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天野太郎(横浜美術館 主席学芸員)「美術は近くにありて思ふもの」Vol.3 美術と建築 前編 ゲスト:光嶋裕介

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森村泰昌展や奈良美智展など数多くの重要な展示を成功させ、現代アートの名裏方として名高い天野太郎。その天野が様々なゲストを迎え、アートの定義や成り立ち、醍醐味を語る連載企画の第3弾。今回は、各界から注目を集める建築家であり、銅版画やドローイングの作品集を出版するなどアートにも造詣が深い光嶋裕介との対話を通し、これからの美術館のあり方、建築のあり方を探った。

天野「先日、後藤正文さん(ASIAN KUNG-FU GENERATION)と雑誌の企画で対談した時に、光嶋さんの話になったんですよ。話もおもしろかったんですけど、その繋がりにびっくりしました(笑)」

光嶋「僕は2008年にドイツから帰ってきて、建築設計事務所を立ち上げたんですが、独立して最初の仕事が神戸にある内田樹先生(思想家/武道家)の凱風館という合気道の道場兼住宅の設計だったんです。その建築が完成してから合気道を始めました。じつは、ゴッチさんとも、内田先生を通じて知り合いました。自分と違った世界で情熱をもって仕事している同世代の人にはいつも刺激されます」

天野「凱風館って住吉ですよね? 僕、地元なんですよ」

光嶋「そうでしたか。神戸は山も海もある魅力的な街ですよね」

天野「しかし世間狭いなあ」

光嶋「どこで誰とどうつながるかわかりませんよね」

天野「光嶋さんは、このスケッチ(『建築武者修行〜放課後のベルリン』収録)を自分で描かれたんですよね?」

光嶋「全部そうです。今日はいくつか原画も持ってきています。この本は、学生時代の6年間かけてヨーロッパを回った時期と、ベルリンに住んでいた4年間を合わせて、合計10年間の旅の記録なんです。自分にとって建築家のお手本のような存在の人の作品を見て回ったものなので、ヨーロッパ武者修行と題して、ギリシャのアクロポリスから始まり、各地の建築を見て感じた建築にまつわる物語を書いています。例えば、敬愛する建築家であるピーター・ズントー(スイスの建築家)の事務所で働きたかったので、直接手紙を書いて彼の事務所の扉を叩いたエピソードです。

つまり、自分が『建築家になりたい』ということだけが分かっていながら、実際にはどうやって建築家になれるかは分からない中での体験を言語化してみたかったんです。というのも、建築を見るために旅に出るけれど、美術館に行けば思いがけぬアートに出会ったり、街で道に迷えばそこに予期せぬドラマが生まれたりという風に、結局建築を通して、人と人との貴重な体験、あるいは物語を持って帰ってきたという感覚が強くありました。10年ぶりの追体験ではありましたが、当時描いたスケッチブックがあったため、それが文字のない日記みたいなものなので、文章が書けたんです」

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