暑い日々が続いていると、精神が蒸し、心が過剰に熱を帯び、そして、人間が内面と呼ぶ元々不安定な塊が、雪崩を起こして、人生の夕刻を告げるかのようだ。
特に今年の夏は暑い。いや、去年も暑かったのではないだろうか?忘れてしまったが一昨年だって暑かったに違いない。私たちは、今年を特別扱いする傾向にあるが、人生の短い尺で起こり得ることなど、実際はどうってことのない変化の繋がりなのだろう。
人生とは、熱中するばかりを求める白いキャンバスではない。ぬぼうっと無駄に費やして、ああそうでしたか、と終焉を迎えて火葬されるのも、ありなのである。
高田という男と、小柳という女は、付き合って12年になるが、結婚制度に付き合うつもりもなく、ぬべーっと締まりのない関係を勤しんでいる。締まりのない関係というのは、普遍性を香らせることも実は多く、起承転結という呪縛の対岸にある小さなビー玉ほどの輝きと価値を満たす瞬間が時々確実に起こり、それを享受する受け皿さえあれば、どうにかやりくりできるのだ。
高田の名は、信彦という。出てこいやー、と同じなのは言うまでもないが、もはやこの説明だけで通じるほど世の中は止まっていないことは言うまでもない。
小柳の名はルミ子という。瀬戸内海を船で渡る花嫁を、その名から連想する齢人は、人生の終着点の尻尾がそろそろ見え始めている年頃ではないだろうか。
人の名というのは、不思議なもので、ありとあらゆるものがそうであるように、存在の一つ一つにには名前など本来ない。しかし、無いとなると識別上困るから、名を借りているだけであって、そして、困るのは、確実に言語の牢獄に閉じ込められている人類だけなのだ。カタツムリは、目の前のいる犬の名前など知る必要がないし、犬という分類名すらも、どうでもいいのだ。目の前の毛むくじゃらの生物、ぐらいで十分だ。
高田信彦と、小柳ルミ子は、ある時、一緒に旅に出た。
いや、一緒というのとは違って、これはディテールになるのだが、正確には静岡県の浜松駅で合流したのだ。
高田信彦は、仕事の用事で浜松に出張に来ており、ちょうどそれが金曜日のことだったので、そのまま浜松に延泊して、グラデで週末の休暇を楽しもうと考えた。そこに小柳ルミ子が品川から新幹線に乗って合流したのだ。
現実派の2人は、宿泊に中途半端な予算を与えず、駅前のアパホテルに1泊した。もともと狭い部屋を承知で選んだのだが、とってつけたような名物に思える浜松餃子を食べてビールを2人で1瓶飲んだ後では、もはや浜松の夜にすることもなくなり、とはいえ、長い間連れ添っているので、狭いビジネスホテルの部屋で男女の営みを遂行する健気さも2人にはなく、クッションの緩いベッドに2人で仰向けに寝そべって、ミラーリングでテレビモニターに映した動画をなんとなく眺めつつ睡魔に包まれる、そんな夜だった。
小柳が、浜松までやって来たのかについては、少々説明がいる。わざわざ往復の新幹線代をかけて来るからには、相応の目的があった。それは広瀬すずの故郷深訪であった。
高田と小柳は、12年も結婚制度に同意しないまま連れ添っているのだが、夫婦が顔つきや動作、そして声まで似てくると言われるように、彼ら2人の趣味はかなりクロスオーバーしていて、芸能人にはほとんど興味がないのに、なぜか2人とも広瀬すずのファンなのであった。そして、実現可能な現実的な夢のひとつとして2人が抱いていたのが、広瀬すずの故郷深訪なのであった。
2人はファンクラブにこそ入会していなかったが、心から広瀬すずを応援していた。とはいっても、彼女の主演作を全て視聴済みというわけでも、SNSなどをフォローしているわけでもなく、ただ遠くから胸の前で手を合わせて応援しているような姿を取っていた。それはイエス・キリストやブッダの像をペンダントにしている様子に近く、そう、ちょっとしたライトな信仰といっても良かった。応援というよりも、崇めているといった方がしっくりくるのであった。
そして信仰のきっかけというのは、人それぞれであるように、曖昧で、ただ雷に撃たれたかのような衝撃だけは、まさに信仰の入り口にしかない種類のもので、「海街ダイアリー」という映画を機内で観たのが、まさに始まりであった。
小柳は、まず広瀬すずの声が素敵だと口にした。高田は、俺もそのことを言おうとしていたところだ、と添えた。高田が次に、眼差しが好きだと言うと、わたしもまさに今そのことを考えていた、と小柳が商店街クラスのくじに当たったような顔をして言った。
