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text by Ryoko Kuwahara
photo by Diego Garcia

NY Issue : Interview with Mas Ysa

NeoL_MAS_YSA| Photography : Diego Garcia


エモーショナルな歌声とサウンドでクラブシーンの注目を集めていたMas Ysa。事故によって音楽活動を中断していた彼が、この9月に2年ぶりとなるEPをリリースした。MVには大学時代の朋友であるレナ・ダナムも出演し、新たな門出をサポートしている。よりフィジカルに、力強く変化した彼の音楽について聞いた。



——9月にEPが出たばかりですよね。おめでとうございます。早速聴きました。


Mas Ysa「ありがとう。9月8日に発売したばかりなんだ」



——EPのミュージック・ビデオに出ていたレナ・ダナムはあなたと同じ学校の出身ですが、その時からの付き合いですか。


Mas Ysa「うん、彼女は学生の頃から知っているよ」


——その頃のあなたはどういう学生でしたか。


Mas Ysa「学校では、課題用の作品とパーソナルな音楽の二つを両立することが必要だったけど、個人的な音楽を優先していた。学校のための音楽を作る時もパーソナルな作品とどういう風に結合できるかを常に考えていたから、自分らしい作品しか作らなかった」


——学生時代の一番良かった思い出と最悪な思い出は?


Mas Ysa 「最悪な思い出は、多分記憶が飛んでいたから思い出せない。一番よかった思い出は、友達のMichael Beharieに出会えたことかな。彼はこのEPや他の作品にも協力してくれた。出会った日のことや一緒に過ごした夕方のことは、今でもよく覚えている。初めて会ったとき、彼は長い髪をポニーテールにしていた。その日に、とても大切な友情が始まったんだ」


——学生時代の仲間との関係がこうやって今も続いてるのはとても素敵ですが、NYではわりとそういう長い付き合いをしているアーティストが多いのでしょうか。それとも自分たちがスペシャルだと思いますか。


Mas Ysa「アート・コミュニティーの中での繋がりはとても大切だと思っているよ。みんながどうかはわからないけど、僕は大家族で育ったから繋がりというものを大切にする。エクアドル側の親戚もフレンチ・カナダ側の親戚のどちらも賑やかだったからか、グループにいる方が居心地も良いし、より良い仕事ができる気がする。NYに辿り着いたのも友人についてきたからで、実はNYのアートシーンや音楽業界については全く知らなかったし、土地感覚もなかったんだ。クリエイティヴな友達の多くがNYにいたから、なんとなく自分も来てみようかなって思って」



——なるほど。事故にあって音楽活動を一度中断していましたが、それは今回のEPにどんな影響を与えましたか?



Mas Ysa「今でもたまに目眩がするし、光をあまり直視できないからサングラスをよくしているし、眩しいステージでパフォーマンスすることも難しいから前みたいにツアーすることもできない。でも、事故後はツアーや売り上げ、クラブシーンなんかをあまり意識しなくなったから、長いアルバムではなく短いEPを出してみたり、パンクっぽいラフな曲を作ってみたり、自分が本当にやりたいことをもっと自由にできるようもなった。今は素面だけど、以前作った音楽にはお酒やドラッグに関する内容がたくさんあった。今回のリリースでそういうのも最後かな。ずっとツアーとパーティーばっかりの生活に飽きたんだ。先ほど聞かれた大学時代の一番最悪な思い出を忘れてしまった理由も酔いつぶれていたからだし、もうそういうライフスタイルは嫌なんだ。でも、パーティーしまくっていた時期に書いた曲の記憶を完全に隠したり埋めてしまうのも違うかなと思って、事故をきっかけに最後に出し切ろうと最新のEPをリリースしたんだ」

——元々のエレクトリックな音楽もエモーショナルですが、今回はさらにフィジカルな手触りがして、MVからも生命の躍動を感じることが多かったです。.



