「会いに行けるアイドル」「SNSでつながれるアイドル」が増えた今でも、アイドルはずっと遠くの存在だと認識すべきだと思う。たとえ地方のイオンのイベント広場の、ちょっとした即席ステージに立っていたとしても、ファンにとってはその数センチのステージの高さはエベレストに匹敵するはずだ。それは心理的な距離感ということもちろん、神聖視すべき信仰の対象であるという意味でも。人々の畏敬を集め、インスピレーションを与える芸術の源泉。自分の心を支えてくれるよりどころ。アイドルはさまざまな側面を持つ“神様”のような存在であり、私たちの生活圏とは遠く離れたところからでも、希望の光を与えてくれている。遠くといえども、信心すればいつでもアイドルたちは私たちのまぶたの裏に現れてくれるのだからありがたい。どうやら祈りや信仰心に物理的な距離は影響しないらしい。私は遠くから両手を合わせて、エベレスト登頂を祈願する。「今日も推しと私がなんとか日々をサヴァイブできますように」。
でも、当たり前だがアイドルは神ではない。あくまで職業であり、そこにいるのは私たちと同じ生身の人間にほかならない。そして近年、パニック障害であることを公表し、精神的不調のケアを目的とした治療のために活動を休止するアイドルが国内外を問わず増えてきている。アイドルにかかる負担が、もし私たちのせいだったとしたら……。それはとても申し訳な無い気持ちになってくる。病名の公表はとても勇気のいることでもあるし、休養というのも大きな決断だと思う。でも、仕事に関しても健康を優先して柔軟に対応するように世の中が変わってきていることはいいことだと思う。苦しいときは苦しいといい、治療するというプロセスを示してくれることも、また誰かの希望になりうることだ。
だとしても、大好きなステージに立てなくなる病気になってしまうのは、アイドルにとってどんなにつらいことだろう。「本番◯分前!」の言葉を聞くだけで発作が起きたり、仕事場に向かうだけで不安に襲われ、外に出るだけで怖くなってしまうこともあるという。動悸や呼吸困難、吐き気、手足の震え……それらが起こるのは自身の心の弱さのせいだと責めることで余計に自分を傷つけてしまう人もいるかもしれない。
私の知る限り、人気絶頂時の現役アイドルが心の病*を自身の言葉で語ったのはKinki Kidsの堂本剛が最初ではないかと思う。堂本剛が過呼吸症候群・パニック障害を正式に公表したのは、今から20年も前の2003年。しかし、実はそれより前にすでにエッセイで綴っていた。それはアイドル誌『MYOJO』で1999年から6年間連載された堂本剛のエッセイ「ぼくの靴音」の中で記されている。アイドルが心を揺らしながら夢を追い、ときに残酷な現実に苦しむ姿が書かれている本書は、アイドル研究の貴重な資料になりうる名著として読みつがれるべきだと思う。若さゆえのセンチメンタルな物言いや表現で、不器用に、でも勇敢に毎日をサヴァイブする内容は読み返すたびにぐっときてしまう。私は芸能人が自身のことを書き記した(ゴーストライターの場合もあるが)、いわゆる「タレント本」と呼ばれるジャンルが好きでよく読み漁ってきた。そのなかでもこのエッセイを書籍化した堂本剛著『ぼくの靴音』(絶版)の良さは群を抜いているので今回ぜひ紹介したい。
まず連載1回目から、自身が「超が付くネガティブな動物」であり、「自分の意見をあまり云わず、他人の意見に不満を持っても、特に“触らず”な性格」で「ストレスなどという眼に見えない荷物が、知らぬ間に心の中に蓄積しやすいのだと発見しました」との自己分析が綴られている。いつもテレビでみる明るい姿の裏にある、繊細な表情。病気を知っている今でこそ理解できるが、人気絶頂の当時は気づけなかった人も多いと思う。堂本剛が精神的な不調を覚えたのは、家族と離れ奈良から上京した15歳の頃からだった(もちろん当時はパニック障害という言葉もメジャーではなく認知度もなかった)。Kinki Kindsの二人は17歳でデビューしているが、その前から二人はすでにドラマの主演を張るほどの人気者だった。『金田一少年の事件簿』での明るくおちゃらけた金田一一(はじめ)役は有名だけど、ほかにも『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』や『若葉のころ』など、影のある役も多く演じていた。10代の繊細な心の機微を表現させたら当時右に出るものはいなかったと思う。だからだろうか、すごく感受性が豊かなんだろうなとのんきに思っていた。
私はそれらのドラマが大好きで夢中で観ていた。感受性が豊かであるということは傷つきやすいということでもあるのに、当時の私は出演者本人のメンタルや健康のことなんて考えたこともない、いち視聴者だった。働き方改革なんて言葉のなかった当時のテレビ業界の激務は今の比ではないはず。忙しければ忙しいほど売れっ子の証で、寝る暇もなかったというエピソードもよく聞く。休みたいといえる空気ではなかっただろう。一度弱さを見せれば「甘えている」と落語者の烙印を押されて干されてしまう。まだ10代の子どもだった彼に、必要なケアはもちろん与えられることはなかった。仕事がセーブされないままで治療する時間もなく、心を壊しながらずっと仕事していたと思うと、心が苦しくなる。正直、テレビを通してみていた歌番組やバラエティでの印象では、関西人たる明るいキャラクターでいてくれていた記憶しかない。一体どんな心で、私たちの前に立ってくれていたのだろう。