共通の趣味というのは、どんな人間関係をも潤沢にしてくれるという法則の通りに、高田と小柳の関係が油切れでスカスカして、骨が当たって痛いぞという感じの苦痛を軋ませる時には、広瀬すずを思い出すことで、解消された。
そんな2人の大好きな広瀬すずは、静岡県清水市出身である。高田と小柳にとっては、清水市はそのエリア全体が聖地だと言ってよかった。
今回の高田小柳浜松集合の目的は、何を差し置いても、広瀬すず揺籃の地を訪れることだった。
ならば、そもそも清水集合でもよかったのだが、巡礼というのはその旅路が長ければ長いほど清らかなものだと古今東西できまっている。清水の駅でひょいと降車して、レンタル自転車やタクシーで巡ろうものなら、それはもはや巡礼でななくて、ただの観光となってしまうのだ。だからこそ、高田と小柳は、清水から以西の浜松で集合を計画したのだった。
さて、アパホテルで一泊後の翌朝、2人はいそいそとレンタカーに少ない荷物と一緒に乗り込んだ。目的地は、広瀬すずの出身中学校である。
果たしてネットから拾った情報の真偽はともかく、2人は出身中学の名前をナビに入力して、ガイド音声量を慎重に調整してから、ホテルの駐車場を出発した。時は、午前9時。事を始めるには、うってつけの時間だと、小柳は内心でつぶやいた。高田は、かつて広瀬すずが通ったかもしれない道に、自分の足跡が重なるであろう近未来を想像して、胸が高鳴るのを自覚した。こんなふうに感じるのは、いつ以来だろう?もしかしたら、高校の修学旅行以来かもしれない、などと内心で自問した。
レンタカーの車種はホンダのフィットで、色はホワイト。凡庸な選択であったが、れナンバーらしくて、いいじゃないか、と高田は満足していた。本当は軽自動車が良かったのだが、あいにく出払っていて、コンパクトカーの選択となったわけだが、高田も小柳も、ホンダカーが実は大好きで、理由は特にないのだが、強いて言えば、判官贔屓な2人の性分がそうさせているのかもしれない。
信彦とルミ子は、国道1号線の上り車線を東へと向かい続けた。途中、コンビニに立ち寄ってアイスコーヒーを買った。
「この道を、すずちゃんも移動したことがあるのかなあ」
ルミ子は、芝居がかった声でそう呟き、視線を左斜め30度へと馳せた。
「うん、おそらく、ね」
信彦も、芝居がかった声でそう呟いた。車のコマーシャルで見せる木村拓哉を信彦は意識していた。
旅というのは日常の中の非日常である。その時ばかりのキャラクターを自演するのも、馬鹿馬鹿しいが、楽しみのひとつである。
「おそらく、この国道1号線というのは、まあ、東海道だよね。大動脈だよね。静岡県民なら、使用頻度が高いはずだし、今こうした走っているまんまの道を、少女時代のすずちゃんが、親の車の後部座席に揺られていたとしても、なんら、なんら、不思議ではないし、むしろ、その確率は非常に高いといえる。」
信彦が、昂りを抑えつつ、低めのトーンでそう言うのを、ルミ子は小さく何度も頷いて応えた。
「数字で言えば、何%くらいかな?」
ルミ子は、信彦の静かな興奮を後押しするように、そう付け加えた。
「まあ、円周率は固いね」
信彦は、小さく呟いて、微かなため息をついた。
浜松から清水までの道中で、信彦とルミ子の間で、ちょっとした議論が交わされた。ランチどうする問題である。
2人の統一意見としては、場所は「さわやか」で決まっていた。静岡県民なら誰もが知っているレストランで、げんこつハンバーグがダントツ人気の名店であり、その名は県外にまで轟いていたのだが、オーナーの意向で、静岡県内だけに出店が限定されているのであった。奇特な店である。
静岡県内には結構な数のさわやかがあり、昨夜宿泊した浜松にももちろんあったのだが、広瀬すずの中学校最寄りの店で食べるのが、ひとつの巡礼でもあったので、我慢していたのだ。
問題は、広瀬すずの中学校見学の後にするか先にするか、である。
ルミ子の言い分はこうであった。食後は眠くなる。眠くなると、見学を十分に満喫できない。よって見学後が最適であろう、とするものだった。
信彦の意見は、こうであった。一言で済ますなら、腹が減っては戦はできぬ。
このような、どうでもいい問題すら、旅では立派なテーマになり得る。結局、このランチどうする問題は、意外な外部強制力によってコントロールされてしまうことになった。2人の想像以上にさわやかは人気店であったのと、週末の混雑が重なって、店に出向いて受け取った整理券によると、入店可能時間は、約2時間後になるらしかった。
