2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件から、今年で20年。事件の首謀者のひとりとして身柄を不当に拘束されたアフリカ・モーリタニア出身の青年、モハメドゥ・ウルド・スラヒの実話を描いた映画『モーリタニアン 黒塗りの記録』が10月29日より全国で公開される。原作は、スラヒがキューバのグアンタナモ米軍基地にある収容所から、その実情を発信した著書「グアンタナモ収容所 地獄からの手記」。アメリカ政府による検閲で大部分が黒く塗りつぶされた同書は大きな話題となり、ベストセラーを記録した。映画では、ジョディ・フォスターがモハメドゥを救うために闘う弁護士のナンシー・ホランダー役を演じ、ゴールデン・グローブ賞で助演女優賞を受賞。また、映画化を実現したプロデューサーでもあるベネディクト・カンバーバッチが、米軍側の弁護士スチュアート中佐役で出演も果たしている。メガフォンを執ったのは、アカデミー賞に輝いたドキュメンタリー『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』や『ラスト・キング・オブ・スコットランド』を手がけたスコットランド出身のケヴィン・マクドナルド監督。映画の日本公開を控えた監督にリモート取材を行い、製作秘話やモハメドゥ本人とのエピソードなどを聞いた。
(→ in English)
――監督はモハメドゥ・ウルド・スラヒさんと実際にお話ししてから、本作を撮ることに決めたそうですね。
ケヴィン・マクドナルド監督「映画の製作を決める前に、まずはモハメドゥの著書(『グアンタナモ収容所 地獄からの手記』)を読みました。映画化権を所有していたベネディクト・カンバーバッチの製作会社のプロデューサーが本をくださったのです。興味深い内容でしたが、『世界はこれ以上、テロとの戦いやイスラムのテロについての映画を求めているのだろうか?』と思いました。すると彼らが、『とにかくモハメドゥと話してほしい』と。そこでモーリタニアにいる彼とZoomで話したところ、そのカリスマ性や怒りを感じさせない姿に魅了されてしまいました」
――彼との会話のどのようなところからインスピレーションを得たのですか?
ケヴィン・マクドナルド監督「あんなにもひどい経験をしたのに、彼は“許したい”と本気で決心し、日々その信念を守って生きていこうとしているのです。僕はその姿に強く心を打たれました。また、モハメドゥは大の映画好きなんです。グアンタナモの収容所では、看守たちがアメリカのコミックや映画のDVDを差し入れてくれたそうで、アメリカ文化のすべてを知ることができたといいます。『ビッグ・リボウスキ』は90回も観たのだとか。彼はある意味、アメリカが大好きなわけですが、それは並大抵のことではありません。アメリカの他の側面は嫌っているけれど、その文化は大好きなのです。それに、モハメドゥはとても面白い人でもあります。とても愉快であたたかいんです。類い稀な人物であり、類い稀なサバイバーだと思ったので、彼の物語を映画にしたいと考えました」
――劇中のモハメドゥはとても魅力的な人として描かれていましたが、それは映画だからだと思っていたんです。でも、エンドロールで実際のモハメドゥさんの映像を観たら、劇中のモハメドゥよりもさらに明るい人に見えました。
ケヴィン・マクドナルド監督「そうなんです。彼には無邪気さがあって、それがとても魅力的なんですよね。彼は先日ロンドンに来たのですが、グアンタナモの受刑者の中で最初に旅することができたそうです。我が家に泊まって、うちの子どもたちとクリス・ロックのビデオを観て、本当に楽しい時間でした。モハメドゥはとても素敵な人です。そしてもちろん、大きなトラウマを抱えています。表面的にはわからなくても、大きな心理的ダメージを受けているのです。でも、彼はそれを見せないようにして、今この瞬間をポジティブに生きようと懸命に努力しています」
――初めてモハメドゥさんと話したとき、監督が一番知りたかったことは?
ケヴィン・マクドナルド監督「モハメドゥの人となりを感じ取りたいと思いました。この映画の主な目的は、イスラム教徒のテロリストという汚名を着せられた人物を人間らしく描くことです。彼は他の人と同じように人間であり、実際に素晴らしい人間で、観客が友だちになることを想像できるような人なのです」
――実在の人物を演じるのは難しいことだと思いますが、モハメドゥ役のタハール・ラヒムの演技は素晴らしかったです。
ケヴィン・マクドナルド監督「タハールは僕の友人です。僕たちは10年前に一緒に映画を作って、その後も連絡を取り合っていたのですが、当時の彼は英語が苦手でした。彼の英語はここ10年でどんどん上達したのです。この映画を製作しようと決めたとき、最初に頭に浮かんだのがタハールでした。なぜなら、彼にはモハメドゥと同じような資質があったからです。同じようにオープンで、同じようにあたたかくて、でも、良い人なのか悪い人なのか、ちょっとわからないような部分もあって。タハールにもどこか謎めいた部分があるんです。とてもカリスマ性があって、少しダークな一面もあるというか。それはタハールがブレイクするきっかけとなった素晴らしいフランス映画『預言者』で、特に顕著に現れています」
――ジョディ・フォスターは、彼女が出演しているだけで作品を観たくなるような役者ですよね。本作では、モハメドゥの弁護をしたことで多くのアメリカ国民から非難されたナンシー・ホランダー弁護士という難役を演じていますが、彼女とご一緒してみていかがでしたか?