Mas Ysa「交通事故後、ライヴ・パフォーマンスをすることが難しくなってからは、回復するためにウルグアイで家族と過ごす時間をたくさんとったんだ。そしたら、クラブでの盛り上がりを意識した曲作りが減った。サオパウロで育ったからノリのいいダンスミュージックの影響は今でも受けているし、前に作っていたクラブミュージックでもエモーショナルな歌い方をしていたけど、当時の音楽はクラブの客を踊らせるという役割が大きかった。特にライヴ・パフォーマンスのときはね。でも今は34歳だし、クラブ中心の生活じゃなくなったから、正直、そういうのがどうでもよくなってしまった。クラブのためじゃない音楽を作り始めてからは、もっといろんなテンポやムードの音楽で研究できるようになった。『エモーショナルな曲だね』といろんな人に言われるんだけど、それは僕が曲を意図的にデザインしていないからかもしれない。エレクトロニック・ミュージックはグラフィック・デザインとよく比べられるし、他のアーティストは『ただ自分が聴きたいと思う音楽を作っている』ってよく言うよね。昔はこういう発言が本当に鬱陶しくて嫌いだったけど、今はクールだなと思っている。今思うと、自分がそういう音楽作りをできないのが悔しくて、できる人が羨ましかったのかもしれない。僕は聴く人の体験を意識した音楽を作るのが苦手で、自分が体験したことに対しての気持ちを発散して、落ち着いて処理するために音楽を作ることが多いんだ。数年後経ってから振り返った時に、やっと自分の曲の意味に気がつくことも多い。これからはもっとプロフェッショナルに『こういう曲が作りたい!』と思い描いた曲を作れるようになりたい。『ブリトニー・スピアーズの“Toxic”にエミルー・ハリスのスチールギターを合わせて、“Despacito”みたいなキックが入った曲を聴きたい』って感じで細かく考える人もいるよね。僕はそういう作業をしたことがなくて、どらちかというと偶然できてしまったような曲が多い。自分らしさが出るからそれも大好きだけど、次の課題としては、聴く側の体験をもっと意識した音楽を作ってみたいと思ってるよ」


MAS_YSA_STUDIO_01| Photography : Diego Garcia


——今回のMVでは曲もフィルムも違った種類のものがシームレスに流れていて、素晴らしかったです。あのアイデアは誰が考えたのですか。


Mas Ysa「ある日、エレベーターの中で友達のダン・シャピロにどういう風に最新作をリリースするのか聞かれて、その会話をきっかけに彼と一緒にこのコンセプトを考え出したんだ。今の時代、みんなYouTubeに音楽をのせているし、自分がのせなければ、他人がのせてしまう。僕はリハビリを兼ねてソウル・サイクル(サイクリングマシンを使ったトレーニング)をしているんだけど、冗談抜きで僕の精神的平和と幸せの1/3はこのソウル・サイクルによってもたらされていると思う。本来はレッスン代がとても高いんだけど、元カノがインストラクターだから、無料で通わせてもらっているんだ(笑)。それで、自分がひたすらサイクルしているショットをVHSで撮ろうと彼に提案したら、『それはいいアイデアだけど、他のシーンをどうするかも決めよう』という感じに話が広がっていった。実は生計を立てるためにCMの動画編集もしているんだけれど、僕はその仕事が本当に嫌いでね。『M&Mを食べるべきだ』とか人を洗脳するのは最低だと思う。だから、もしMVを作るならCMとは全然違うものにしたくて、カットが少なめの長いスティールショットを撮ることに決めた。他のシーンには、ガーデニングをしている男性、運転している女性、幼い子供などを映そうと思った。彼に冗談半分で『オウムもいれる?』って聞いたんだけど、『オウムはいらないから馬を写そう』となって。そして、彼の提案でフィルムで撮影することも決まった。フィルムは集中しないと上手く撮れないから、すごく真剣に作品と向き合うことができたし、ロケを神聖に感じることができたよ。いろんな思いや考えがこもっているけどシンプルな作品を作りたかった。そうすることで自分のことをもっと知れるし、気分も良くなるし、ぐっすりと眠れるようにもなるからね。あと、このビデオはCMの真逆なんだ。観ている人に何も売りつけてないし、写っている自分はソウル・サイクルという日常的なことしかしていない。火山で叫んだり、大げさなことを他のMVの撮影でしたこともあるけど、今回は自然体でいたかったし、格好つけたくなかった。そこで、ダンが友達のレナ・ダナムに出演してもらおうと提案してきたんだ。レナは出会った頃からずっと僕の音楽を応援してくれているんだよね。彼女とは大学時代に詩について語って意気投合した。レナは世界中で評価されているコメディアンだから、とてもドラマティックで、やること全てに心がこもっている。歌い方を聴いて気がついたかもしれないけど、僕もすごくドラマティックな人間だから、そういう部分でも彼女とは気が合うんだ。だから、彼女が僕の音楽を聴いているところを撮影したいなと思った。このビデオのコンセプトは本当にシンプルで、大げさに盛り上げたりせず、ただ画面に映っている人と真っ直ぐに向き合うことに集中した」