仕方なく、最初に中学校見学に出向いた。
見学といっても、校内を用務員さんが案内してくれるわけもなく、ただ外観をぐるりと眺めるだけである。もちろん不審者に思われないように、注意しなくてはいけないから、必要以上に時間を費やすのも避けるべきだと、2人は打ち合わせしていた。
ここでは、当然学校名を伏せるが、清水市立のとある中学校に辿り着いた時の2人の感動については、語るまでもないだろう。
2人は地元民を装って、ただの散歩をしている夫婦のような雰囲気を打ち合わせ通りに繕いつつ、歩いた。手にはリードはなかったが、まるで犬の散歩をしているような様子で。
幸運なことに、土曜日で学校は休みだった。通報するような職員も生徒も不在であった。それでも2人は注意を怠らず、目立たないように学校のフェンス沿いを、まずは一周した。だが、それでは飽き足らず、もう一周、さらにもう一周、そんなことをしているうちに実に10周もしてしまった。
体育館前では、ああここですずちゃんはバスケをしたに違いない、プール前では、ああここの水面ですずちゃんは夏を感じたに違いない、校庭を眺めては、すずちゃんに恋した男子はこんな風に遠くから校庭を走るすずちゃんを眺めたに違いない、校舎の窓辺を見ては、あの窓からすずちゃんも悩みを晴らそうと空を見つめたに違いない、などとひそひそ声で呟き合った。
校門の前では特に時間を費やして前後左右に足踏みをずらしながら、ルミ子は「ここは絶対すずちゃん通ったはずだから、ほら、こうして足踏みを散らせば、時間を超えて、すずちゃんと同じ場所に立てたことになる。」などと、この時ばかりは声を少し大にして言った。その後は、周辺の住宅地を散歩した。あの家かな?まさか!などと口にしながら。
しかし、冷静になって言うならば、広瀬すずという人は、この校門をくぐったことは一度もない。広瀬すずというのは芸名で、実存と虚構の間に存在している。
もし、広瀬すずという名前が、この世から消えて、その女性の本名すら消えてしまったら、つまり人名が消失した世界では、信彦とルミ子は、何をつっかい棒としてこの地に来たのだろう。
世界を構成する無数無量の存在それぞれには名前など本来無い。さわやかというレストラン名すらない。げんこつハンバーグという品名もない。あるのは多くの素材で固められ起立した構造物であり、某生物の死肉をこねた物体である。ホンダもアパホテルも浜松餃子もない。
概念。僕らの不自由と自由は、ここを延々と周回する。永遠に。
#1 裏の森
#2 漱石の怒り
#3 娘との約束
#4 裸を撮られる時に、百合は
#5 モルディブの泡
#6 WALKER
#7 あの日のジャブ
#8 夏休みよ永遠に
#9 ノーリプライ
#10 19, 17
#11 S池の恋人
#12 歩け歩けおじさん
#13 セルフビルド
#14 瀬戸の時間
#15 コロナウイルスと祈り
#16 コロナウイルスと祈り2
#17 ブロメリア
#18 サガリバナ
#19 武蔵関から上石神井へ
#20 岩波文庫と彼女
#21 大輔のホットドッグ
#22 北で手を振る人たち
#23 マスク越しの恋
#24 南極の石 日本の空
#25 縄文の初恋
#26 志織のキャップ
#27 岸を旅する人
#28 うなぎと蕎麦
#29 その部分の皮膚
#30 ZEN-は黒いのか
#31 ブラジリアン柔術
#32 貴様も猫である
#33 君の終わりのはじまり
#34 love is not tourism
#35 モンゴルペルシアネイティブアメリカン
#36 お金が増えるとしたら
#37 0歳の恋人20歳の声
#38 音なき世界
#39 イエローサーブ
#39 カシガリ山 前編
#40 カシガリ山 後編
藤代冥砂
1967年千葉県生まれ。被写体は、女、聖地、旅、自然をメインとし、エンターテイメントとアートの間を行き来する作風で知られる。写真集『RIDE RIDE RIDE』、『もう、家に帰ろう』、『58HIPS』など作品集多数。「新潮ムック月刊シリーズ」で第34回講談社出版文化賞写真部門受賞。昨年BOOKMARC(原宿)で開催された、東京クラブシーン、そして藤代の写真家としてのキャリア黎明期をとらえた写真集『90Nights』は多方面で注目を浴びた。小説家として「誰も死なない恋愛小説」(幻冬舎文庫)、「ドライブ」(宝島文庫)などがある