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text by Ryoko Kuwahara

ドラマの役割は現実をあるべき未来に導くこと。Kotetsu Nakazato&綿貫大介『SEX EDUCATION』談議 (1)

Sex Education Season 1



2019年にシーズン1が放映されるやいなやユースの圧倒的な支持を得て全世界で旋風を巻き起こしたNetflixオリジナルシリーズ『SEX EDUCATION』。ムーアデールという架空の町の高校生であるオーティスとメイヴが学園内でセックス・カウンセラーを行うという内容は、突拍子もないようでいて、ティーンネイジャーの悩みや様々な視点をリアルに浮き彫りにし、さらには子どもの周辺の大人がどんな背景を持ち人格形成されてきたのかなども伝える、社会学のような緻密で壮大なナラティヴである。思わず笑ってしまうようなユーモアも随所にありエンタテイメントとしての強い磁力を持ちながら、LGBTQIA +の人々がなんの注釈もなくシスヘテロの人々と同様の生活を営み、様々な関係の中でオープンコミュニケーションがなされているこの町の物語はどれだけ多くの人々をエンパワメントしているかしれない。2021年9月、待望のシーズン3がリリースされたことを祝し、Kotetsu Nakazatoと綿貫大介が『SEX EDUCATION』への溢れる想いを全3回にわたり語らいあった。


談義2は11月23日、3は11月24日に公開。

――まず『SEX EDUCATION』を観始めたきっかけとハマった理由から教えてもらえますか。


Kotetsu「シーズン1が配信された2019年は、『Stranger Things(https://www.netflix.com/jp/title/80057281)』とかNetflixオリジナルドラマにティーンネイジャーのものが多かったんですよね。だから性教育に関するドラマを観たいというより、他のティーン系の作品が面白かったからというのがきっかけで友達のお家で一緒に観始めて。Kotetsuもその友達も性のことをオープンに話すけど、それが世間ではタブーとされていることもわかっていたから、そうしたことをエンタテイメントとして昇華してくれているこのドラマと出会って大感動して『最高じゃん!』ってハマりました」


綿貫「僕は地上波のドラマでいっぱいいっぱいだと思って生きてきたんだけど、『テラスハウス』を観なきゃというのでNetflixに入って消化をし始めたんですね。それで他に観るものを探した時に、まずここでしか観れないNetflixオリジナルというのがポイントになって、さらに他の国の青春ドラマがどういうものか興味があって観始めた。だから後から『ああ、このタイトルはそういう意味だったのか』って気づいたんですよ。Kotetsuと同じで、性教育について勉強しなきゃとかそういうつもりは一切なく、ただただエンタメ消費をしたくて楽しい気持ちで観始めたら、『Netflixって素晴らしい!』というものに出会えてしまった。オリジナルでここまで作れるんですねって。『テラハ』と『SEX EDUCATION』という真逆のコンテンツから入ったんだけど、Netflixの実力が凄いのはわかったし、日本と外国のNetflixがこんなに違うんだというのもそこで感じました」



シーズン1:誰もお飾りじゃない


――シーズンごとに具体的に印象に残っているエピソードなどありますか。


綿貫「ありすぎるなあ。びっくりするのが全シーズン良いんですよね。2、3と追うごとにつまらなくなる作品もあるけど、全然そうならない。1はキャラクターの導入だとすると、2は問題と解決の方法を明確に描いていたり、どのエピソードも良くて」


Kotetsu「Kotetsuが1で印象に残ってるのは『It’s my vagina』かな。シスターフッドというものをあそこで強く描いてくれているのはとても良かった。あと、エリックがダンスパーティに着飾って行って、パパが心配してそれを止めるんだけど、勇気を持って進んでいくエリックに、最終的にお父さんが『誇りに思う』と言うシーンは最高。お父さんは移民としてムーアデールに来て、その中で自国のルーツを守って保守的に生きなくてはいけないプレッシャーを感じていて。でもエリック自身はそこで生まれてもっと寛容な社会の中で生きてきたから、寛容な外と両親の価値観が根付いてる家でのギャップに苦しさを覚えている。その描写に、自分がティーンネイジャーだった時のことを思い出した。Kotetsuも外では自分のキャラクターやアイデンティティを表現して周りにも受け止めてもらえていたけど、家で少しでもそれを出そうとしたらお父さんの中の理想の息子像も相まって激しく否定されていたから、段々と家では保守的になって、自分を出せないようになっていって。このギャップに苦しむ期間が結構あったから、『エリック、わかるよ!』と思ってた」


