でも食べられません。当然ながら。ケータイの写真フォルダを整理していたら出てきた一枚。消そうかと思いましたが、なんだか消せずに今に至ります。息子たちが通う保育園は毎日給食なので、日常的にお弁当を食べることはありません。だからでしょうか、今年4歳になる長男はお弁当に憧れがあるようです。折に触れ「お弁当作って」と言います。お弁当を作って行ったピクニックなんぞは相当に楽しい記憶として残るようで、「またお弁当持ってピクニックに行こうね」とは、何度も何度も、何度も聞いたフレーズです。
お弁当ぐらいで機嫌がよくなるのならばと、通常のメニューをお弁当箱に詰めて食卓にのせる日もあります。なぜでしょう、これほどまでにお弁当を喜ぶのは。もし毎日お弁当を食べる生活であれば、好きなメニューを入れてもそこまで喜ばないのでしょうか。これは未検証なのでわかりませんが。
周りの男の友達は戦いゴッコにいそしむところ、うちの長男はおままごとが大好きです。そして折り紙でお弁当を作るよう催促されることもしばしば。この日のメニューは写真から憶測するに、おにぎりとサンドイッチ、ぶどう、チーズ、ブロッコリー、ゆで卵、でしょうか。こんな低クオリティの仕上がりでも、長男は喜び勇んで遊んでくれます。
はて、自分が幼い頃はどうだったでしょうか。幼稚園児だったので、平日は毎日母が作るお弁当を食べていました。残念ながら特に記憶に残るメニューはないのですが、母以外の人が作るお弁当が苦手でした。おにぎりなんてもってのほか。おにぎりは人が作ると、「ごはんを結ぶ=気持ちを結ぶ」から、おにぎりではなく、おむすび。そんなことも言われるぐらいですから、家族以外の人のぬくもりが受け入れがたかったように思います。仲良しの友達のお母さんでさえも、その人の手作りごはんは食べたくなかった、そんな記憶だけがなぜか残っているから不思議です。
強烈に覚えていることがひとつ。あるとき不意にお弁当箱をひっくり返してしまい、お弁当を台無しにしてしまった私に、みんながおかずを少しずつおすそ分けしてくれました。親切心ゆえの行動で、ありがたいことこの上ないはずなのに、当の本人は嫌で嫌で仕方なく、結局は食べたかどうか。とにかく食べたくなかった、それだけが濃く、深く脳に記憶されています。そして翌日、きちんと母が作ったお弁当が食べられた時の安堵も次いで覚えています。
あぁ、やっぱり私にとってのお弁当は母が作る味なんでしょうね。だから市販のお弁当を買って食べたいと思わないんだ。あぁ、母が作るごはんが食べたいなぁ。このあっつい最中、妙にセンチメタルな気分に浸る妙な私。
まぁいいや、とにもかくにも近々母に会いに行こう。