——あなたの歌声はすごく力強くてエモーショナルですが、いつ自分が歌える、音楽が作れると気づいたんですか。

Mas Ysa「すごく遅かった。まず、今でも自分に才能があるとは思ってないんだよね。ただ音楽にすごくコミットしていて、その姿勢にみんなが親近感を覚えてくれたのかなって。音楽を始めたのは15歳だけど、Mas Ysaとして曲を作り出したのは30歳頃だったし、人前で初めて歌ったのも26歳だった。ザ・ナイフってバンドを知っている? ヴォーカルの女性の声は、ピッチが途中で低くなったり、少女らしさを演出するために高くなったり、すごく計算されて調整されている。僕も歌い始めてからの最初の5年間ぐらいは声をそういう風にすごく調整していて、自分らしくない歌い方をしていた。自分の声を聴くのが不安だったから、今みたいに自分らしく歌えるようになるのにはとても時間がかかってしまった。Juiceboxというラップのプロジェクトをやっている友人がいるんだけど、ちょうど彼にもこの話をしていたんだ。とりあえずいろんな道具に向かって歌いまくったら、段々体が歌う感覚を覚えてきて、緊張を感じることがあっても慣れで人前でも歌えるようになれる。僕は完璧な音程で歌うことよりも、自己表現のために歌っている気がする。でも、もっと技術を磨きたいと思っているよ。最近オルガンを買ってワクワクしているんだ。今はまだ初歩的なものしか弾けないけど、これから頑張ろうと思っている。もし5年前にギターやキーボードを始めていたら、今頃上手になっていたんだろうなと考えることもある。プロのミュージシャンなのにそういう楽器が苦手だから、練習してもっと上手くなって、もっといろんなことを表現できるようになりたいと思っているし、そうなるのが本当に楽しみなんだ。何の道具がなくてもとんどのことを表現することは可能だと思っている。例えばだけど、無料の曲とミニディスクプレイヤーさえあれば、それだけでもたくさんの表現ができるし。音大時代に完璧さを追求することを叩き込まれたから、昔は失敗を恐れながら緊張した状態で音楽を作っていた。でも、あまり何も知らなくても音楽を作ることは可能だし、ただひたすら感じて、完成させて、熟成させて、また感じて、完成させて、熟成させて——その繰り返しが大事なんだ」


——ちなみにウルグアイからNYに戻ってきたわけですが、NYにはどんな魅力があるんでしょうか。

Mas Ysa「実はダンスカンパニーからコラボレーションの依頼がきたからNYに戻ってきたんだ。12月に4日間、Brooklyn Academy of Musicでダンサーのラショーン・ミッチェルとビデオアーティストのチャールス・アトラスが『Tesseract』というショーをするんだけど、そのための作曲を担当している(https://www.bam.org/dance/2017/tesseract)。もともとはそのショーが終わったら、2月にLAに引っ越すつもりでいたんだけど、このスタジオを見つけてしまったからNYに残ることになりそうだよ。他のアーティストと共用しているからかもしれないけど、こんなにアフォーダブルなスタジオはとても珍しい。冬が大好きなのも理由かな。ブラジルにも長く住んでいたけど、モントリアールでも育ったから寒い場所が好きなんだ。あと家族もこっちにいるしね。正直、僕は理由を探さなきゃNYを好きになれない気がする。でも、これは自分の悪い癖で、本当はもっと冒険心を持って、電車に乗って街中を探検して、コンテポラリーアートに興味を持っているふりでもするべきなのかもしれない。
本当は2013年頃にやっていたように大自然の中で音楽を作っていたい。でもツアーもしていないし、セルフ・リリースしているような状態だから、今はMas Ysaの仕事だけでは生活できないんだ。現実は厳しいし、他の仕事もして稼がなければいけないから、知り合いが多いNYにいるのが無難なのかもしれない。もし大自然に家を持っている知り合いがいたらぜひ知らせて。その家が世界のどこであったとしても、そこに住みに行きたいよ」



