NeoL

開く
text by Meisa Fujishiro
photo by Meisa Fujishiro

藤代冥砂 小説「はじまりの痕」 
最終回 #54 さあ生きよう




港区のオフィス街にあるその交差点には、1階にコンビニエンスストアが入っている5階建てのビルが立っている。
そのビルの屋上には標準的なサイズのビルボードが設置されていて交差点を見下ろしているが、ここ数年間は広告主が現れることなく、白地のまま、あたかも放置された空中の空き地のような感じだった。
その存在に気づいている人は交差点を渡る人の1割にも満たなかった。
気を取られて見上げるには、ちょっと角度が急過ぎたし、天気模様を見ていたり、何か考え事をしている人が虚空を見上げたというようなタイミングでない限り、その白地のビルボードと地上を行く人々との接点は乏しかった。
もしかしたら、その立地から広告効果を疑う人々の方が多かったかもしれない。距離を取って引いて見るにはその交差点は小さすぎたし、目の前を高架式高速道が横切るわけでもく、人々と目の合わないビルボードは、失脚した権力者のように、ただ虚しく建物の上部で幽閉された余生を送っているかのようだった。
そのビルボードはいつだって絶えることなく、白地を世界に晒していた。
梅雨の朝日が当たる時も、夏の青空に白い入道雲が映える時も、閑散としたオフィス街を見下ろす冬の冷えた夜更けにも、いつも変わらぬブランクとして、この世界から別の世界へ続く穴の入り口のように、違和感を残していた。


そして2023年の夏が来て、記録的な猛暑日が続く東京が迎えた8月1日、そのビルボードにようやく広告が入った。実に2年3ヶ月ぶりであった。
だが、一見しただけではそれは広告に見えなかった。白地にあるのは黒い文字で、「さあ、生きよう」と書いてあるだけだった。区分的には、意見広告というようなものだろうか。かつて「WAR IS OVER if you want it」とだけ書かれたビルボードが存在したが、なんというか、あのような洗練された表現の強さはなく、ただ誰かの独り言が、スマホのメモから漏れて、何かの間違いであのビルボードになってしまったかのようだった。
そして、当然のように、その広告のような言葉に気づく人はほとんどいなかった。啓示の言葉を伝えようとする神のもどかしさ。そこにメッセージはあるのに、それを受け取る者が不在である時、きっと神はそんな気持ちになったのではないだろうか。


ヤマモト、と同僚に呼ばれているその男は、最初にその文字に気づいた者だった。店舗デザインの小さな会社の代表を務めるヤマモトは、その地位にふさわしくない呼び捨てというものに違和感を得ていなかった。
なぜなら、社員のほとんどが同期というか会社創立メンバーであり、年齢もほぼ一緒だった。中学校の生徒会長がなんとなく押し上げられて決まるような感じで、ヤマモトは生真面目さと連絡を怠らない性格を買われて、ひとまずオマエがやれよ、となったのであった。
ヤマモトは、空を見上げる頻度が高い男であった。
そのことについて、おそらくヤマモトは気づいていない。ポジティブな姿勢を意識しているわけでなく、ただ子供の時から空を見上げがちなのだった。そのおかげか、姿勢をよく褒められる男だった。そんなつもりはなくとも、「いつも颯爽と歩いている」と人に言われた。そして、それ自体は決して悪いことではない。ヤマモトは、子供の頃からずっと空を見上げがちに生きてきたし、これからもきっとそうだろう。交差点でスマホを見る時でさえ、アングロサクソン系のように胸を張っているのであった。





