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昭和の雰囲気をそのままに残すアパートで文化に触れる。もろ・ただしの小さな小さな展覧会

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銀座の奥野ビルをご存知だろうか。1932年に建てられ、当時は銀座でも屈指の高級アパートだった奥野ビルは、現在は多くのギャラリーが入ったアートビルとして知られる。かつて「スダ美容室」として使われていた306号室では、現在、意図的な修繕や改修を行わず、維持しつつ活用しようという非営利活動「銀座奥野ビル三〇六号室プロジェクト」が始動(http://306project.web.fc2.com/index.htm)。様々なバックグラウンドを持つメンバーが思い思いの企画を進めている。
その奥野ビル306号室を展示会場とし、11月3日という文化に触れる日に、昭和の漫画家「もろ・ただし」の展覧会が開催。タイムスリップしたかのような会場の空気感とともに作品を楽しむことができる貴重な展覧会だ。


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もろ・ただし
昭和8年 東京都足立区千住生れ。
野田まんがクラブ創設メンバーの一人で、下川凹天(*1)の最晩年の弟子。子どもの頃から「漫画少年」に投稿を行ない、その後もプロを目指して「少年画報」や「譚海」などの漫画雑誌に投稿。中学校では美術部に所属し、もともと絵に興味があったことから漫画を描くようになる。漫画も絵として一枚一枚丁寧に描きたいというのがもろのスタイル。昭和32年頃、本田技研の自転車に付ける補助モーター「カブ」の広告に目を留め、それを漫画にして同社に送ったことがキッカケで「週刊読売」に本田技研のコマーシャル漫画「ホンダ・モータさん」を連載するようになる。その後、学習研究社からの依頼で小学校6年生を主人公にした「6ちゃん」を「学研6年の学習」に連載。1コマや4コマ漫画を得意とするもろは、昭和41年の出版文化国際交流会主催「現代世界漫画展」に下川凹天氏とともに日本代表の一員として出品。昭和49年の自治省(2001年に総務省に統合)・公明選挙連盟が全国から募集した「明るく正しい選挙啓発用まんが」では最優秀賞に選ばれる。
近年では藤原ヒロシ氏主宰fragmentdesignのLINEスタンプやイラストなどを手がける。


(*1) 下川凹天
明治25年沖縄県宮古島生まれ。日本初の職業漫画家とされる北澤楽天の内弟子。昭和12年2月創刊「マンガ王国」創刊者。


もろ・ただしの小さな小さな展覧会
11月3日(金)〜11月5日(日) 10:00-16:00
東京都中央区銀座1-9-8 銀座奥野ビル306号室(スダ美容室)


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