綿貫「エリックが元々飾りとして存在してないところもいいよね。日本の比較的最先端に映るようなドラマでも、お飾りだったり、目配せのためにマイノリティが存在させられているものがまだまだ多い。でもオーティスはエリックのセクシャリティを知ったうえで親友同士だし、そこに対しての変な言及もなければ、二人で一緒に『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の女装して出かけるという回があったり。あそこ、すごいグッときて。二人の友情自体も素晴らしいし、エリックもただの黒人のゲイの親友ですというポーズの存在ではなく、ちゃんと当たり前に一人の人間として存在しているのが伝わって。1はエリックのそういう部分に惹かれたかも。他にも学園内のイケてるグループはこれまでは白人が一般的だったけど、この中ではそれが有色人種だったり、すべての人がshe/heであるとは限らない現状に応じてTheyという代名詞も普通に出てきているし、色々なステレオタイプを全部ぶった切ってくれてる。ステレオタイプというのはつまりは一個の前提で、説明なく上映できるからやりがちだけど、もはや既存の前提はいらないんだと示してくれてるんだよね。


セリフで言うと、7話で学校のダンスパーティーで振られた男の子がもう死ぬって騒ぎの時に、オーティスが『愛は月や星のような大げさなものじゃない。単なる運だ。いつか君を理解してくれる人に出会うよ』と説得してたのは素晴らしかった。確かに運命の人と出会えるなんていうことは運のようなものかもしれないと思ったし、作品内の全部の表現がとにかく良い」


Sex Education Season 1




――私からはメイヴの中絶のエピソードも入れたいです。もちろん中絶を悪いものとして描いてないし、ジャッジメントしてないし、外の人ではなく、メイヴと手術室で一緒だった人との会話やエピソードで“当事者”が描かれている。どこまでも主体性が本人にあるのが素晴らしかった。


Kotetsu「そうですね。でもそこで迎えに来る人が必要だったのは残念だった。セックスを共にしたパートナーなのか、親なのか、自分の責任者という存在がないと手術を受けられないというのはまだ女性の選択を閉じ込めている」


――おそらくあれは可能であればその方がいいということで、絶対に付き添いが必要ということではないと思います。日本でも付き添いはマストではないので。


*撮影地であるイギリスでは中絶は本人の意思のみで決定可能。16歳以下でも保護者の同意は必要ない。49日以内であれば経口薬/アボーション・ピルの服用で、手術は不要。対して日本はパートナーの同意、16歳以下であれば保護者の同意も必要。経口薬に関しては70か国以上が承認しているが、日本では世界で危険で時代遅れとされている搔爬法と電動式吸引法が適用されている。2021年にラインファーマが経口薬として初の日本申請を行う見通し。






