほどの疑問と我慢があった。母に尋ねても祖母に尋ねても「女の子なんだから仕方ない」としか答えてくれない、そのことにも納得がいかなかった。“私”を代表する中身は“女の子”であること? そんなわけがない。
テレビを観ることも許されていなかった小学生時代の私の情報収集手段は読書で、『古事記』を読んで女性が先に声をかけたから失敗作の子供が生まれたなんてとんでもない描写にショックを受けたりしつつも(*後付けでの解釈ではないかという議論あり)、『長くつ下のピッピ』(アストリッド・リンドグレーン)や『オーランド』(ヴァージニア・ウルフ)と出会って救われた気持ちになった。なんだ、やっぱり強くっていい、前に出たっていいんじゃないか。ジェンダーロールなんて無粋だ。
その気持ちを挫かれるような出来事は10代に立て続けに起こった。身体が成長するにつれて幼少期から出くわしていた痴漢はより頻度と濃度を増し、友人たちの身の上にも手に負えないような事件が起こっていた。痴漢に家まで尾けられて電車に乗れなくなった子。レイプされて妊娠したことを親に言い出せず、中絶できるギリギリの段階にようやく告白したら「家の恥だ」と言われて泣きもできなかった子。かける言葉がなくて、一緒に怒って代わりに泣くことしかできなかった。今だったら「婦人科ではなく救急外来へ、レイプキットとアフターピルを至急」と言えるのに、図書館中探してもそんな知識は載ってなかった。秘密を打ち明けてくれた重みから、時が経つにつれて徐々に私から顔を背けたくなってきている気持ちも痛いほどわかる。「思い出したくない」「消したい」「なかったことにしたい」。どこにである学校のどこにでもいる学生たちという仮面を被っているけれど、注意深く接し、断罪的な態度をとらずにいたら、「実はね」で始まる秘密の話はいくらでもあった。“捕食”みたいだと当時思ったことを覚えている。人間なのに、理性があるはずなのに、そうやって歴史の輪は繋がれてきたはずなのに、どうして性別で捕食する側とされる側とに分けられてしまうのかと。
やりきれないのは「あなたは悪くない」と伝えても、被害にあった子たちがどこかで自分を罰し、恥じていたこと。そんなわけない。自分も周りの女の子たちも小学生の頃から大人の男性とは一定の距離を保ち、目線を合わせず、なるべくひとりにならないよう、自衛と呼ばれる術は身につけていた。それでも「もしーーしていたら、していなかったら」と悔やむのだ。違う。どこにいようと何を着ていようと、あなたが悪いわけがない。
小さな頃から絶え間なく翼を毟り取られているような感覚。
「女だから」「女のくせに」「女だてらに」
なんで“私”を“私”のままでいさせてくれないのか。
男装もしたし、眉の色を白まで抜いたり、派手に装ってもみたし、幼いなりにいろんな手を尽くしてみたけれど、月経は嫌でも毎月やってくるし、ズボンだろうがスニーカーだろうが痴漢にはあうし、自分が女であることからは逃れられなかった。
同時に私は親の目を盗んでMTVを観ることを覚えたり、通学路にあったビデオ屋に入り浸り映画を観せてもらうことで、多様な女性像を吸収していた。年齢なんて単なる数字だと歌ったアリーヤ(後にR.Kellyとの関係を知り衝撃を受けた。15歳と結婚しようとするプロデューサーなんて)、ギャルいファッションが最高だったレフト・アイ。シスターフッドを学んだのは、スパイス・ガールズやデスティニーズ・チャイルド、『告発の行方』『テルマ&ルイーズ』。周囲の状況と重なって辛かった『KIDS/キッズ』。人種とお金と年齢と様々な要素が絡み合う濃密で複雑な愛の形を描いたマルグリット・デュラス原作『愛人/ラマン』。少年性と少女性を入れ替えた実験的な『1999年の夏休み』。
なるほど、確かに私は性別は女だ、そして親や先生が言う“女性像”には共感できないけれど、この中には共感できる女性たちもいる。どういう女性になるかは自分で決めればいいんだ。私は友人たちを通して女性の賢さも強さも優しさも知っていて、音楽やスクリーンや書物を通して、物怖じしないで意見を言う、自分のための人生を生きる女性の姿も知っている。そのパワーでエンパワメントしてくれる先達を知っている。女性というだけで摘み取られる選択肢も受ける暴力も知っているけれど、それに立ち向かう女性が常にいることも知っている。ドキュメンタリーや史実で、男性女性、人種によらず、人を枠に入れることなく中身だけを見て後押ししてくれる人がいるとも知っている。
そして男性の中でも「男らしく」あることを求められたり、家父長制の中で生きづらさを感じている人たちがいることも。私の兄がそうであったように。彼は長男として大人しくレールを歩いていたが、跡を継ぐ寸前で事故だか自殺だかわからない形で人生を終えた。優しい人だった。誰も誰かに勝手に望まぬ役割を負わせるべきじゃない。その思いはますます確固たるものになった。
自由の確保のために勉強をしよう、早く自立しよう。自分で生計を立てることで「女の子だから仕方ない」と言われる生活を終わらせよう。ハードな10代を乗り切ろう。
多様な生き方を教えてくれた音楽や映画や文学は、編集者となった私の大切な仕事のパートナーとなり、気の合う多くの友人たちや尊敬できる生き方をしている先輩たちの元へ導いてくれた。クィアの子、肌の色が違う子、言語が違う子、業種も年齢もバラバラのいろんな友人ができたけど、共通しているのは他者の“痛み”を想像できること。
