今年フジロックにて大雨と雷の中のパフォーマンスで復活を果たし
1988年、オハイオ州クリーヴランドを拠点に、トレント・レズナーはナイン・インチ・ネイルズとしての活動を開 始した。なお、バンドの体裁はとっているが、現在まで一貫してNINはトレント個人によるプロジェクトである。
1989年には、TVTレコーズからデビュー・アルバム『プリティ・ヘイト・マシーン』をリリース。以降、ライヴ活動を通じてジワジワと評判を集めていき、やがてファースト・アルバムは100万枚のセールスを記録する(※現在までにトリプル・プラチナムを獲得)。
1991年にはジェーンズ・アディクションの解散ツアーとなった第1回ロラパルーザに参加し、折からのオルタナティヴ・ムーヴメントの一翼を担う存在として頭角を示す。
1992年、晴れて移籍第1弾となったEP”ブロークン”をリリースし、ビルボードで初登場7位を記録。このEPに関しては、元スロッビング・グリッスル/コイルのピーター・クリストファーソンによって『ブロークン・ムーヴィー』 と呼ばれるショート・フィルムが制作されたが、あまりにも残酷な映像のせいで公開されることはなかった。同年には”ブロークン”のリミックス集”フィクスト”もリリース、これにはブッチ・ヴィグやジム・フィータス、コイル が起用されている。
チャールズ・マンソンらが殺人事件を起こした現場である邸宅にて録音されたセカンド・アルバム『ザ・ダウンワ ード・スパイラル』を1994年にリリース。ラッセル・ミルズがアートワークを担当した同作品はビルボード初登場2位を獲得した。さらに同年に出演したウッドストック・フェスティバルにおける泥まみれのパフォーマンスは全世界に生中継され、多くの人々に衝撃を与えるとともにナイン・インチ・ネイルズの名を知らしめる。翌1995年には『ファーザー・ダウン・ザ・スパイラル』をリリース、『ザ・ダウンワード・スパイラル』のリミックス集であるこの作品には、リック・ルービンやエイフェックス・ツインらがリミキサーとして名を連ねた。
『ザ・ダウンワード・スパイラル』に続く新作は遅れに遅れ、待望のサード・アルバム『ザ・フラジャイル』が2 枚組の大作となって全貌を現したのは、1999年9月となった。ジャケットのアートワークはデイヴィッド・カーソン が担当し、全米初登場1位を記録。その重厚で濃密な内容に関しては当初こそ賛否が別れたが、現在は多くの人に傑作として支持されている。
2000年1月にはフラジャイリティ・ツアーの一環として初来日公演が実現。この時のラインナップは、ロビン・フィンク(ギター)、ダニー・ローナー(ベース)、チャーリー・クロウザー(キーボード)、ジェローム・ディロン (ドラムス)。