ケヴィン・マクドナルド「ジョディは明らかに伝説的な存在ですし、一緒に仕事ができて信じられないくらい光栄です。タハールも他のみんなも同じ気持ちだったと思います。何十年にもわたって名作を生み出してきた人ですから。驚くことに、彼女はとても謙虚で、まったくスター気取りしないのです。巨大なエゴの持ち主でもないし、とても物静かな人です。何かしてほしいと頼むと、うなずいて実行してくれます。口論することもないし、癇癪を起こすこともありません。とても常識的で思いやりがあり、周りの人たちにも非常に寛大です。でも、彼女はナンシーの中に、少しだけ自分を見ていたのだと思います。ジョディには、かなり控え目で少しクールな一面があるのですが、それはナンシーも同じで、シンプルに人と友だちになることが非常に難しいそうです。ナンシーはとても率直な人で、ルールに縛られません。ストレートな人なのです。ジョディはナンシーのそのような部分に、大いに共感したのではないかと思います」
――ナンシー・ホーランダー弁護士は、ジョディ・フォスターが自身を演じるということについてどう感じていたのですか?
ケヴィン・マクドナルド監督「どうだったと思います?(笑) ナンシーは信じられなかったそうです。僕たちがジョディをキャスティングする前の週に、彼女は歯医者から、「映画を作るんだって? あなたの役はジョディ・フォスターが演じるべきだね」と言われたらしくて。その時点ではジョディが自分を演じることになるとは知らなかったので、実際にジョディに決まったと聞いて、すごくびっくりしていました」
――イギリス出身のベネディクト・カンバーバッチが、米軍の検察官であるスチュアート・カウチ中佐を演じると聞いて、少し意外な感じがしたのですが、見事な演技でしたね。
ケヴィン・マクドナルド監督「ベネディクトは素晴らしい俳優で、信じられないほどのスキルを持っています。あれほど素晴らしい俳優だと、どんな役でも演じられるんですよね。彼はプロデューサーの一人でもあり、本作を最初から最後まで支えてくれました。また、製作費を集めることが困難だった本作のために、自身の名声を役立ててくれたのです。ジョディや彼やシャイリーン・ウッドリー(弁護士のテリー・ダンカン役)やタハールのサポートがなければ、今日においてこのような映画を作ることはできなかったでしょう」
――多くのハリウッド映画では善と悪が明確に対立しているのに対して、本作の主な登場人物であるモハメドゥ、ナンシー、スチュアートは、それぞれが自身の信念のために立ち上がります。
ケヴィン・マクドナルド監督「僕はドキュメンタリー畑の出身なので、ハリウッドの伝統的な手法である白と黒、善と悪という観点から物語を見ることはあまりしません。なぜなら、現実にドキュメンタリーを手がけていると、誰もがその両面を持っていることがわかるからです。モハメドゥがいかに素晴らしくて興味深い人かということだけを描いても、観客は興味を持ってくれないでしょう。人はスターや親しみのある人に共感するよう洗脳されていますから。もちろん、だからこそ、ベネディクトやジョディやシャイリーンの存在が強みになるのです」
――なるほど。
ケヴィン・マクドナルド監督「それに、ジョージ・ブッシュに投票したような、アメリカの共和党の人々にも本作を届けたかったんです。もちろん、テロとの戦いに関しては、アメリカ人がすべて悪いわけではないですし、同じように、すべてのイスラム教徒が悪いわけでもありません。ですので、僕は正しいことをしようと立ち上がった2人のアメリカ人の姿を見せることで、奪われたのはシステムや政治であって、個人ではないということを示したいと思いました。もちろん、彼らは失敗したわけです。モハメドゥを釈放しようとしましたが、オバマ政権は勝訴した彼を7年間も収容所に戻してしまったのですから。アメリカやヨーロッパのリベラルな人たちは皆、オバマは正しいことしかしていないと思っています。実際には、スチュアート・カウチのような共和党員にも善人はいるし、このケースに関しては、オバマは悪役なわけです。とても複雑かつ倫理的な問題で、僕にとってはそれが興味深かったです」
――目を背けたくなるようなシーンもありましたが、撮影していて一番苦労したことは?