——EPを発売したばかりですが、今はとにかくその環境を楽しんでる感じですか。それとももう次の構想があるのでしょうか。



Mas Ysa「リリースした20分後にはもうこのEPのモーメントは終わっていたかな。冬にショーをすることもできたけど、事故のこともあって、今はゆっくり回復しながら自分の人生やキャリアについて考えようと思った。ツアー後に家に帰ると生活が台無しになてつぃまうんだよね。昔もたくさんツアーしていたわけではないし、ここ数年は事故やレーベルとの諸事情であまり活動をしていなかったけど、パフォーマーからレコーディング・アーティストに成長できた気はする。新曲も作っているけど、前みたいに叫びまくる曲は減ったかな。昔は誰もいない自然の中で作曲して、辛い思いを曲にぶつけていたけど、今はたくさんの人がいる忙しい街中で活動をしているからか、曲を通して偉そうに文句を言いたくなくなった。何かを訴える感じの激しい音楽より、贈り物みたいな曲を作ろうと思うようになったんだ。次のリリースがいつかは全くわからないよ。もしかしたら5ヶ月かもしれないし、5年後かもしれないね」


——今は長い旅ができないし、ショーをすることも難しいけど、いつか日本のフジロックという山の中でのフェスティバルにぜひ来てください。


Mas Ysa「行きたい! ありがとう」



Mas Ysa
http://www.masysa.com


photography Diego Garcia
interview & edit Ryoko Kuwahara





——In September, you released your new EP. Congratulations! I checked it out, too.


Yeah, thanks! My EP just came out on September 8th.



——So Lena Dunham who was in the music video also went to the same school. Do you know her from back then?


Yeah, I know Lena from college.


——What kind of student were you like in college?


At college, I feel like you have two different lives. You have the work you make for school and your personal work and I was more dedicated to making my personal music. I was very sneaky about how to marry the two, so that I never had to do something that wasn’t from my heart.


——Can you tell us your best and worst memories from college?


My worst memory from college, I can’t remember because I was probably super gone. I would say that my best memory from college was meeting my friend Michael Beharie, who is on this EP and my other records. I remember the day that we met and the afternoon that we spent together. The first time we ever met, he had a big long ponytail. That started the beginning of a very very important relationship for me.



——I think it’s really nice that you cherish the relationships that you built in college, but are they connections that you consciously put in effort to keep and utilize, or are they maintained organically? Do you think that a lot of artists in NY tend to maintain such strong connections?


I obviously think that relationships in arts communities are very important, but I think that me valuing my connections comes naturally from the type of family I’m from. Both the Ecuadorian and French-Canadian sides of my family are very large and involved in each other’s lives, so I tend to feel and work better when I’m contributing to a group. I definitely moved to NYC to follow people that I knew. I never really had an idea of what NYC’s music or art scenes are like, or knew how the different neighborhoods feel like or mean socioeconomically. I just had friends who were here making stuff and I followed them here and yeah.



——I heard that you had to take a break from music due to an accident. How did that experience affect your EP?



Even now, I often see stars and I wear these glasses because I have troubles with viewing light. Since I have difficulty being on stage now, touring is not very much an option. That helped me be a little more comfortable with small groups of songs that I don’t have to promote like a full record, go on tour, and try to sell a bunch. I think that the car accident gave me freedom to put together sort of punky dirty little things that I wouldn’t have put together if I thought I’d have to play them in a club, you know, because now, I’m not gonna play in a club. And also, I’m sober now. There are references to drinking and drugs in more than half of the songs on the record, and part of that was to get rid of those songs and to stop singing about that. After a while of constant touring and partying, they become the only stories you have to tell. Like what I said earlier about not being able to remember my worst memory from college. I’m sick of thinking about that kind of thing in that way. So, instead of burying the songs, in light of the accident, I sort of wanted to get rid of them.


——Your music has always felt emotional, but I feel like after the accident, it feels even deeper and that also your movements in the music video are so full of life.