エッセイ内では「自分の人生を生きよう」という回に病気の詳細が書かれている。駅など特定の場所で強い恐怖や不安を感じてしまう人の話を聞いた堂本剛が、それは心の病であり、自分自身も悩まされていたと文章で告白している。
人によって、様々な症状が現れるらしい。例えば、人混みに入るのが嫌。電車が嫌。高速道路が嫌、飛行機が嫌。部屋の電気を消せない。人の優しさに腹が立つくせに、独りは寂しい。涙が勝手に流れる。体温調整が出来ない。眩暈。手足の震え…。中でも厄介なのは、不安と恐怖、そして呼吸困難だろう。一体何が不安なのか、恐怖なのか、解らない事も多く、ただ不安なだけ、ただ怖いだけ。密閉された場所や人混みでは、それに呼吸困難が加わり…。こんな事が、いきなり前触れもなく起こったとしたら、それはもう、誰だって苦しいに決まっている。ただ、この病気は現実に存在する。
(中略)
こういった心の病は増えているらしいが、まだ認知されてるとは云えない。だからなかなか相談出来ないし、理解して貰えないし、独り悩んでいるというケースが多い。周囲の人も戸惑うばかり。でも、もっともっと知識が広がれば、恐れる事なく病気と闘えるんじゃないか。僕は思う。原因は、主にストレスだと云われているが、人間だって、壊れる事があるんだ。機械が壊れるのと同じように、人間だってたまにガタが来る。それも人間の当たり前の姿。
まだパニック障害に理解のなかった時代に、現役アイドルが、人間として自身の病気のことを語っている……。しかも治療もされない中、自分を励まし奮い立たせる言葉を書き連ねることで、なんとかふんばろうとしている。これは同じ病気に苦しむ人たちを励ますメッセージでもあり、世間に理解を求める言葉でもあった。エッセイには松潤から電話がかかってきたとか、出演ドラマの裏話とか、ファン垂涎のエピソードも多く登場するのだけど、それ以上に自身の胸の内を赤裸々に吐露した内容が多い。アイドルという偶像がたくさん掲載されるアイドル雑誌の連載として、この内容が書かれたことの意義はとても大きいと思う。消費する対象であるアイドルが、自身が生きる上で抱える傷をむき出しに見せてきているのだから。
堂本剛は現在、パニック障害を患っていた10代の日々を「生きる希望とか意味が理解できなくなった、切ない時期」と振り返っている。きっと死という言葉に近づいてしまったことが何度もあっただろう(実際に自死を選んだアイドルもいることを忘れてはいけない)。あんなに輝いていた人が、「死にたいと思って生きてきた」なんて、本人の語りがなければ気づけなかった。ある対談番組では、「何かこう心の底から人さまの前に立って、何かを表現するというお仕事に就きたいと思ってなかったんです」「そのあとは本当にみなさんに求めていただく自分をまっとうするということが、自分のお勤めだと思って生きていくんですが」と、もともと前に出る性格ではなかったことと、アイドルとしての虚像と“本当の自分”のギャップに悩みながらもファンのために活動していたことを語っていた。私たちは他人に対して、とくにテレビスターやアイドルに対して「あなたにはこういう人間であってほしいんです」「こういう人ですよね」という像を押し付けてしまう。それはきっと本人にとっては自分のほんとうの姿とはかけ離れたものであることも多く、相手の理想も含めた勝手な想像としての、決めつけられた自分の像に苦しめられるアイドルはきっとたくさんいる。今でこそアイドル自身が自分の言葉をSNS等で発信できる環境もあるが、それを許されていないアイドルも多いのも事実。だからこそ私たちは、無理に理想を押し付けることなく、相手のそのままを受け入れることを前提として推し活をすべきなのだろう。堂本剛の告白から20年がたった今、働き方が変わるなかでアイドルが置かれる環境は多少はよくなっているのではないかと期待はしたくなる。でも、「アイドル戦国時代」などと呼ばれ、YouTubeや各SNS発信用の撮影が“仕事”として追加されている今のアイドルの方が、実は労働環境はもっとやばいのかもしれない。
昨年発売した、鈴木みのり・和田彩花両氏による特集編集である『エトセトラ VOL.8』は、アイドルを含めたいろいろな人たちが心身ともに健やかでいられるための願いが込められた特集号だった。アイドルから希望や喜びを一方的に得ているだけでは、もはやいけない。アイドルの抱える傷をしっかりと想像できるよう、私たちはアイドルの表象や過剰な労働、消費についても考えていくべきなのだろう。
*パニック障害は「心の病」と思われていたが、最近では脳の働きが一時的に乱れることで起こる「脳機能障害」という認識が一般的になってきている。気のもちようや根性で治るものではもちろんない
引用:堂本剛著『ぼくの靴音』(絶版)
※引用部分を太字にしています
鈴木みのり・和田彩花特別編集『エトセトラ VOL.8 特集:アイドル、労働、リップ』
(エトセトラブックス)
https://etcbooks.co.jp/book/etcvol8/
https://etcbookshop.stores.jp/items/6377624f4ff8c2786df9359d
綿貫大介/Daisuke Watanuki
編集者。2016年に編集長としてインディペンデントカルチャーマガジン『EMOTIONAL LOVE』を創刊。近著に『もう一度、春の交差点で出会う』『ボクたちのドラマシリーズ』。そのほか安易な共感に頼らないものを精力的に制作している。
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