ヤマモトは、その交差点を見下ろすビルボードに文字が入ったことに、驚いた。心の中で密かに白地の領域が気に入っていたことに、文字を見てヤマモトは初めて気付かされた。
全ての空間を何某かの利権と利潤が埋めていく都会のなかで、その白地の看板は精神の余白のような効果をヤマモトに与えていたことを彼は知ったのだ。
なにが「さあ、生きよう」だ。珍しくヤマモトの心が乱れた。神聖な領域に落書きをされたかのような憤りは、そんなに大きくはないのだが、それでもそれは確固とした憤りであった。
歩行者信号が青になり、周囲が動き始めるのをよそに、ヤマモトはしばしビルボードを見上げたまま対峙した。それは5秒に満たない間であったが、凝視する時間としては短くはない。そしてたわいもなく、「僕が再びあの看板を白く塗りつぶしてみたい」と考えた。おそらく金額的には可能だろう。ただ社員たちは反対するだろう。広告効果もなく、ただお金を払ってビルボードを塗りつぶすのを認めるほど、彼らは能天気ではない。ならば、自費か、とまでヤマモトは考えつつ、交差点の信号が変わらないうちに反対側へと渡った。
それから数日間、ヤマモトは人知れず、「さあ、生きよう」を塗りつぶす計画を立て続けたが、次第にその気持ちは萎えていった。そもそも慣れ親しんだ白地が突然勝手に文字を入れられたことに対する憤りが発端であった。憤りというのは次第に消えていくものである以上、塗りつぶすというアイデアがいかに子供じみていたかを知り、恥じらいさえ感じる結末であった。
さらに数日が過ぎると、ヤマモトは「さあ、生きよう」に慣れた。そうなってしまえば、
そのメッセージも悪くないと思えてきた。出社時に見上げれば、「さあ、生きよう」に背中を押され、仕事を頑張ろうと思えたし、退社後の見上げれば、「そうだ、しっかり前向きに生きよう、お疲れ様、自分」などと柄にもなく若い気分になれるのだった。

8月の中頃になると、交差点で見上げては、心の中で「さあ、生きよう」と唱える自分にヤマモトは気づいた。そうだ、この繰り返しなんだよな、人生は。いつも誰かを励まして、励まされて、そうやって生きていくんだよな。ヤマモトはすでにビルボードの影響下にいた。そして、それがあの広告の狙いだとしたら、なんと太っ腹なクライアントなのだろうと感心した。広告は、大きな枠で言えば、経済を中心に世界を循環させることだろう。自社製品を広告することがミクロだとしたら、利他を初めから心がける広告は、人の心を豊かにすることで、マクロに何かを循環させようとしているともいえる。これは、ちょっとした慈善活動だな、とヤマモトは納得した。
盆休み明けの朝、ヤマモトがその交差点を渡っていると、周囲の動きに同調せずに、ビルボードを見上げたまま立ち止まっている女性を見つけた。ヤマモトには彼女の心中をだいたい察することができた。自分のように白地の頃からのファンではないだろうが、明らかに「さあ、生きよう」に何かを奪われている様子だった。ヤマモトは一歩一歩近づきながら、その女性に声をかけようかと迷い始めていた。

 



