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text by Yukiko Yamane
photo by Tereza Mundilová

14 Issue:Ricarda Messner(”Flaneur Magazine” Publisher / “SOFA” Editor in Chief, Publisher)




年齢は単なる数字であって、オトナになるという境界線は人ぞれぞれ。定義できないからこそ、誰もが答えを探している。多感で将来のことを考え始める14歳の頃、みんなは何を考えて過ごしたのか?そんなファイルを作りたいと始まった「14歳」特集。東京、NYに続くベルリン編には、年齢やバックグラウンド、仕事の異なる個性豊かな15名をピックアップ。
7本目は『Flaneur Magazine』のパブリッシャー、『SOFA』の編集長兼パブリッシャーを務めるリカルダ・メスナー。ベルリンのインディペンデントマガジン・シーンの新たな道を切り開いている、そんな彼女の自宅を訪ねた。お母さんから譲り受けたというヴィンテージの黒いソファに腰掛け、リカルダは自身のストーリーについて語り始めた。(→ in English



ーー14歳のときはどんな子でしたか?


リカルダ「多くの14歳が感じたように、当時は本当に混乱して不安定でした。でもわたしはそのことを上手く隠せてたと思います。あと周りの人から影響を受けやすかったかな。例えば、友達がクールな着こなしをしてたら、それを真似しようとしたり。学校ではみんなそれぞれの筆跡がありますが、わたしは3週間に1回のペースで自分の筆跡を変えてたんです。隣の席のマリアの筆跡がとっても綺麗で好きでした。彼女と同じペンを買って、同じように書こうとしてたくらいです。やることがたくさん(笑)。いつも自分はアイデンティティを持ってないと思っていたんですが、実はそれこそわたしのアイデンティティ。変化が大好きなんです」


ーー14歳のときにどんな24時間を送っていたか、円グラフに書いてみてください。





ーーでは、14歳のときにどんなことを考えていましたか?





ーー当時の思い出でよく覚えていることがあれば教えてください。


リカルダ「ファーストキスをしたこと。私が住んでた家の角でしたんだけど、もしお母さんが外を眺めていたら完全にバレてたはず。彼は当時のベストフレンドで、17歳でした」


ーーそのあと彼と付き合ったのですか?


リカルダ「付き合おうとしたんですが、結局うまくいかなかったんです。次第に連絡が途絶えてしまって。彼はいつも卒業後は医者になりたいと言ってました。時は過ぎて、去年手術を受けることになり病院でその手続きをしていたんですが、後ろから誰かが“リカルダ?”って尋ねてきて。15年の時を経て、偶然彼と再会したんです!彼は夢を実現して医者になってました。あ、ようやく彼にあのときがファーストキスだったって伝えたんですよ(笑)」





ーー映画のようですね!14歳のときに抱いていた夢は何ですか?


リカルダ「マネージャーになりたいと思っていました。何のマネージャーかは分からなかったし、お母さんから“マネージャーは職業じゃない”って言われましたが。お金を稼ぐためだけに働くという考えは全然なくて、自分自身で何かをして自由を手にしたかったんです。お父さんは自分の会社を持っていたので、そこから影響を受けました」


ーーお父さんからたくさんのことを学んだのですね。


リカルダ「もちろん。最初から物事を始めたいとき、たくさんの忍耐が必要。人と話して、“ノー”であなたを拘束しないこと。それから別の道を考え出す必要があるってことです」


ーー現在は『Flaneur Magazine』と『SOFA』を運営していますが、どういう経緯で始まったのですか?


リカルダ「最初はノープラン。『Flaneur Magazine』は、わたしが体調不良で精神的な問題を抱えていた時期にとてもパーソナルな理由で生まれました。仕事のパフォーマンスが本当に安定しないことを自覚してたので、誰かのために働くという考えはかなりストレスに感じていて。だから自分自身の道を切り開くことが、感情的なストレスを軽減できると思ったんです(笑)。まぁ結局別のストレスが生まれましたが。2番目の『SOFA』は、マガジンの運営方法を知っているというモチベーションから誕生しました。自分自身のことをするときに生まれる感情的なストレスに対処する術を知ってますしね」