シーズン2:現実がこれからどうあるべきかを描く必要性


Kotetsu「負担をサポートしてくれる存在がうまく描かれているのも『SEX EDUCATION』の好きなところ。恋愛のパートナーシップを結ぶコミュニケーションはもちろん、そうじゃない関係性を築いてる者同士のコミュニケーションもすごく良くて。シーズン2でのヴィヴとジャクソンのコミュニケーションなどはまさにそうで、『私のことなんて誰も見てないよ』と言うヴィヴに『ちゃんと見えてるよ』と伝えたり、それぞれの友達やそれ以外のコミュニケーションが支えになってる。そのうえで、当事者ではない人たちがどれだけその当事者に寄り添ってサポートしたり前に立てるのかというところをさりげなく描いてくれてるんですよね。シーズン3の話になってしまうけど、ノンバイナリーのカルが出てきて、カルは自分のアイデンティティと校則との間に生じるギャップはどうでもいいという感じだったけど、そこでジャンクソンが前に出る。ジャクソンがカルを引っ張って声を上げようと言って、ジャクソン主体で声を上げてくれるという、当事者ががんばらなくてもいい描き方をしていて、これが本当の理想だと思った。ドラマや映画などのエンタメの表象として、現実を伝えることはもちろん必要だけど、その現実がどうあるべきなのか、その先を描くということこそが必要なんだと感じました」


――エイミーに連帯してみんなでバスに乗るところもそうですね。脚本家のLaurie Nunnは自分の体験なども混ぜて書いているそうですが、スタッフルームの中にいた女性全員が同じような経験をしていたことからあの連帯の話を書こうと思ったそうです。


Kotetsu「“Love Yourself” や“Care Yourself”と言われるけど、やっぱりそれは自分だけではできない。他者からそのことを伝えてもらわないとそのトラウマや感情に向き合っていいとすら思えないから、他者のサポートは大事なんだとそこでも描いてくれている。特に女性というだけで多くの被害や差別を受けたりするという現状に対して、シスターフッドをいろんなところに出してくれてて。最初は卑下したり、あいつビッチだからって女性同士で言ったりしてたけど、そうではなく女性同士で連帯をするのが大事だと、女子同士で争わせる構図を廃止していく描き方をしている」


綿貫「あのエピソードは、エイミーのトラウマが単純に解決された問題になってないところも誠実だった。シーズン3になってもエイミーはバスに乗らない。日本ではトラウマを乗り越えるのが美しいという描き方が多いけど、そうじゃなく、傷を背負ったまま楽しく生きるというか。傷ついてるということがずっと続いてるのは誠実だと思う。あと日本のドラマではトラウマを抱えるような出来事が起こった時、当事者につらい思いを独白させて、みんながそれを聞いてグッと来るみたいなパターンが多くて、結局つらさは当事者一人に背負わされるけど、『SEX EDUCATION』はみんなが当たり前にいろんなものをいろんな表層で持ってるから繋がり合って支え合える。どのキャラクターも様々なバックグラウンドがあって世の中は元々こうなんだよなって思った。そもそも普通ってなんだっけ? となる」


Kotetsu「そういう風に日本からしたら全然当たり前じゃない光景を当たり前として描いてくれてる部分もあれば、自分のセクシャリティやアイデンティティに関しては結構みんな揺らぐところもいいなと思った。当たり前のようにスラッとは受け止められてない。2ではオーラがリリーに対して好意を抱いた時に夢を見て、調べて自分はパンセクシャルなんだって気付いたり。戸惑いみたいなものを描いてくれてるのはリアルさだし、理想とのバランスが絶妙だと思う」





Netflixオリジナルシリーズ『セックス・エデュケーション』
独占配信中
https://www.netflix.com/title/80197526




Kotetsu Nakazato
フォトグラファー、エディター、アートディレクターなど、肩書きにとらわれず多方面に表現し続けたいギャル。Creative Studio REINGから刊行された雑誌「IWAKAN」の編集制作も行う。自身のジェンダーやセクシュアリティにまつわる経験談や思考を発信している。
https://www.instagram.com/kotetsunakazato/
https://twitter.com/kotetsunakazato
https://note.com/kotetsunakazato



綿貫大介/Daisuke Watanuki
編集者。2016年に編集長としてインディペンデントカルチャーマガジン『EMOTIONAL LOVE』を創刊。近著に『もう一度、春の交差点で出会う』『ボクたちのドラマシリーズ』。そのほか安易な共感に頼らないものを精力的に制作している。
https://watanuki002.stores.jp/
https://twitter.com/watanukinow
https://www.instagram.com/watanukinow/




text Ryoko Kuwahara(T / IG

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