ヤマモト、と同僚に呼ばれているその女は、なぜか女性社員で唯一呼び捨てにされていた。子供の頃からなぜかヤマモトと呼ばれ続け、桜子とは呼ばれたことがなかった。なぜサクラコって呼んでくれないのだろう?と本気で母親に相談したこともあった。だが、進級進学しても、彼女はずっとヤマモトと呼ばれ続けた。
大学生になると、逆にヤマモトと呼ばれることが楽しくなり、呼ぶ方も、ヤマモトと口にするのが楽しそうだったので、今ではそのことは問題ない。先輩後輩、男女問わず、誰からもヤマモトと呼ばれていた。
入社の挨拶でも、「ヤマモトって呼んでください」とわざわざ言ったものだから、社員の誰からも、社長ですらヤマモトと呼んでいた。
そんなヤマモトは、生まれて初めて通りかかった交差点の上にあるビルボードにその言葉を見つけて驚いた。思わずスマホで撮影すると、しばらく眺めていた。
WEBのデザインをしているヤマモトは、まずそのフォントが気になった。明朝体の手書きのオリジナルであることは遠くからも分かった。昭和の看板にあるような、マスターが手書きした喫茶店の風合いであった。
ヤマモトは次に、そのメッセージについて考えさせられた。なんというかポジティブなんだろうけど、ずいぶんと雑で、言ってしまえば、当てずっぽうな感じがした。
たまにデザインだけでなく、コンセプトから関わることもあるが、そういう時にクライアントから質問されて困るのが、「これってどういう意味ですか?」という類である。
自分では自明のことと思っていた感覚的なものが、相手にとっては意味不明だったりすることがよくある。ヤマモトは、常に自分の発するものが説明可能かどうかと自問する癖がついているので、あやふやな、なんとなく心地よい言葉やビジュアルが、いかに何も
伝えられないかを知っているので、「さあ、生きよう」に対しても直感的に憤りを感じた。
随分と高いところから、啓示のようなメッセージを垂れ流して、いったいどんなつもりだろうと。どうせどっかのじいさんCDが有無を言わせず通した案件だろうと察した。
だが、同時に最近上司に言われたことも思い出していた。「なんでも最初から決めつけるな」
ヤマモトは交差点で渡りもせずに立つ尽くしている自分が、周囲に怪訝に思われているのも気にせずに、「さあ、生きよう」を肯定的に見てみようと気を取り直していた。
一応広告なのだから、不特定多数へ告知しているのだろう。さあ、というのは呼びかけだ。生きようというのは、誘いなのだろうか。死なずに生きよう。死んでいるようにではなく、生き生きとしよう、という感じなのだろうか。いずれにしても私の心には響かないな、とヤマモトは思った。そして、やはりこれは雑ではないか、当てずっぽうではないかという結論に還ってくるのだった。
まあ、私が未熟なのかもな。ヤマモトはそういうことにして、いったん視線を看板から外した。すでに歩行者信号は赤になろうとしている。走って渡れば渡りきれないこともないが、次を待とうと思った瞬間に、こちらを真っ直ぐに見つめながら歩いてくる男と目があった。
「あの、すみません、」
その男は、落ち着き払っていて、もしかして知っている人かもと女のヤマモトは思った。取引先だろうか。
男のヤマモトは、声をかけた途端に微笑んだその女の態度に少しだけ動揺した。あれ、なんで微笑むのだろう。もしかして、同じ看板に惹かれた者どうしの何かがあるのか。
男と女は、長い無言の3秒を向かい合ったまま過ごした。男の背後には交差点を曲がる車のエンジンとタイヤの音が響く。
「あ、すみません、人違いだったようです。失礼しました」
男がそう言うと、女は黙って頷いた。
男は、その場から一刻も早く離れたいかのようにそそくさと去り、残された女は歩行者信号を見つめた。
男のヤマモトは交差点からじゅうぶん離れると、一度だけ振り返ろうとしたが、自分を諌めた。
女のヤマモトは、よく言えば有村架純に似ていると3度くらい言われたことを思い出し、さっきの男が見間違えた人も有村架純に似ているのかなと考えていた。
信号が青になると、有村架純に似ているかもしれないヤマモトは、周囲のペースに合わせて進み、一度だけ、そして一生で最後になる一瞥をあの看板に投げかけた。
さあ、生きよう。
心の中で唱えると、その響きは悪くないんだなと女のヤマモトは知った。読む時、声に出す時、言葉は変わるのだなと、改めてヤマモトは学んだ。


この小さな物語を書いている小説家は、男のヤマモトが女のヤマモトに対してビルボードのことについて話す展開を持っていた。切り出したら2人の関係は変わっていたかもしれない。いや、間違いなくその先のストーリーがあった、ただ、男は女に切り出せなかった。男のヤマモトは、彼の歩みの先へと消えていき、女のヤマモトは彼女の行き先に向かい、2人は2度と会うことはない。小説家も2人に会うことはない。


さあ、生きよう。
私たち3人は、この言葉をしばし胸に置いて生きていく。
すぐに消えてしまうから、少なくともそれまでは。


いずれにしても、さあ、生きよう。







藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある。


#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ
#40 カシガリ山 前編
#40 カシガリ山 後編
#41 すずへの旅
#42 イッセイミヤケ
#43 浮遊する僕らは
#44 バターナイフは見つからない
#45 ブエノスアイレスのディエゴは
#46 ホワイトエア
#47 沼の深さ
#48 ガレットの前後
#49 アメリカの床
#50 僕らはTシャツを捨てれない
#51 客観的なベッド
#52 ひまわり
#53 南極の石

RELATED

LATEST

Load more

TOPICS