ケヴィン・マクドナルド監督「一番大変だったのは収容所内での撮影でした。拷問のシーンだけに限らず、多くのシーンをカメラを置くスペースもないような狭い場所で撮影しなければならなかったんです。それにもちろん、終盤に行った尋問や拷問のシーンの撮影は本当に心が乱されました。タハールはかなり減量して挑んだのですが、彼は拷問のシーンで起こることを、あえて自ら体験したのです。実際に痛みを感じていましたし、空腹状態でした。狭い場所で大音量の音楽や照明を浴びることになり、あの週はスタッフにとっても、とてもつらい体験となりました。そこには、モハメドゥが体験したことの恐ろしさがはっきりと映し出されています。でも、僕は観客に現実を見てもらうことが重要だと感じたのです。拷問のシーンでご覧いただくことは、すべて現実に起こったことなのですから。観客が彼らの物語をきちんと理解し、起こったことの恐ろしさを理解するためには、それを追体験する必要があると思いました」
――完成した映画を観たモハメドゥさんの感想は?
ケヴィン・マクドナルド監督「モハメドゥは自らの物語を広めることができる本作を気に入ってくれました。そして、観客からの反応を求めています。TwitterやInstagramを通して届くメッセージがうれしいそうです。読者の皆さんも、もし映画が気に入ったら(モハメドゥに)伝えてあげてください。長い間、彼は発言することができなかったわけですが、この映画を通して声を得ることができて、それは彼の精神に大きな変化をもたらしました。とても気に入ってくれたとはいえ、モハメドゥにとっては観るのがつらい作品でもあります。最後まで通して観たのは一度だけだそうです。拷問のシーンまで観て、その後の部分も観たのですが、拷問のシーンは精神的な衝撃が強すぎるため、一度しか観ていないそうです」
――同時多発テロ事件から20年を迎えた今、本作を公開することにどのような意味を感じていますか?
ケヴィン・マクドナルド監督「今はあの時代の出来事が歴史になりつつある、興味深い時期だと思います。それはもう、僕たちの生きた経験ではなくなってきているのです。ですので、今はそれほど神経質になり過ぎず、少し客観的に捉えられる時代です。でも、実際に起こった最悪の出来事や、人間が他の人にしてしまった最悪のことを理解しなければ、世界として前進することはできないと思うんです。そういったことを理解しなければ、僕たちは将来的に同じパターンを繰り返してしまいますから」
――今後の予定は? 今はどのようなテーマに興味がありますか?
ケヴィン・マクドナルド監督「たくさんの作品を計画しているのですが、まだ次に何をするかははっきり決めていません。コロナや劇場の閉鎖など、映画業界は大きなストレスを抱えています。奇妙な時代ですが、僕の愛は映画にあるので、また別の作品を手がけたいと思っています」
text Nao Machida
『モーリタニアン 黒塗りの記録』
10月29日(金)TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー
監督:ケヴィン・マクドナルド『ラスト・キング・オブ・スコットランド』 『消されたヘッドライン』
出演:ジョディ・フォスター、ベネディクト・カンバ―バッチ、タハール・ラヒム、シャイリーン・ウッドリー、ザッカリー・リーヴァイ
原作:モハメドゥ・ウルド・スラヒ「モーリタニアン 黒塗りの記録」(河出文庫)
2021年/イギリス/英語・アラビア語・フランス語/129分/ドルビーデジタル/カラー/スコープ/5.1ch/原題:THE MAURITANIAN/G/字幕翻訳:櫻田美樹 配給:キノフィルムズ 提供:木下グループ © 2020 EROS INTERNATIONAL, PLC. ALL RIGHTS RESERVED.
STORY
2005年、弁護士のナンシー・ホランダー(ジョディ・フォスター)はアフリカのモーリタニア出身、モハメドゥ・スラヒ(タハール・ラヒム)の弁護を引き受ける。9.11の首謀者の1人として拘束されたが、裁判は一度も開かれていない。キューバのグアンタナモ収容所で地獄のような投獄生活を何年も送っていた。ナンシーは「不当な拘禁」だとしてアメリカ合衆国を訴える。時を同じくして、テロへの“正義の鉄槌”を望む政府から米軍に、モハメドゥを死刑判決に処せとの命が下り、スチュアート中佐(ベネディクト・カンバーバッチ)が起訴を担当する。真相を明らかにして闘うべく、両サイドから綿密な調査が始まる。モハメドゥから届く手紙による“証言”の予測不能な展開に引き込まれていくナンシー。ところが、再三の開示請求でようやく政府から届いた機密書類には、愕然とする供述が記されていた──。