一方で編集者になっても相変わらず捕食はあって、撮影をお願いしたら「おっぱい見せてくれたらね」と返してきた大御所フォトグラファー、転職してきたらと提案しながらホテルに誘ってくる編集長。セクシャルなことだけじゃなく、若い女性というだけでお飾り、役に立たないと挨拶した一瞬でジャッジされることは山ほどあった。必死で仕事をすることはもちろん、声を低く話し、背筋を伸ばし、外見でも威厳をもとうと繕った。男性だけの会議にも、取材が成功した時の「あの人、女好きだからよく喋ってくれたよね」と言う同僚の男性の声にも、うんざりだった。「これはセクハラです」「仕事の実績を示せるチャンスをください」「男性だけの会議を続けるなら編集部を辞めます」
変えられたものと変えられないものの一進一退の日々の中で聴いていた、ビヨンセの“Run The World(Girls)”。フェミニズムという言葉や思想についての考察を促してくれたロクサーヌ・ゲイ『バッド・フェミニスト』、チママンダ・ンゴズィ『男の女もフェミニストでなきゃ』、レベッカ・ソルニット『説教したがる男たち』。エマ・ワトソンやケイト・ブランシェットらのスピーチにも勇気をもらった。
韓国現代文学を手に取ったのはほんの偶然だった。
2年前のある日、長めの本を読み終えたばかりで短編が読みたかった私は新刊で並んでいたチョン・セラン『フィフティ・ピープル』を購入した。最初の章を読んで、文章力も構成も長さも全て気に入った。その日のうちに読み終えて、軽妙な文章と巧みな構成で読者を引き込みながら、社会の問題を考えさせる凄い才能の持ち主が隣の国にいると知った。多種多様な50人(+α)の登場人物の中に光る、優しさや正しい心根に「大丈夫だよ」と言われた気持ちになったし、日本と近い風土での物語に親しみを覚えた。マン・ブッカー賞国際賞を受賞したハン・ガン『菜食主義者』は一つの文章を目にしただけで只者ではないことがわかる深い洞察とオリジナルの視点があり、家父長制に暴力ではなく抗う姿に胸えぐられる思いがあった。韓国で巻き起こったフェミニズムの牽引役として知られるチョ・ナムジュ 『82年生まれ、キム・ジヨン』は「実はね」で始まる友人たちの話のようで、自分の話のようでもあり、“私”の個人史が“私たち”の物語になり、“私たち”の後に続く未来を変えようという動きに変わる様を目に見える形で提示してくれた。その未来のために実生活でどのように言葉を使えばいいのか、会話における主体性を持つことは精神における主体性を持つことだと、わかっていたようでわかっていなかった日常会話での対応について考えるきっかけを与えてくれたイ・ミンギョン 『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』。江南駅女性刺殺事件やセウォル号沈没事故などから社会的問題と個の関係を丁寧に紡いだ物語は続々と生まれていた。痛みを自分のものとして感じて放たれた言葉は真っ直ぐで強い。
これらK文学の動きに連帯しようとイ・ミンギョン、チョン・セラン、イ・ランらのエッセイ、ユン・イヒョン(この原稿を書いている最中に彼女の断筆のニュースを知り、声を上げる者にのしかかる重みについて再び考えさせられた)らのインタビュー、アクティビストたちの活動を日本のタバブックスがまとめた『韓国フェミニズムと私たち』。同じくタバブックスから出版、日本の性犯罪の実情や世論、法改正についてなどをわかりやすくもつまびやかに、個人の体験も含めて描かれた小川たまか『「ほとんどない」ことにされている側から見た社会の話を。』。K文学の素晴らしきアジテーターであり名翻訳者である斎藤真理子が編集をつとめた『完全版 韓国・フェミニズム・日本』。元となる「文藝」2019年秋季号の特集「韓国・フェミニズム・日本」がは86年ぶりの3刷となったことからも、いかに日本において韓国現代文学、とりわけフェミニズムに関する著書が注目を集めているかがわかる。そこには小川たまかも指摘し、伊藤詩織『Black Box』でも描かれているように、性犯罪が明るみに出にくい日本の社会や法律の問題がある。2015~2017年で、APEC加盟国・地域の55%で女性リーダー増という中、女子や浪人年数の多い受験生の得点を一律に下げていた東京医科大学、男性と女性で80点差をつけた聖マリアンナ医科大、圧倒的に不足している政治、経済界の女性リーダー、それらが如実に表れた先進国最下位の121位というグローバル・ジェンダーギャップ指数(韓国は108位、中国は106位/2019年版)。その社会を形作っているのはまぎれもない自分たちで、自分たちが動かなくては誰がやるのだといううねりがここ日本でも少しずつ広がっている。
1848年の第一波から何度かの革新を遂げ、第四波フェミニズムと呼ばれるムーヴメントが起こっているアメリカから届いた、#MeToo 運動、タイムズ・アップ運動より少し前の火付け役となった実際の事件を題材とした映画『スキャンダル』(2月21日公開)。シャーリーズ・セロンが事件を風化させてはならないとプロデューサーに名乗りを上げて映画化に踏み切った作品だ。雇用主であり巨大な権力である男性を告発すると決めた女性たちが案じるのは、自分の娘、次の世代、未来。そして「沈黙の意味を考えて」というメッセージ。“連帯”“シスターフッド”の重要性。これらは先に挙げた作品たちの多くに共通するテーマだ。
“私”は“私”だ。私は自らをフェミニストと呼ぶ。そして自らの意思で連帯する。
思い込みや既成概念で主体を奪われることを止めよう。個に対してより多い選択肢のある未来をひらこう。
photo & text Ryoko Kuwahara