ーーそれからまず『Flaneur Magazine』を始めたんですよね。


リカルダ「そう。体調が優れずにニューヨークから戻ってきたこと(笑)と、2本の映画のコンビネーションから生まれました。『二十四時間の情事(原題:Hiroshima mon amour、1959)』は素晴らしい映画の1つで、影響を受けた作品。その会話の中に”物事をよく見ることは学ぶべきこと”と語るシーンがあるんです。生まれ育ったベルリンで何かするためには、考え方を当てはめなきゃいけないって自覚してました。ストリート、特にわたしがよく知っているストリートをよく見る。これがマガジンのメインテーマです。そもそもマガジンを作るつもりは全くなかったんですよ。最初にストーリーとコンセプトに興味があって、それからメディアについて決めるって感じ。2013年に運よくエディターのファビアン(Fabian Saul)とグラシナ(Grashina Gabelmann)に出会って、ラディカル・ストリート・アイデアについてコンセプトを見出しました。そこに視覚的な言語としてクリエイティヴ・デュオの『Studio Yukiko』も加わって、無事に創刊することに。それから6年経った今年は、8月末に8号目をリリース予定です」





ーーその後、2016年に『SOFA』をスタートすることに。


リカルダ「『Flaneur Magazine』第3号でモントリオールを特集したときに、わたしのスピリチュアル・シスター、カイア(Caia Hagel)と出会ったんです。いつも連絡を取り合ってて、1日に100通近くメールしてました(笑)。カイアと一緒に何かしたいと常に思ってましたし、ハイ〜ローカルチャーに及ぶ私たちのメールや会話のように、同じ雰囲気を持つ出口を見つけるために。2人ともトラッシュ・カルチャーの知性と美しさを深く信じてたので(笑)。それで『SOFA』を始めました。友達とソファに座って、さまざまなトピックに関する自分の考えや感情についてオープンに話している感じ。この前、『SOFA』ファミリーが”わたしたちはきっと文化療法を提供するマガジンサービスよ”って言ってました(笑)」


ーー素敵なストーリーですね。マガジンを始めてよかったこと、大変なことはありますか?


リカルダ「いつも何か終わると変な感じ。どちらかというと作り始める最初の段階が一番楽しいんです。まだ何もない空白な状態なので。想像したり夢見たりすることが大好き。だから自分の仕事となると、諸々の現実に対処することが一番タフなパートなんだと思います(笑)」





ーー14歳のときに影響を受けた、大好きだったものはありますか?


リカルダ「リアリティ番組。今でも大好きなんです!『シンプル・ライフ』を見てたとき、バリス・ヒルトンや二コール・リッチーのようにドレスアップしたいって思ってました。あと90年代後半から2000年代前半の『MTV』全般はわたしにとって大きな存在ですね。テレビで見るジェシカ・シンプソンとニック・ラシェイの結婚生活も好きでした。それから『ザ・ヒルズ』も絶対外せませんね」





ーーいま14歳を生きている人たちに伝えたいメッセージはありますか?


リカルダ「ぜひ日記を書いてみて。わたしはしていなかったんですが、今になって当時の日記を残しておけばよかったと思ってます。わたしの中で当時の記憶はかなりぼんやりしてますし、日記に残しておけばあなたの初期アイデンティティを理解する価値があるものとして役立つと思うんです。本や映画、音楽に関してはより一般的なメモとして、あなたが理解して共感できるように読んだり、見たり、聞いたりしてみて。この年頃の情緒的な安定感はとても助けになるし美しいことだと思います。歳を重ねるにつれて、もっともっと反対のことをやるべきと思うようになるけど、自分の知らない世界を見えるようにするために本や映画、音楽を使ってみて。自分のバブルに留まったり、(危険な)無知の状態を成長させたりしないように」


ーー最後に何かお知らせがあればどうぞ。


リカルダ「8月末に『Flaneur Magazine』の最新号が出ます。次の『SOFA』は11月末の予定です」








photography Tereza Mundilová
text Yukiko Yamane


Ricarda Messner
@ricardamessner:https://www.instagram.com/ricardamessner/


Flaneur Magazine
www.flaneur-magazine.com
@flaneurmagazine:https://www.instagram.com/flaneurmagazine/


SOFA
www.sofa-universe.com
@sofauniverse:https://www.instagram.com/sofauniverse/



This interview is available in English

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