I think that because the car accident made it difficult for me to perform, I acquired a lot of time to go recover and just be with my family and my parents in Uruguay. I started writing less for the club. I grew up constantly hearing dance music in Sao Paulo, so that will always continue to influence my music. But before, even though my singing was emotional, my song still had a function to make people dance, especially when performed live. I don’t give a shit about the club anymore. I’m 34 now. The club is the most important community for a lot of people, but I’m not involved in it anymore, so I guess that has opened me up to making music with different tempos and feels. When people reference my music as being emotional, I think that may be because I don’t design my music. I think that electronic music is often equated to graphic design in many ways and it has become a cliche thing for artists to say that they make the kind of music that they want to hear. I used to hate that line and resented the artists who said that. But now, I don’t hate it and I actually think it’s cool because I’ve been able to process a little more of what my fear of that is, and it’s that I can’t do that. I’m not good at designing an experience for other people. I just take something and then I use music to medicate myself emotionally, calm down, and work through things. Then maybe, two years later, I can look back at the song and I’ll know exactly what it was about. But usually, it’s not until way later in life. For the next work, I’m trying to become more of a professional musician in that regard and be able to say “Ooh I want a song that functions this way and does this” and make it. You hear a lot of people say, “Oh I want a song that’s like Britney Spear’s Toxic, but has an Emylou Harris steel guitar in it, and then the kick knocks like Despacito or something” and I’ve never put that on. And for that reason, I think my music is a little more by accident. I think it’s cool and nice that I can look at it and know it’s purely made by me, obviously. But, it’s all been very accidental, and I’d like to maybe get into a place where I’m constructing experiences for other people.



——All of the songs and clips in your release video fit so seamlessly and flowed so well. Who took part in that and how was it accomplished?


I came up with the concept of the execution with my friend Dan Shapiro. We were in an elevator one day, and he asked me what I was gonna do with my self-release. Because it’s 2017, you really need your music on YouTube, and if you don’t put it up, someone else will. As part of my recovery from the accident, I do a lot of SoulCycle. Honestly, one third of my whole mental health and happiness comes from being able to go to SoulCycle. So, I said for the film, I maybe want to take a single shot of me cycling for the whole EP with a VHS camera. He asked, “Oh, that’s a good idea, but what about other scenes?” I do a lot of post-production video editing and audio producing for commercials to make a living in NYC, and well, I hate making advertisements. I think it’s a terrible thing to convince another person that M&Ms are worth eating. So, I knew that if I was going to make a video or film, I wanted it have very few cuts with long still shots. From there, we discussed other scenes, “A man gardening would be cool! And a woman driving. A little kid, that’d be nice! Do you want a parrot? I can get you a parrot!” “I don’t want a parrot, maybe a horse though.” Then, he suggested we shoot it on film. It’s really hard to shoot on film and you have to really commit because you have to get it developed and the focus is difficult. So, shooting on film just made it really serious and focused and made the shoot feel like a very sacred place, with a lot of intention, but, also very simple. That’s what I wanted as somebody who makes art because it makes me learn about myself, feel better and sleep well. My music career’s not particularly successful and I don’t have much monetary return it, so I have to make commercial content I don’t like to pay for stuff, so this film is an antidote to that. It’s anti-content. I’m not selling you anything, and yeah, I’m in it, but I’m only doing something that I do regularly, which is SoulCycle. I’ve been in other videos where I’m yelling on a volcano or whatever, but this time, I only wanted to be in it if I’m doing something I’d actually do naturally. I just wanted still shots of people and didn’t want anyone to be too cool or having more fun than they should. And then, my friend suggested we call Lena since she’s really good on camera and she’s been really supportive of my music for my whole life. Lena and I connected over poetry when we were in college, and she’s incredible. She’s obviously a world-renowned comedian and comic writer and she’s incredibly dramatic as a person. Very heartfelt, incredibly dramatic. And I’m dramatic too, you can hear it in the way I sing and stuff. I’m a big baby . She and I got along in that, so I wanted to get her on film listening to music. It’s a very simple concept. I don’t want to sell or excite too much, and I just want to deal with the integrity of the person in the frame.


——Your voice and singing is so powerful and emotional, but when did you first realize that maybe you have talent?


Super late. First of all, I promise, that I never, even to this day, have had talent in the world of singing. I just maybe have some type of commitment and maybe there’s believability in that. But as far as having talent and ease of it, I don’t have. I realized very late. I started music when I was 15, but I put out first my mas ysa work at around 30. I only started singing in front of people at 26 and it was very very processed. You know how the vocalist of the band The Knife pitches her voice down really low and then does the same process with high to sound like a small girl? I didn’t feel like it was myself then, and it took me like five years of singing to take away processing and be okay with hearing my singing voice. I have a friend who has an amazing project called Juicebox, and he and I were just DMing on Twitter like three days ago about my voice, since he raps. I just gave him advice based on what I had done, which was to just sing really loud and really hard into a bunch of equipment, and your body will get used it. And then eventually, you take all of that away and your body just does it. You might still feel the shame and the fear of hearing yourself, but at least your body is used to it, so then you just put yourself out in front of people Most of the time, I’m not thinking about how I really need to hit a note to make a song happen. I’m just going “Ahh, I really feel this way! Oh my god!!” So, I never feel like I’m singing, and I feel like I’m getting this thing across, which i want to change. I want to get rid of the believability a little bit and bring more craft into it. That’s something that I’m really excited to do now. I just bought this organ and i can play very rudimentary key, and I can write, but I’m not great. And I thought that if, five years ago, I had decided to practice guitar or the keyboard, I could’ve really good by now. And I’m a professional musician who sucks at those instruments. I’m just excited to really get better at music and have more tools to then express things.


——I think our readers will be really inspired and motivated.


Also, to be honest, you can express almost everything you need to with no tools. Like you don’t even need to play an instrument. Because I mean, you could use free tunes and a mini disc player. You could do it. That’s the other thing. Music school taught me to be scared, to think that I needed to get better to then have a worthy voice. You don’t need that at all. You can start right away knowing nothing and just feel it, finish it, let it age, feel it finish it let it age… etc. And I’ve gotten away with so much. But now I want less me and more music in my music



——So you came back to NY, but what in particular made you want to come back?


To be totally honest, I came back because I had a commission for a dance company. I’m collaborating on a show called Tesseract at Brooklyn Academy of Music for four days in December(https://www.bam.org/dance/2017/tesseract), with dancer Rashaun Mitchell and video artist Charles Atlas. They brought me back to compose music and I was originally planning on moving to LA in Februrary, but then, I got this studio. What keeps me here is that this is a very rare studio to have in NYC. It’s affordable because I share it. And I love the winter. I lived in Brazil for a long time, but I grew up in Montreal and I want it to be cold. That’s one reason. And my family’s out here. I have to personally find reasons to love it more. I don’t automatically love it, I truly don’t. But, me not loving it is part of my own habit and failure to imagine because I should just jump on a train, walk around some different neighborhoods, go to some galleries and everything, and try to convince myself that I like contemporary art.So I would a thousand percent prefer to be living in the woods like I did since 2013. But It’s hard to make a living off of Mas Ysa alone, since I’m not touring right now and I’m self-releasing my music because I don’t have a record label.I need to earn a living and NYC is the easiest place to do that, since I have contacts here and I can work on things other than Mas Ysa. But if you know of anyone who has a house in the wood, anywhere in the world, I’d go and live there.


——Your EP was just released, but are you currently still relishing that moment or already focusing on future projects?

The moment of my EP was over twenty minutes after it was released. I had some shows potentially this winter, but because of my accident, I’m taking everything really slow as I get to feel better and also think about what I want to do with my career. This is very cliche and all artists say this, but when you come home from going on tour a bunch, your life sort of feels ruined. I was never the most touring musician ever and I hadn’t done much in the past few years, but like with the car accident and also strange things with my record label, I’ve taken time to be a recording artist versus being a performing artist. I’m writing new songs, but I’m yelling a lot less. I used to over big kick drums, ya know, because I used to write my songs in the woods where no one can hear me. And now, I’m here, where you can hear people go down the hall I can hear people outside. All of that makes me wanna complain less and sing from like a less tortured, less loud, less bossy place and just bring my voice a little bit smaller. Maybe sing more of an offering than an accusation. Maybe my next release will be in five months, or maybe it will be in 5 years.


——I know that right now it’s difficult for you to travel or perform, but would you ever want to perform in Japan?


Maybe. Honestly, I would love to.


——There’s a festival called Fuji Rock that’s held in the middle of nature and I think that sounds perfect for you!


I’ll go ! Thank you !


Mas Ysa
http://www.masysa.com


photography Diego Garcia
interview & edit Ryoko Kuwahara

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